第13話:捨てられた肉
朝、ヴィランからの通信が来ていた。
文面が長かった。
執事長らしく、箇条書きで整理されている。
要点をまとめると三つだった。イザベラ・ハートマンが公務の場でセドリック王子に叱責された。叱責の内容が一部の貴族に伝わり、王都で噂になっている。子爵家とセドリック王子の関係が公式の場で冷え込んでいる。
末尾にヴィランの個人的な所感が一行あった。
【閣下は昨夜の配信も最後まで御覧になっておられました。——ヴィラン】
リディアは通信を閉じた。
「王都が動いてますよ」とにゃん吉に言った。
「どう動いた」
「イザベラがセドリックに叱責されたようです。公務の場で」
「派手にやったな」
「公務の場というのが重要です。側近や他の貴族が見ている前での叱責は、単なる口論とは意味が違う。子爵家への公式なメッセージになります」
にゃん吉がマタタビ酒を開けた。朝から開けた。今更何も言わない。
「で、お前はどうする」
「今日はギルドの講習があります。そっちに集中します」
クラウスが午前中に来た。
今日は素材を二人の冒険者に運ばせていた。木箱が四つ。置かれた箱から、鉄っぽい臭いがした。
「ご要望の素材です」とクラウスが言った。
「ギルドの倉庫に眠っていたものを全部持ってきました」
リディアは箱を開けた。
赤黒い塊が詰まっていた。筋と脂が混ざった、形の不揃いな肉の切れ端。大きいものは拳大、小さいものは指先ほど。全部まとめて詰め込まれている。
「これが全部スジ肉と余剰肉ですか」
「そうです。深層モンスターの解体で出る部位なんですが、硬くて調理できないと冒険者に言われて。安値をつけても引き取り手がなく、倉庫に積み上がっていました。腐る前に処分していたのですが、ここ数週間で量が増えて」
「もったいない」
「そう言っていただけますか」とクラウスが苦笑した。
「ギルドとしても頭痛の種でした」
リディアは塊を一つ取り出して指で押した。硬い。生の状態ではかなりの硬度がある。ただ筋と脂の比率が良い。
「これ、挽いたことはありますか」
「挽く道具がありませんでした」
「ユリウス商会に発注していた試作品が届いています」
棚から取り出した。魔導ミートチョッパー、と商会が名付けた器具だった。見た目は手動の挽き肉機に似ているが、内部に魔法陣が刻まれている。使用者の魔力を通すことで刃の回転と圧力を均等に制御できる構造だった。
「これで挽いて、合わせます」
「合わせるとは」
「スジ肉と脂身を一定の比率で混ぜて練る。そうすると硬さの問題が解決します。個々の部位が硬くても、細かくして混ぜ合わせれば食感が変わる」
クラウスが道具を見た。
「……ギルドとしても量産できれば助かります。倉庫の問題が解決する」
「今日の配信で需要が証明されれば、商会が量産に動きます。一緒に進めましょう」
配信は夜に設定した。
タイトルは、一文目で内容が全部分かるように「捨てていた肉が化ける。極厚ハンバーグ」にした。
スタジオにギルドの若手冒険者を三人招いた。素材を持ち込んできた二人と、クラウスが連れてきた新入りが一人。全員で二十代で、配信に映ることを少し緊張している顔だった。
「試食役です」とリディアは言った。
「緊張しなくていいです。食べるだけなので」
「食べるだけって言われても」と一人が言った。
「こんな大人数が見てる前で」
「コメント欄の人たちはあなたたちを見に来ているわけではないです。料理を見に来ています」
それで少し緩んだ。
配信が始まった。
まず素材を見せた。
「これが今日の素材です。深層モンスターのスジ肉と余剰部位。硬くて売れないと言われて、ギルドの倉庫に眠っていました」
コメント欄に「確かに硬そう」「これが料理になるのか」「令嬢を信じる」が流れた。
魔導ミートチョッパーをセットした。
スジ肉と脂身を七対三の比率で選んで、順番に投入した。魔力を通すと刃が動き始める。出てきた挽き肉は均一な粗さで揃っていた。
「粗挽きにします。細かくしすぎると食感が失われます」
ボウルに移して、塩と香辛料を加えた。練る。魔力を手のひらに通して温度を一定に保ちながら練った。熱が入りすぎると脂が分離する。体温より少し低い温度をキープして、粘りが出るまで続ける。
「空気を抜きながら成形します」
楕円形に成形した。厚さは親指の第二関節ほど。中央を少し窪ませた。
コメント欄に「分厚い」「作り方初めて知った」「中央を凹ますのは何でですか」という質問が来た。
「火を通すと中央が膨らむので、先に凹ませておきます。均一に焼くためです」
魔導フライパンを熱した。
ハンバーグを置いた瞬間、音が出た。ジュアア、という重い音。脂が熱に当たって水分が飛ぶ音。香りが変わった。肉の焼ける匂いが香辛料と混ざって、スタジオの外まで届きそうな濃度になった。
若手冒険者の一人が「うっ」と言った。
「大丈夫ですか」
「大丈夫です。匂いがすごくて」
二分で返した。焼き色がついている。次は蓋をして蒸し焼きにした。魔力で内部の温度を感知しながら、中心まで火を通す。外は焼けて中は生という状態を避ける。かといって焼きすぎると肉汁が出てしまう。
ここが一番集中する場面だった。
