第86話 今日から二人で一部屋
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
翌朝。
朝食を終えたシンジたちは、宿の奥にある一室へ集まっていた。
大きな机を囲んでいるのは、マルタ、シンジ、セレーナ、ルカの四人。
マルタは、向かいに並んで座るシンジとセレーナを交互に見た。
昨日までとは、二人の間に流れる空気が少し違っている。
視線が合う。
どちらからともなく、少しだけ笑う。
そのたびにセレーナの頬が赤くなり、シンジも妙に落ち着かない顔をしていた。
「ちゃんと、お互いに話し合ったんだね」
マルタが言った。
「はい」
シンジが答える。セレーナも、頬を染めたまま小さく頷いた。
「そうかい。なら、どうする?」
「どうするって?」
「どうするとは?」
二人が、ほとんど同時に聞き返す。
「部屋割りだよ」
マルタは当然のように答えた。
「今日から二人で一部屋でいいだろう?」
「いやいや、ちょっと待て!」
シンジが椅子から腰を浮かせた。
「何を言い出すんだ!?」
「あ、あの!」
セレーナも真っ赤になって立ち上がる。
「私にも、心の準備というものが! 時間が、その……!」
「なんだい。初心だねえ」
マルタが面白そうに笑う。
「無理やり一緒の部屋にさせるな!」
「さ、させる……!?」
セレーナの肩が跳ねた。顔が一気に耳まで赤くなる。
「あ」
シンジも、自分の言葉がどう聞こえたのかに気づいた。
「いや、そういう意味じゃなくて! 同じ部屋にさせるなって意味で!」
「わ、分かっています!」
「絶対、別の意味に取っただろ!」
「取っていません!」
「目をそらしながら言うな!」
「まあ、ベッドは二つある部屋にしてやるよ」
マルタは二人の騒ぎを軽く流した。
「別々に寝るなり、一緒に寝るなり、好きにしな」
「聞け!」
シンジが机へ両手をつく。
「俺たちの話を聞いてください!」
「よし。なら、仕事の話をしようかね」
「何が『よし』だよおお!」
「なんだい?」
マルタの目が細くなる。
「私と仕事の話をしないっていうのかい?」
「いや、そういう話じゃなくて!」
「反対側も張り倒されたいのかい?」
シンジが反射的に、まだ無事な頬を押さえた。
「ぶ、武力で押し切ろうとしてる!」
「ごちゃごちゃうるさいね!」
マルタが机を叩く。
「部屋は二人で一つ。ベッドは二つ。これで決まりだ!」
「決まってない!」
「さ、話を進めるよ」
「……はい」
完全に押し切られた。シンジが力なく椅子へ座る。
その隣で、セレーナが落ち着かない様子で指を組んでいた。
「シンジ」
「うん?」
「あの……」
セレーナは真っ赤な顔のまま、ためらいがちに口を開く。
「私は、別に嫌というわけではありませんので、その……」
「セレーナ」
「はい?」
「その慰め、今の俺には煽りになるから、やめような?」
「煽り? えっと、はい?」
セレーナが、きょとんと首をかしげる。
「セレーナが可愛すぎてつらい!」
ルカが堪えきれず、声を上げて笑った。
「さて」
マルタが何事もなかったように机を軽く叩く。
「惚れた腫れたの話は、いったんここまでだ」
「腫らしたのは女将さんですけどね」
「もう一発欲しいかい?」
「ぬくみ石の話をしましょう」
シンジは即答した。
◇
「まず、前にあんたが話したぬくみ石の運び方だ」
マルタが紙の一枚をシンジへ向ける。
「籠を使う方法は試した。石を一つずつ抱えて運ぶよりは楽になったよ」
「滑車の方は?」
「取り付ける場所を見てるところだ」
マルタはぬくみ石を指先で叩いた。
「ただ、石を運ぶことだけ考えりゃいいわけじゃない」
「温めた石を置く場所と、使い終わった石を戻す流れですね」
「そうだ」
温めた石を運ぶ。湯を沸かす。冷めた石を取り出す。
それを再び運び、温め直す。
同じ石が、何度も湯場と加熱場所の間を往復する。
「人の動きがぶつかる場所もありましたよね」
「ああ。湯を使う客と、石を運ぶ者が同じところを通る」
