第90話 ベッドは二つありました
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。
夕食を終えたあと、シンジとセレーナは、マルタから指定された部屋の前に立っていた。
先ほどから、二人とも扉を見つめたまま動かない。
「本当に、ここなんだよな」
「はい」
「ベッドは二つあるって言ってたよな」
「はい」
「なら、別々に寝れば何も問題はない」
「はい」
「どうして、さっきから『はい』しか言わないんだ?」
「私も、何を言えばよいのか分からないのです!」
「俺だって分からないよ!」
二人は顔を見合わせた。
昨日、互いの気持ちを確かめた。
口づけも交わした。
それでも、突然同じ部屋で眠る心構えまでできるわけではない。
しかも、これは二人で話し合って決めたことではない。
マルタが勝手に決めた。
抵抗した。
抗議もした。
だが、反対側の頬まで張り倒されたくなければ黙って従えと、武力で押し切られた。
「落ち着いて考えよう」
シンジは扉を前にして、改めて自分へ言い聞かせる。
「同じ部屋といっても、ベッドは二つだ」
「はい」
「寝る場所は分かれてる」
「はい」
「だから、昨日までと何も変わらない」
「同じ部屋ですけど……」
「そこは今、考えないようにしてるんだ」
「はい」
「だから『はい』だけで返すの、やめてもらえる?」
「では、どのように返せばよいのでしょうか」
「それを俺に聞かないでくれ!」
セレーナも困っている。
自分だけが妙に意識しているわけではない。
そう分かっただけでも、少しは気が楽になった。
「入るぞ」
「はい」
「……やっぱり『はい』なんだな」
シンジは覚悟を決め、扉を開けた。
部屋は、二人で使うには十分な広さだった。
小さな机。
二脚の椅子。
荷物を置くための棚。
窓際には、水差しと二つの器も用意されている。
そして奥には、マルタが言ったとおり、二台のベッドが置かれていた。
「ほら」
シンジは胸をなで下ろした。
「ちゃんと二つある。これなら何も問題は――」
言葉が止まった。
確かに、ベッドは二つあった。
ただし、二台のベッドは、隙間なくぴったりとくっつけられていた。
掛け布まで、まるで一つの大きな寝床であるかのように整えられている。
「……」
「……」
二人は、並んだベッドを黙って見つめた。
右側のベッド。
左側のベッド。
二つに分かれてはいる。
だが、どう見ても大きな一つの寝床だった。
「あの女将いいいい!」
シンジの叫びが、宿の二階へ響いた。
「絶対、どっかで笑ってるだろ!」
返事はない。
だが、階下のどこかから、豪快な笑い声が聞こえた気がした。
「やっぱり笑ってる!」
シンジは廊下へ飛び出し、階段の方を見る。
「聞こえてるぞ! 絶対わざとだろ!」
今度は、はっきりと笑い声が返ってきた。
「隠す気すらないのかよ!」
シンジが部屋へ戻ると、セレーナは二つのベッドを見つめたまま固まっていた。
「セレーナ?」
「はい!」
返事だけが妙に大きい。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です」
「顔、赤いけど」
「湯場の近くですから」
「ここ二階だぞ」
「熱気が上がってきているのかもしれません」
「無理があるだろ」
セレーナは答えず、視線をそらした。
シンジは改めて二台のベッドを見る。
「まあ、落ち着こう」
「はい」
「ベッドは二つだ。くっついてるけど、一応は二つだから」
「はい」
「片方ずつ使えばいい」
「はい」
「真ん中から、こっちとそっちで分ければいいんだ」
シンジは二つの寝台の境目を指で示した。
「ここから右が俺。左がセレーナ」
「分かりました」
「寝返りを打っても、越えないように気をつける」
「私も気をつけます」
「真ん中に荷物を置くか?」
「そこまでしなくても……」
「シーツでカーテンみたいに区切るか?」
「どこに取り付けるんですか?」
「……無理だな」
二人は再び黙った。
何をどう工夫しても、同じ部屋で、隣り合って眠る事実は変わらない。
「セレーナ、安心してくれ。俺は入口の床にでも……」
シンジは、できるだけ落ち着いた声で言った。
「そこまでしなくても、私は気にしませんから大丈夫です」
「そ、そうか」
セレーナは呆れた顔で、シンジを見つめた。
「シンジこそ、私の隣で寝るのが、そんなに嫌なんですか?」
「嫌じゃない。セレーナが気にしなければそれでいい」
「シンジ」
「うん?」
「あの……」
セレーナはベッドから目をそらし、胸元で両手を重ねた。
「私、お風呂へ先に入ってきますね」
「セレーナ!?」
「はい?」
「このタイミングでその台詞……煽ってますか?」
「煽る?」
セレーナが、またきょとんと首をかしげた。
「えっと……シンジ、先に入りたいですか?」
「今は女性の湯浴みの時間だろ。って、そこじゃない」
「では、何の話ですか?」
「分からないならいいんだ」
「よいのですか?」
「よくないけど、説明すると俺の心が……」
「なぜです?」
何も分かっていない顔で、もう一度首をかしげる。
昨日、互いの気持ちを確かめた女性。
これから同じ部屋で眠る女性。
その本人が、これほど無防備な顔で自分を見ている。
シンジは両手で顔を覆った。
「セレーナさんが可愛すぎて、本当につらいです!」
「な、なぜ敬語になるのですか?」
「俺にも分からない!」
セレーナは困ったようにシンジを見つめたあと、頬を赤らめながら着替えを手に取った。
「では、先に行ってきます」
「はい……どうぞ」
「戻るまでに、落ち着いていてくださいね」
「努力します……」
セレーナが扉へ向かう。
部屋を出る直前、何かを思い出したように振り返った。
「シンジ」
「何?」
「何度も言いますが、嫌じゃないですからね。」
「え?」
「シンジと、その……一つの部屋で一緒に寝ること。」
「セレーナさん!?」
「では、行って来ます」
「はい!いってらっしゃいませ!」
セレーナは小さく笑い、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
一人残されたシンジは、改めて二台のベッドを見た。
確かに二つある。
だが、ベッドの足が金具で固定されて、離すことはできない。
「ここまでするのか、あのババア……」
金具はちょっと力を入れたぐらいではびくともしない。
ここまで入念にされると、怒りを通り越して呆れてしまう。
シンジは深く息を吐き、片方のベッドへ腰を下ろした。
その瞬間、気づいてしまった。
湯浴みを終えたセレーナが、この部屋へ戻ってくる。
湯上がりの姿で、二人きりの部屋へ、
「……」
シンジは、ゆっくりと両手で顔を覆った。
「女将の罠、二段構えじゃないか……」
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