手が震えていない。魔力が均一に流れている。フライパンが余剰分を逃がしてくれているから、体への負荷が昨月より確実に減っている。
七分で火を止めた。
デミグラスソースは昨夜から仕込んでいた。
ダンジョン産の赤ワイン系魔果実を煮詰めて、野菜の絞り汁と合わせる。魔物の骨から取った出汁を加えて、さらに煮る。一時間煮たものを漉して、また煮る。それを繰り返した。今朝の段階でとろりとした濃度になっていた。
温め直して、ハンバーグにかけた。
コメント欄が止まった。
ソースがハンバーグの表面を覆って、端から滴った。深い赤褐色が、焼き色のついた肉の上を流れる。
静寂。
「切ります」
ナイフを入れた。
肉汁が出た。
じわ、ではなかった。どっと来た。切り口から溢れて、皿の上に広がった。ソースと混ざって色が変わった。中心まで均一に火の通った断面は、ふっくらと細かな気泡を抱え、溢れ出す透明な肉汁でしっとりと輝いていた。
コメント欄が爆発した。
「肉汁の滝だ」「夜中にこれは犯罪」「今すぐギルド行って肉買ってくる」「令嬢天才」「スパチャ投げます三連打」「あの捨てられてた肉がこれになるのか」。
冒険者の一人が「……マジか」と呟いた。
「どうぞ」
三人にそれぞれ皿を渡した。
全員が食べた。
一人目が「柔らかい」と言った。
二人目が何も言わずに二口目を食べた。
三人目、新入りの冒険者が、ナイフを持ったまま止まった。
「どうかしましたか」
「……俺、これ」
「はい」
「倉庫で毎週捨ててました」
リディアは返事をしなかった。
「俺たちが捨ててた肉が……こんなになるのか」
「素材の問題ではなく、処理の問題でした」
「……」
新入りが一口食べた。目が赤くなった。泣くかと思ったが、堪えた。堪えてもう一口食べた。
コメント欄に「冒険者の子が泣きそうになってる」「これは感動する」「素材を活かすってこういうことか」「スパチャ冒険者の分も投げます」が流れた。
配信が終わった後、にゃん吉がデミグラスソースを舐めた。皿を傾けて端まで舐めた。
「ソースが良かった」
「時間をかけた分だけ味が出ます」
「昨夜の配信中も鍋を見ていたな」
「煮詰めながら調整していました」
クラウスが帰り際に言った。
「ギルドの倉庫素材、これからはうちで引き取ります。価格はユリウス商会と相談して決めましょう」
「そうしてください。処分されるより使われる方がいい」
夜、水晶板に通知が来た。
差出人は「R_F_1」だった。
投げ銭ではなかった。メッセージだった。
リディアは少し考えてから開いた。
【配信、毎回見ている。今夜のハンバーグというものは、見ていて腹が鳴った。それだけ伝えたかった。それとは別に、正式な話がある。公爵領全体の食材流通を、お前に任せたい。詳細は追って執事長から連絡させる。——父より】
短かった。父らしい文体だった。余計なことは書かない。必要なことだけ、少し不器用に書く。
にゃん吉が横から覗いた。
「公爵領の食材流通か。規模が変わるな」
「変わりますね」
「受けるか」
「条件次第です。ヴィランと詰めます」
リディアは文面をもう一度読んだ。
「腹が鳴った、か」
「感想としては素直だろう」
「そうですね」
返信を打った。
【受ける方向で検討します。ヴィランと話を進めてください。配信は見なくていいです、父様——リディア】
送信した。
五分後に返信が来た。
【見る。——父より】
リディアは水晶板を置いた。
「頑固ですね」
「親というのはそういうものだろう」とにゃん吉が言った。
「にゃん吉さんには親がいるんですか」
「神獣に親はいない」
「では分からないですね」
「お前はあるのか」
「前世では。この世界では一応います」
指先に魔力を灯した。
安定していた。揺れなかった。部屋の隅まで届く、穏やかな光だった。
「にゃん吉さん、最深層の話を聞かせてください」
にゃん吉がこちらを見た。
「急に何だ」
「前から気になっていました。このダンジョンの最深層に、まだ行ったことのない食材があると言っていましたよね」
にゃん吉がしばらく沈黙した。
缶を置いた。珍しく、飲みかけのまま置いた。
「伝説の食材、というには大げさかもしれん」
「でも本物はある」
「……ある」
「何ですか」
にゃん吉の尻尾が、ゆっくりと動いた。
「最深層にしか生息しない魔物がいる。名前を『虚ろの王』という。ダンジョンの核に近い場所で長い年月をかけて育った魔物で、その肉は通常の保存魔術では対応できないほど密度が高い。食べた者は百年前を最後にいない。存在を知っている者もほとんどいない」
「百年前に食べた人は何と言っていましたか」
「記録によれば、言葉を失ったとある」
リディアは羊皮紙を取り出した。
「行きましょう、いつか」
「いつか、か」
「まず魔力を上げます。最深層に行くには今の私では足りない。それが終わってから」
にゃん吉が缶を持ち直した。
「……まあ、急ぐことはない」
「でも諦めません」
「分かってる」とにゃん吉は言った。
「お前が諦めるところを一度も見ていない」
リディアは羊皮紙に「最深層・虚ろの王」と書いた。次のページの一番上に書いた。
まだ先の話だが、書いておけば目標になる。
前世でも、無理そうな目標を紙に書いてから動いてきた。書いたものは大抵、時間はかかっても形になった。