「石を運ぶだけじゃなく、誰が、どの順番で、どこを通るかも変えないと駄目か」
シンジは紙を見ながら考えた。
「今日、実際の作業をもう一度見せてください」
「案は出さないのかい?」
「運搬の改善案を詰める前に、先に現場を見ます」
マルタの眉が上がる。
「前に来た時と、もう変わっているんですよね?」
「少しはね」
「なら、前の記憶だけで続きを考えると間違えます」
「なるほど」
マルタは、わずかに口元を上げた。
「あんたを呼んだのは正解だったようだね」
「まだ何もしてませんよ」
「何も見ずに答えを出す奴じゃない。それが分かっただけでも十分さ」
シンジは少し照れながら、紙へ視線を戻した。
「でも、今回俺を呼んだのは、その続きだけですか?」
「今のところはね」
「今のところ?」
マルタは机のぬくみ石を手に取った。
「前にあんたが言った方法を試してみたら、ほかにも変えられるところがあるんじゃないかと思ってね」
「それで、詳しく話を聞こうと?」
「そういうことだ」
ぬくみ石を置き、マルタがシンジを見る。
「あんたの世界にも、湯場はあったんだろ?」
「ありましたよ」
「ここと同じかい?」
「だいぶ違いますね」
「どう違う?」
シンジは少し考えた。
「まず、家に風呂がありました」
「家ごとに?」
「ほとんどの家に」
「ずいぶん贅沢だね」
「そう言われると、確かに贅沢だったのかもしれません」
元の世界では、蛇口をひねれば湯が出た。
ボタンを押せば、浴槽へ湯がたまった。
毎日それを使いながら、特別なことだとは思っていなかった。
「家の風呂とは別に、金を払って入る場所もありました」
「家にあるのに、わざわざ外でも入るのかい?」
「銭湯や温泉ですね」
「せんとう?」
「大勢で使う風呂です。温泉は、地面から湧き出した温かい湯へ入る場所で」
「自然に温かい水が出るのかい?」
「出るところがあります」
「便利な土地もあるもんだねえ」
マルタが感心したように息を吐く。
「それだけかい?」
「ほかにも、たまに近所のスーパー銭湯へ行ってました」
「すうぱあ?」
「普通の銭湯より、いろいろある大きな湯場です」
「いろいろって、何だい?」
シンジは指を折りながら思い出した。
「広い風呂がいくつかあって、温度や中身が違うんです」
「中身?」
「薬草みたいなものを入れた湯や、花や果物の香りがする湯ですね」
ルカが目を輝かせる。
「果物をお湯に入れるの?」
「香りを楽しむためにな」
「食べないの?」
「食べる分とは別だよ」
「もったいないの」
「そこは俺も少し思ってた」
セレーナが首を傾げた。
「湯へ入ることだけが目的ではないのですね」
「そう。風呂を中心にして、ゆっくり過ごす場所だった」
マルタの目が、少しずつ鋭くなっていく。
「ほかには?」
「サウナ」
「さうな?」
「暑い部屋へ入って、汗をかくんです」
「風呂に入ってるのに、さらに暑い部屋へ入るのかい?」
「そうです」
「何のために?」
「気持ちいいから」
マルタの眉間へ深いしわが寄った。
「説明になってないよ」
「ですよね」
ルカが不思議そうにシンジを見る。
「それ、本当に楽しいの?」
「好きな人には、ものすごく刺さる」
「シンジは好きだったの?」
「個人的には、かなり」
「なるほど」
セレーナが静かに頷いた。
「シンジがお風呂に熱心になる理由は分かりました」
「俺の趣味みたいにまとめないでくれる?」
「趣味ではないのですか?」
「……趣味でもありました」
マルタは笑わなかった。机の上で指を組み、じっとシンジを見ている。
「まだあるんだろ?」
「何がですか?」
「あんたの世界の湯場は、湯に入って終わりじゃない」
マルタの目が、獲物を見つけた商人のものへ変わっていた。
「まだ何か隠してる顔だよ」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
次話もお付き合いいただければ嬉しいです。




