第85話 君と帰る場所
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの、
なぜか若返ってアオハルしてる物語をお楽しみください。
「俺には妻がいる」
「はい」
「元の世界へ帰れるなら、帰りたい。その気持ちは今も変わっていない」
「分かっています」
「君は何度も、それを否定しないと言ってくれた」
「はい」
「でも、君をここへ一人残してまで帰ろうとは思わない」
セレーナが息を止めた。
「帰る道が見つかった時、君を連れて行きたい。俺と一緒に来てほしい」
「……いいのですか?」
「何が?」
「奥様が待っていらっしゃる場所へ、私を連れていっても」
「妻がどう受け止めるかは、俺には決められない」
シンジは正直に答えた。
「怒るかもしれない。許されないかもしれない」
「……」
「それでも、君を置いて一人で帰る答えは選ばない」
「シンジ……」
「妻には、俺がすべて話す」
逃げずに、隠さずに、
「君をどうして好きになったのか。君がどんな人なのか。何があったのか」
「はい」
「全部話す」
「……」
「認めてくれと押しつけるつもりはない。妻の気持ちも、君の気持ちも、俺が勝手に決めることはしない」
「はい」
「それでも、三人で答えを探したい」
セレーナは涙を流しながら、ゆっくりと頷いた。
「私も、奥様にすべてお話しします」
「一緒に考えてくれるか?」
「はい」
セレーナの口元へ、かすかな笑みが浮かぶ。
「一緒に考えましょう」
「ああ」
シンジも笑った。
「でも、いいのか?」
「何がですか?」
「巡回書記官が、逆異世界転移しちゃいました、みたいなことになっても」
「転移……しちゃいました?」
セレーナは少し首を傾げ、それからふわりと笑った。
「許されるかどうかは分かりません」
「ですよね」
「ですが、私がそうなるのであれば、許されるかどうかは、転移しちゃいましたのあとで考えます」
「わお。セレーナったら、いけない子だ」
「いけない子は嫌いですか?」
「そういう言い方、ずるいな」
「シンジに出会って、私はいけない子で、ずるい子になってしまいました」
セレーナは泣きながら笑った。
「責任を取ってくださいね」
「ああ」
シンジは迷わず頷いた。
「全部、俺が責任を取る」
そして、セレーナの両手を握る。
「セレーナ」
「はい」
「これは、女将に張り倒されたから言うんじゃない」
「……」
「君の立場を知って、責任を取らなきゃいけないからでもない」
「……はい」
「知る前から、俺は君と一緒にいたかった」
セレーナの唇が震える。
「ただ、その気持ちがどこへ向かうのか、きちんと言葉にする覚悟が足りなかった」
「シンジ……」
「今、俺はその未来を選びたい」
シンジは、一度だけ息を吸った。
「セレーナ」
「はい」
「俺と結婚してほしい」
セレーナの目が、大きく見開かれた。
「君とずっと一緒にいたい」
声にならないまま、涙だけが次々とこぼれ落ちた。
「帰るか、帰らないか。まだ何も分からない」
「はい……」
「それでも、君への答えを曖昧にはしない」
「……はい」
「俺の妻になってほしい」
セレーナは泣きながら、何度も頷いた。
「はい」
ようやく、小さな声がこぼれた。
「こちらこそ……よろしくお願いします」
シンジはセレーナを、もう一度抱きしめた。
今度は、セレーナも強くシンジの背中へ腕を回した。
◇
「あとさ、セレーナ」
「はい?」
しばらくして。
二人は並んで椅子へ座っていた。
セレーナの目元は赤い。
シンジの腫れた頬も、別の意味で赤くなっている。
「女将から、もう一つ言われたんだ」
「何をですか?」
「どこまで君を愛していいのか、本人に聞けって」
「どこまで、とは?」
「いや、ほら」
シンジは頬を掻こうとして、痛みに顔をしかめた。
「男女として、一般的にというか。夫婦になる前提ならというか」
「……」
「好きなら、どうするかというか」
セレーナの顔が、少しずつ赤くなっていく。
「シンジ」
「はい」
「何を聞こうとしているのですか?」
「口づけとか」
「……っ!」
「そ、その先とか」
「シンジ!」
「いや、ちゃんと聞こうと思って!」
「そういうことを、そのまま聞かないでください!」
「でも、セレーナを選んで隣に立っただけで、世間からは子供はまだかと聞かれるんだぞ?」
「そ、それは……」
「それ以上のことをするなら、もう二度と勘違いで君を傷つけたくない」
セレーナは、膝の上で指を組んだ。
「私も……こういう関係は初めてですから」
「うん」
「そのように聞かれても、どう答えればよいのか……」
「嫌なら、嫌と言ってくれればいい」
「嫌ではありません!」
即答だった。
「そ、そうか」
「ですが!」
「はい」
「その……少し、時間をください」
「時間?」
「心の準備をする時間です」
セレーナは真っ赤な顔で続けた。
「私はシンジを受け入れました。その……接吻も、それより先のことも、拒むつもりはありません」
今度は、シンジの顔が熱くなった。
「そ、そっか」
「ですが、受け入れていることと、恥ずかしくないことは別です!」
「はい」
「私にも、心の準備が必要なのです」
「分かりました」
「本当に分かっていますか?」
「今日は、口づけだけにする」
「く、口づけだけ……」
セレーナは両手を胸元へ寄せ、背筋を伸ばした。完全に構えている。
「そんなに力を入れなくていいよ」
「入れていません」
「入ってるよ」
「では、どうすればいいのですか!」
「まず、目を閉じるとか」
「目を閉じればいいのですね?」
セレーナは勢いよく目を閉じた。
「まだ近づいてないから、もう少し待って」
「もう!」
目が開く。その顔は、耳まで真っ赤だった。
「シンジは、私で遊んでいるのですか?」
「まさか」
シンジは小さく笑った。
「可愛いなと思って」
「そういうことを言わないでください!」
「嫌?」
「嫌ではありません!」
「なら」
シンジは、改めてセレーナを見た。
「口づけしてもいい?」
セレーナは息を止めた。しばらく、シンジの顔を見つめる。
「……どうぞ」
シンジは、セレーナの頬へそっと手を添えた。
逃げないことを確かめ、ゆっくりと顔を近づける。
触れる寸前、セレーナの肩が、また強くこわばった。
「セレーナ」
「はい」
「息をして」
「しています!」
「止まってるよ」
「もう! どうしたらいいのですか!」
目を開けたセレーナが、半分泣きそうな顔で訴える。シンジは少しだけ笑った。
「こうする」
「え?」
もう一度、ゆっくりと顔を近づけた。今度は待たせない。
唇が、柔らかく触れた。ほんの短い口づけ。
驚いたセレーナの指が、シンジの服を強くつかんだ。
唇が離れても、セレーナはしばらく目を閉じたままだった。
「セレーナ?」
ゆっくりと目が開く。
「……短いです」
「初めてだから」
「では、次はもう少し長くてもよいと思います」
「セレーナさん、急に大胆になったな」
「シンジが、いけない子でいいと言ったのです」
「そ、そうだったっけな、あはは……」
「責任を取ってくださいね」
セレーナは、恥ずかしそうに笑った。
「ああ」
シンジも笑う。
「全部、俺が責任を取るよ」
二人の距離が、もう一度ゆっくりと近づいていった。
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