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異世界テンプレを信じた俺がバカでした  〜ステータスは出た。スキルもあった。だが、ほぼ履歴書だった〜  作者: 小森こもり
第三章 ~場所~

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第83話 すべてを差し出した人

【前書き】


いつもお読みいただきありがとうございます。




「ちょっと、何で俺は張り倒されたんですか!?」


 宿の奥にある小さな部屋へ入るなり、シンジは抗議した。

 頬が熱い。口の中には、わずかに血の味がした。


「知らないと気づく機会があったのに、聞かずに済ませた罰だよ」


 マルタは椅子へ腰を下ろした。


「無知だっただけなら、張り倒しやしない」


「無知だったことは認めます」


 シンジも向かいの椅子へ座った。


「モリスさんに話すべきだと言われたのに、うやむやにしたことも」

「それなら、よく聞きな」


 マルタの目から、先ほどまでの再会を喜ぶ色が消えた。


「私は、あんたがどうなるかを心配して怒ってるんじゃない」


「俺じゃない?」

「セレーナ様だよ」


 マルタは机へ太い指を置いた。


「巡回書記官が、誰と一緒になるかを強制されないことは知ってるね?」

「はい」


「まあ、理解の程度にもよるが、平民の恋愛や結婚とは違う」

「……はい」


「貴族同等、もしくはそれ以上の立場になるセレーナ様が、貴族にも、領主にも、教会にも、機関にも決めさせない。誰にも口を出させず、自分で相手を選ぶ権利を持っている」


「貴族以上? 確かに敬われてるというのは理解してますが……」


「巡回書記官っていうのはね、この世界で生きている人からしたら、ありがたい存在で、怖い存在でもあるんだよ。生きた神様って言う人もいるぐらいだ」


「生きた神様!?じゃあ聖女様じゃん!」

「聖女?そんな遠い存在じゃないさ。ちゃんと我々の暮らしの中にいてくれる、身近でありがたい人さね」


 セレーナのこと、本当に知らないことだらけだな。


「そっか。そういう目で見られているから、みんな様付けしてるんだな」

 偉いというより、尊敬と畏怖、そういった意味なんだなと。


「真面目に生きてる人間からしたら、本当に神様みたいな存在さ」


 神様か……ん?ちょっと待てよ。


「でも、悪いことひとつ許されない世界ってすっごく窮屈じゃない?」

 そんな何でも分かってしまう世界って生きづらいよなあ。


 それを聞いたマルタは呆れたように。


「そこも大馬鹿だねえ。何でも裁いてもらってたら、どれだけ巡回書記官がいると思ってんだい? 小事や当人同士で話し合って済むものは個人の責任だ。」


「確かに……すまん、極論過ぎた」

 シンジはばつが悪そうに頭をかいた。


「それでも解決できない、許されないなら役場か支所へ訴える。 そして、そこでも解決しない悪事や、黒沼のような世界が許容出来ない問題の先にいるのが、巡回書記官さ」


 なるほど。この世界ならではのシステムだな。


「おっと、話が逸れちまったね。あんたはそんなセレーナ様に選ばれたってことだ」

「あ、はい」


「そして、セレーナ様の血筋を世間が望んでいる」


 ふと、前にアリーシャが話していたことを思い出した。

 似たようなことを言ってたな。


「……すごく期待されていることはわかりました」

 想像以上に大事なことだったとシンジは思い改めた。


「だがね。誰にも強制されないということは、選んだ結果も自分で背負うということだ」

「……」

「セレーナ様は、あんたを選んだ」


 領都の大通りで、セレーナはシンジの隣を歩いた。

 大勢に見られても、つないだ手を離さなかった。


 そして、自分の口で言った。


 私は、シンジを受け入れました。


「セレーナ様ほどの方が、男を受け入れたと公に口にする」


 マルタの声は低い。


「それを聞いて、ただ気持ちを受け入れただけだと思う者はいない」


「では、どう受け取られるんですか?」

「婚約だよ」


 シンジの喉が鳴った。


「いや、巡回書記官ほどの立場なら、普通の婚約よりも重い」

「婚約よりも?」

「あの方が、自分の立場も、心も、身体も、これから先の人生も、すべてその男へ預けたと見られる」


「ちょっと待ってください!」


 シンジは思わず身を乗り出した。


「身体までって……俺たち、キス……く、口づけすらしてませんよ!」

「そんなことを、いちいち説明しながら歩くのかい?」

「いや、そういうつもりじゃ……」

「それとも、どこかへ看板でも立てるかい?」


 マルタが机を叩いた。


「シンジとセレーナ様は、まだ接吻すらしておりません、ってね!」

「だから、そういう意味じゃなくて!」

「だから大馬鹿だと言ったんだ!」


 怒声が部屋へ響いた。


「あんたたちが、どこまで身体を許し合っているかなんて関係ない!」

「関係ない?」

「あんたを選び、さっきのように隣で手を握っていた。その時点で、世間からはすべてを許し合った男女として見られるんだよ」


「でも、順番ってあるじゃないですか」

「順番?」

「付き合って、互いを知って、婚約して、結婚して。そのあとに子供ができる」


 マルタが眉を寄せた。


「それが、あんたの世界の流儀なのかい?」

「基本的には、そうです」


「面倒な世界だねえ」

「面倒?」

「こっちじゃ、子供が生まれることは慶事だ」


 マルタは呆れたように鼻を鳴らした。


「男と女が一緒にいて、互いに望み合っていれば、できる時にはできる」


