第87話 頭の中にあるもの全部出しな
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。
「風呂から出たら、冷たい飲み物を飲んだり、食事をしたり」
「食事まで?」
「一日そこで過ごせるところもありました」
「一日?」
「風呂に入って、飯を食べて、休憩する。疲れていたら、身体を揉んでもらったり」
「身体を揉む?」
「肩や腰をほぐしてもらうんです」
「治療師とは違うのかい?」
「怪我や病気を治すというより、疲れを楽にする感じです」
「それから?」
「眠れる場所や、横になれる場所があったり。本を読んだり、酒を飲んだり」
「酒」
マルタの目が光った。
「風呂上がりに冷たい酒かい?」
「酒もありました。水や果物の飲み物、牛乳なんかも」
「乳を冷やして飲むのか」
「日持ちの問題はありますけどね」
「食べ物は?」
「麺やご飯物、揚げた肉、軽くつまめる物。店によっていろいろです」
「宿は?」
「泊まれるところもありました」
マルタが黙った。ルカもセレーナも、次の言葉を待っている。
「女将さん?」
シンジが呼ぶ。マルタは返事をしなかった。
代わりに机へ両手をつき、身を乗り出す。
「あんた」
「はい?」
「今、頭の中にどれだけ隠してる?」
「隠してるつもりはありませんけど」
「いいや、隠してるね」
「だから、何をですか?」
「風呂に、食事に、酒に、休む場所。身体を揉む者まで置いて、一日客を帰さない場所だよ」
「言い方が怖いな」
「その頭の中にあるもの、全部出しな!」
「全部?」
「一つ残らずだ!」
マルタの声が部屋へ響いた。
「待ってください。俺は専門家じゃありませんよ」
「誰が専門家だと言った?」
「実際に作ったことも、運営したこともありません」
「見たことはある。使ったこともある」
「ありますけど」
「なら、それを話しな」
マルタは不敵に笑った。
「こっちで使えるかどうかは、私が決める」
シンジの視界の左端へ、淡い光が現れた。半透明のボードが、音もなく開く。
【既知情報の整理を開始します】
シンジの記憶から、言葉が並び始める。
【入浴】
【温熱・発汗】
【飲食】
【休息】
【身体ケア】
【宿泊】
セレーナの視線も、ボードへ向いた。
「シンジ」
「うん」
「一度、分けて考えましょう」
「そうだな」
マルタにはボードは見えていない。
だが、シンジとセレーナの視線が同じ場所へ向いたことには気づいたようだった。
それでも、今は何も尋ねなかった。セレーナが机の紙を引き寄せる。
「まず、湯の種類」
「次に、サウナ……じゃ通じないか。蒸気を使った熱い部屋」
「飲み物と食事」
ルカが身を乗り出した。
「売る物なら、私も考えるの」
「休める場所と、身体の疲れを取る仕事も必要ですね」
「泊まれるようにもできる」
シンジが口にするたび、マルタが紙へ印をつけていく。
「香りをつけた湯なら、薬草や花を扱う者に聞ける」
「サウナ?あんたの言ってた蒸気の部屋は、作った方がいいのかい?」
マルタの問いに、ボードの文字が変わる。
【実現可能性:検討可能】
【必要条件:密閉性・換気・排水・火傷防止】
「まあ、俺はあった方が嬉しいが、この世界で受け入れられるかどうかは別だけどな。」
「ふ~ん、必要なものなら検討すればいい」
「冷たい飲み物は?」
「地下の貯蔵場所を使えば、物を冷やすことは出来るよ」
「身体を揉む人は?」
「旅人の肩や腰を揉んで稼いでる者ならいる。仕事としてまとめられるかもしれない」
さっきまで、ただの思い出話だった。
それが一つずつ、こちらの世界で使える形へ変わり始めている。
シンジが思い出す。ボードが整理する。
セレーナが、意味と必要な条件を言葉へ変える。
マルタが、ローデンで用意できる人や物へ結びつける。
ルカが商会で取扱えれそうな商品を考える。
机の上の紙が、次々と文字で埋まっていった。
「これ、ぬくみ石の運搬を改善する話でしたよね?」
シンジが尋ねる。
「最初はね」
「完全に別の話になってません?」
「話を聞いて、気が変わった」
「客を増やす話まで、誰が頼みました?」
「今、私が頼んだ」
「今?」
「全部聞かせな。それも含めて相談料は払う」
「依頼内容が、その場で膨らんでる……」
「嫌なのかい?」
シンジは、文字で埋まり始めた紙を見る。
「嫌ではないですけど」
「なら、遠慮せず全部出しな」
マルタは当然のように言い、そのまま紙へ視線を落とした。
「シンジ」
「はい」
「ローデンは、大きな宿場だ」
「知っています」
「だが、ここへ来る奴の大半は、別の場所へ行く途中で立ち寄る」
街道を進む旅人。
荷物を運ぶ商人。
馬を休ませる御者。
皆、ローデンへ来ることが目的ではない。
次の町へ進むために、ここで食べ、眠り、出ていく。
「通り過ぎる町なんだよ」
マルタの指が、机の紙を押さえた。
「それを変えられると思うかい?」
シンジは、紙に並んだ言葉を見る。
湯。
蒸気。
食事。
飲み物。
休息。
身体をほぐす場所。
宿泊。
まだ、何一つ形になっていない。
実現できるかどうかも分からない。それでも、
「変えましょう」
シンジは顔を上げた。
「人が通る町から」
マルタが、続きを待っている。
「人が目的にして来る町へ」
一瞬の沈黙。次の瞬間、マルタが豪快に笑った。
「それだ!」
机を叩く音が響く。
「その話をしようじゃないか!」
シンジの視界の左端で、ボードの文字が切り替わった。
【新規計画を仮登録】
【ローデン湯楽計画】
「名前までついた……」
「何の名前?」
ルカが尋ねる。
「いや」
シンジはボードと、目を輝かせるマルタを見比べた。
「なんだか、ずいぶん大きな仕事になりそうだなと思って」
「今さら気づいたのかい?」
マルタが笑う。その隣で、セレーナも小さく微笑んだ。
「シンジ」
「はい」
「ローデン卿から受けた相談が、ずいぶん大きな仕事になりましたね」
目の前には、文字で埋まり始めた紙。
その向こうには、まだ誰も見たことのないローデンの姿がある。
シンジは袖をまくった。
「じゃあ、まずは現場を見に行きましょう」
異世界版スーパー銭湯計画。
その最初の一歩が、静かに動き始めた。
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