第89話 称号も説明しますか?
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。
セレーナは、まだ仕事の顔を崩していなかった。
「ほかに隠していることは?」
「ありません」
【称号も説明しますか?】
「待てええええええ!」
シンジの声が湯場へ響いた。
「待ってくださああああい!」
セレーナが表示へ目を向ける。
「称号も説明するかと尋ねています」
「説明しなくていい!」
「ボード。称号の説明を」
「見ないで! 見ないでくださああああい!」
【今回の職務能力評価に関連する称号を表示します】
「そういうプライベートな情報は、勝手に表示しないんじゃなかったのか!?」
【称号は行動履歴、経験及び性質から形成された能力記録です】
【私的記憶は表示しません】
【セレーナと共有すべき職務及び安全管理上の項目であると判断しました】
「晒しじゃん! 俺の恥ずかしい部分を職務情報として晒してるじゃん!」
「読み上げます」
「やめて!」
【納期前夜を越えし者】
セレーナが表示を読み上げる。
「期限や危機が迫った状況で、シンジと周囲の協力者の集中力、作業連携及び処理効率を上昇させます」
【疲労及び必要時間を消失させる効果はありません】
「名前はともかく、使えるね」
マルタが頷く。
【炎上案件の鎮火者】
「揉め事、事故、混乱及び対立に対し、原因整理、沈静化、合意形成及び安定化へ導く行動の効果を高めます」
【対象を強制的に従わせることはできません】
「町を動かすなら、そっちも使える」
【履歴書をスキルに変えた者】
「実際に積み重ねた職務経験や行動履歴を、条件に応じてスキルへ再構成します」
【未経験の能力を取得することはできません】
「さっきの三つが生まれた理由かい?」
「おそらくは」
セレーナが答えた。
【休息コマンド未実装男】
「待って。そこは飛ばそう」
「一定時間、疲労及び睡眠不足の自覚と能力低下を抑え、行動を継続できます」
「セレーナ?」
【負荷そのものは消失しません】
【解除後または限界到達時に、保留された疲労が反動として発生します】
「止めて!」
「信頼する対象からの休息指示を受諾した場合、休息効率及び回復補助が上昇します」
セレーナが、じっとシンジを見る。
「これは今後、私が管理します」
「称号から逃げたら、管理者が増えた!」
【帰路未定の実務屋】
「異世界及び未知の環境において、観察、整理、調整、交渉、改善、運用など、実務に関する能力を上昇させます」
【戦闘技能及び未知の専門知識を直接取得する効果はありません】
マルタの目が鋭くなった。
異世界にいる限り、この男の実務能力を底上げする力。
剣も魔法も使えない。
だが、町を動かすための能力としては、恐ろしく有用だった。
【湯場で詰んだ男】
「そこはいらない!」
「羞恥、気まずさ及び異性関係に由来する精神的負担を、わずかに軽減します」
セレーナの肩が小さく震えた。
「また、羞恥による思考停止、会話不能及び逃走を起こしにくくします」
「説明を追加するな!」
セレーナは口元を押さえた。
「名前は、ふっ……ともかく」
「笑ってる!」
「有用な能力だと、ふふっ、思います」
「セレーナ、笑いながら褒めるのをやめてくれませんか!?」
ルカが、とうとう腹を抱えて笑い出した。
「湯場で詰んだ男が、湯場を作り直すの!」
「うるさい!」
マルタも豪快に笑った。
「そりゃいい! 詰んだ経験まで役に立つなら、無駄がないじゃないか!」
「女将まで!」
笑い声が、熱気のこもった湯場へ響いた。
近くで作業していた男たちが、何事かとこちらを見る。
シンジは顔を覆った。
「もう帰りたい……」
【称号効果により、羞恥による逃走は抑制されています】
「今すぐ効果を切れ!」
セレーナは耐えきれず、とうとう声を上げて笑った。
その隣で、マルタも笑い続けている。
だが、シンジを見る目は、先ほどまでとは変わっていた。
物の性質を調べる。
自らの身体を守り、生き延びる。
経験から問題を見つけ、改善案を組み立てる。
期限が迫れば、周囲の働きまで支える。
揉め事が起きれば、原因を整理し、鎮める方向へ導く。
異世界で実務へ関わるほど、その能力は強くなる。
ふざけた称号ばかりだが、能力だけを見れば悪くないどころではない。
まさに、これから始めようとしている計画の鍵になる力だった。
欲しい。
マルタは素直にそう思った。
この男の知恵と力を、ローデンのために使ってほしい。
ただし、シンジは単なる異邦人ではない。
巡回書記官セレーナが選んだ伴侶だ。
どこまで頼ってよいのか。
どこから先へ踏み込めば、二人の立場を侵すのか。
その境目だけは、見誤ってはいけない。
「なるほどねえ」