「結婚前でも?」

「結婚だの婚約だの、いちいち順番を待たなきゃ子供を作っちゃいけないなんて、ずいぶん窮屈な話だね」


「でも、婚姻前に子供ができたら、母親や子供の立場が悪くならないんですか?」

「どうして悪くなる?」

「男が父親になることを拒んで、女と子供の前から逃げたら?」


 マルタは目を丸くした。次の瞬間、心底呆れた顔になった。


「そんなことをした男を、世間が許すわけないだろう」

「許さない?」


「支所へ訴えられれば、逃げた男は父親としての責任を負わされる」

「それでも拒んだら?」

「労働施設行きだよ」

「労働施設……」

「子供を捨てた親も同じだ。男だろうが女だろうが関係ない」


 マルタは腕を組んだ。


「子供ができるような真似をするなら、それだけの覚悟が必要なのは常識だ」

「……」


「覚悟もなく、ただ欲を満たしたいだけなら、娼館へ行けという話だよ」


 シンジの中で、覚えのある知識がつながった。


「あ……そっか。エルストリアの記憶か」

「その名を知ってるなら、話は早いさね」


 子供を捨てることへの厳しい罰。

 血筋や婚姻の有無よりも、子供を作った者が親として責任を負うという考え方。


「ファンタジー最強じゃないか……」

「ふぁんたじ? 何を言ってるか知らないけどね」


 マルタはシンジを指した。


「あんたはセレーナ様に選ばれた」

「……はい」


「あんたも、あの方の隣に立つことを選んだ」

「はい」


「なら、世間から子供はまだですかと聞かれても、おかしなことじゃない」

「結婚もしてないのに?」

「だからこの時点で、もうすることが前提だ!」


 マルタは言い切った。


「いや、それより重い」


「……」


「セレーナ様は、自分の立場も、心も、身体も、未来も、すべてあんたへ差し出した」


「……」

「そう見られることを知ったうえで、あんたを選んだんだ」


 シンジは、何も言えなかった。


「では、もし俺がいなくなったら、セレーナは……」

「どうなると思う?」

「俺を選んだ判断を疑われる」

「それだけじゃない」

「巡回書記官としての信用も失うかもしれない」

「それだけでもない」


 マルタの指が、机を一度叩いた。


「あの方は、あんたにすべてを与えたあとで、捨てられた女性として扱われる」


「捨てられた……」

「自分で選ぶ権利を持っていたくせに、ろくでもない男を選んだ」


 マルタは、言葉を吐き捨てるように続けた。


「権限を使って誰にも口を出させなかったくせに、男を見る目がなかった」


「……」

「利用され、心を奪われ、身体まで奪われた。それなのに、何も残らなかった女だとね」

「だから、身体を奪ってはいません!」

「あんたが、それを叫びながら町中を歩くのかい?」

「……」


「セレーナ様ご本人に、私は何もされておりませんと、一人ずつ説明させるつもりかい?」


 シンジの顔から血の気が引いた。


「そんなことは……」


「なら、分かるだろ」


 マルタは唇を強く結んだ。


「この世界は、捨てられた女に優しくない」


 その言葉には、怒りだけではないものがあった。


「次はもっといい男を探せばいい。そんな商品選びのような話じゃない」

「……」


「特に、セレーナ様ほどの立場にある未婚の女性はね」


 マルタの声が、わずかに震えた。


「心も身体も、一度男へ差し出した女」

「……」

「口の悪い者なら、手垢がついたと言う」


 シンジの眉が動いた。


「出がらしだと笑う者もいる」

「ふざけるな!」


 低い声が、シンジの口から漏れた。


「セレーナは、そんな女じゃない!」

「私だって、そう思ってるよ!」


 マルタの手が机を叩いた。


「だから怒ってるんだ!」


 部屋へ声が響いた。


「セレーナ様は何も悪くない。でも、あんたのあの言葉で、そう受け取られる場合もあるんだよ!」

「……」

「自分で選んだ。それだけだと、あの方はおっしゃった」


 マルタの目に、強い光が宿っていた。


「なのに、選んだ男が消えたというだけで、あの方が汚されたように扱われる」

「……」

「見る目がなかったと笑われ、もう子供だけ産んで責任果たせと言われるだろう」

「……」

「それだけの覚悟をしたうえで、あの方はあんたを選んだんだよ」


 シンジの胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。


 立場。心。身体。未来。

 セレーナは、それらすべてをシンジへ捧げたと見られる覚悟をしていた。


 口づけを交わすことも。

 身体を重ねることも。

 その先に子供が生まれることも。

 初めから、すべてを受け入れる覚悟でシンジを選んだ。

 先の見えない未来で、怖かっただろう。

 自分の持っているすべてを失うことになるかもしれない。

 それでも、彼女はシンジを選んだ。


「それを俺は……恋人になったばかりだと」

「そうだよ」

「まだ先のことは分からないと、セレーナの前で……」

「そうだ!」


 シンジは両手で顔を覆った。


「大馬鹿だ……」

「ようやく分かったかい」

「はい」


 しばらくして、シンジは顔を上げた。


「一つ、女将さんが知らないことがあります」

「何だい」

「俺には、元の世界に妻がいます」

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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