マルタが改めてシンジを眺める。
「あんた、やっぱりただ者じゃなかったんだね」
「今の称号を全部聞いたあとで言われても、格好がつかないんですけど」
「格好なんてどうでもいいよ」
マルタは口元を上げた。
「使えるかどうかが大事なのさ」
「俺は道具じゃありませんよ!」
「分かってる。だから、使わせてもらう時の話をしなきゃならない」
「相談料の話ですか?」
「それだけじゃないよ」
マルタは、それ以上は答えなかった。
「続きは、今の仕事を見てからだ」
ボードの表示が切り替わる。
【職務能力の共有を完了しました】
【事象推測・初級を継続します】
【作業動線の確認】
【加熱済みぬくみ石】
【使用済みぬくみ石】
【利用客】
三つの流れが、簡単な線となって表示された。
「勝手に全部暴露して、何事もなかったみたいに仕事へ戻るな!」
【作業への集中を推奨します】
「誰のせいで集中できないと思ってるんだ!」
シンジの抗議を無視し、ボードは三本の線が交わる場所を淡く点滅させた。
「ここですね」
セレーナが記録用の板と紙を取り出す。
「温めた石、使い終わった石、それに利用客。三つの流れが重なっています」
「まず、温めた石と使い終わった石を、同じ場所へ置かない方がいい」
シンジも気持ちを切り替え、通路を見た。
「置き場を二つに分けるのですか?」
「うん。それだけでも、次に誰がどの籠を運ぶのか分かりやすくなる」
セレーナが紙へ書き留める。
「運ぶ道も分けられるなら、その方がいい。でも、いきなり壁を壊すような話にはしたくないな」
「裏に使っていない戸口があるよ」
マルタが言った。
「昔は薪を入れるのに使っていたが、今は塞いである」
「そこから、冷めた石だけ外へ出せませんか?」
「見てみよう」
マルタに案内され、建物の裏へ回る。
古い戸口は、板を打ちつけて塞いであった。
外には、人一人と籠が通れる程度の空間がある。
「ここを使えれば、温めた石は今の通路から入れて、使い終わった石は裏から出せます」
「行きと戻りを分けるのですね」
「完全に分けられるかは、実際に戸を開けてから確認だけどな」
シンジは、戸口から加熱場所までの距離を見る。
【事象推測】
【試験運用を推奨】
【第一段階:人のみ通行】
【第二段階:空の籠を使用】
【第三段階:ぬくみ石を少量積載】
「いきなり石を運ばないでください」
シンジが言った。
「まず板を外して、人だけ通してみましょう。その次に空の籠。問題がなければ、少ない量の石を載せて試す」
「最初から全部運ばないのかい?」
「人が歩きにくいなら、重い籠を持ったらもっと危ないですから」
マルタが小さく頷いた。
「なるほどね」
「一度に全部変えないことも大事です」
「なぜです?」
セレーナが尋ねた。
「いくつも同時に変えたら、どの変更が良かったのか、何が悪かったのか分からなくなる」
シンジは、古い戸口を指した。
「まずは、ここだけです」
「ずいぶん慎重だね」
「失敗して困るのは、ここで働いている人たちですから」
マルタが目を細める。
内政型。派手な言葉ではない。
だが、シンジは力を振るう前に、人を見る。
何を変えれば便利になるかだけではなく、その変更で誰が困るのかを考えている。
「あんたに頼んだのは、やっぱり正解だったよ」
「だから、まだ何も成功してませんって」
「成功したと言ってるんじゃない」
マルタはシンジの肩を軽く叩いた。
「任せてもいいと思っただけさ」
その言葉は、思ったよりも重かった。
「明日、あんたと正式な話をする」
「正式な話?」
「相談料と、これからの立場についてだよ」
「俺の立場?」
「今日は十分働いただろう。余計なことを考えずに休みな」
【信頼対象からの休息指示を確認】
【休息効率上昇条件を一部達成】
「女将さんまで信頼対象に入ってるのかよ!」
「悪かったね」
マルタが豪快に笑う。
「だが、まだ休むんじゃないよ。試しに戸を開ける手配だけしてからだ」
【休息指示を撤回しました】
「撤回するのかよ!」
セレーナが、くすりと笑う。
「大丈夫です。仕事が終わったら、私が改めて休息を指示します」
【最優先の信頼対象からの休息指示を待機します】
「ボード、余計な補足をするな!」
再び笑い声が上がる。
剣もない。
魔法もない。
勇者らしい力など、一つもない。
それでも、シンジの目の前では、止まっていた人と物の流れが少しずつ動き始めていた。
内政型の異邦人。
その最初の仕事は、世界を救うことではなく、
湯場の問題を、一つずつ解きほぐすことだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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