第78.8話 閑話 推薦状
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
書記官時代(普通の)のセレーナストーリー ラストになります。
任用審査室は、記録室よりも塔の内側にあった。
部屋の中央には、小型の記録盤。
その向こうに、三人の書記官が座っている。
一人は任用を担当する書記官。
一人は記録板を管理する書記官。
もう一人は、巡回書記官の任用と監督を担う上級書記官だった。
机の上に、一通の封書が置かれている。
厚い紙。
深い青の封蝋。
レグフォード辺境伯の紋章。
「セレーナ書記官」
「はい」
「あなたを、巡回書記官任用の候補者として審査します」
セレーナは、わずかに息を止めた。
「こちらは、レグフォード辺境伯から届いた、あなたへの正式な推薦状です」
「辺境伯様が、私を?」
「はい」
「そして、こちらは機関宛てに届いた、派遣理由を添えた依頼書です」
封蝋には、辺境伯本人の公印が使われている。
書式にも不備はない。
推薦状がなければ、巡回書記官の任用審査には進めない。
通常は長い年月をかけて実績と信用を積み重ね、推薦を得る。
欠員、増員、世代交代。
理由はさまざまだが、通常は推薦された複数の候補者によって審査が行われる。
巡回書記官には、一般の書記官には許されない術が授けられる。
エルストリアの記憶へ、より深く触れる権限。
人の身分や財産、時には生死にまで関わる判断。
それを預ける者には、本人の能力だけでなく、その人物を公に推す者が必要だった。
さらに、該当地域の責任者である領主が、巡回書記官の派遣を正式に希望する必要がある。
今回は、その二つがすでにそろっている。
領主本人が推薦状を出したことで、審査を受けるのはセレーナ一人だった。
けれど、推薦状があれば任用されるわけではない。
推薦されたからといって、本人が巡回書記官を望むとも限らない。
推薦は、審査への扉を開くものにすぎない。
審査を開いたとしても、適任者なしと判断されることはある。
任用担当書記官が、小型の記録盤へ手を置いた。
淡い光の中に、セレーナの記録が浮かび上がった。
【書記官本試験:合格】
【合格時期:学院在学中】
【中央本部勤務:一年】
【記録照合精度:極めて高い】
【欠落及び矛盾の発見:多数】
【法文及び事例記録の理解:高】
文字が切り替わる。
【神聖魔法適性:高】
【風魔法適性:高】
【魔力制御:極めて良好】
【権限逸脱記録:なし】
【記録への故意の干渉:なし】
学院で積み上げたもの書記官本試験の結果。
本部で働いた一年間、紙の山と記録盤の前で、セレーナが一つずつ残してきた実績。
そのすべてが並んでいる。
「辺境伯領では、隣接していた子爵領の併合後、巡回区域が大きく広がっています」
上級書記官が言った。
「増員の必要性は、現地支所と地方本部からも報告されています」
「はい」
「辺境伯は、あなたが巡回書記官に必要な能力と資質を備えているとして、正式に推薦しています」
セレーナは、机の上の推薦状を見た。
なぜ、辺境伯様が自分を知っているのか。
推薦状には、学院での成績だけでなく、魔法の扱い方や、力を見せびらかすことを好まない性格まで記されているという。
成績表だけを調べても、そこまでは分からない。
これを知り、そう言ってくれる人物の心当たりは、一人だけだった。
けれど今は、推薦状の由来を考える場ではない。
上級書記官が問いかける。
「あなたは、巡回書記官になることを望みますか?」
「はい」
答えは、すぐに出た。
「理由を聞かせてください」
セレーナは一度、息を整えた。
その答えは、ずっと前から決まっている。
「記録することで、守れるものがあるからです」
「続けてください」
「本部の仕事は必要です。現地から届いた記録を精査し、誤りを正し、人間の歴史として残す者がいなければなりません」
紙の山。
その向こうにいる、顔の見えない人々。
「ですが、記録になる前に失われるものもあります」
言えなかった言葉。
聞かれなかった訴え。
間違ったまま、正しいものとして扱われてしまった事実。
「私は、書かれた文章を正したいだけではありません」
声が、わずかに低くなる。
「間違ったまま残される人や事実を、少しでも減らしたいのです」
三人の書記官は、何も挟まなかった。
「そのために、現地へ行きたいと思っています」
「自分が正しい判断を続けられると考えていますか?」
「分かりません」
セレーナは、迷わず答えた。
「間違える可能性はあります」
「怖くはありませんか?」
「怖いです」
「それでも?」
「はい」
小型の記録盤が、淡い光を放っている。
「間違える可能性があるからこそ、事実を確かめます。判断の理由を残します。後から誤りが見つかった時に、正せる記録を作ります」
上級書記官は、しばらくセレーナを見つめた。
「巡回書記官には、一般の書記官には許されない術が授けられます」
「承知しています」
「世界の記憶へ触れる力に、酔わないと言えますか?」
「力を持つことが目的ではありません」
「では、目的は?」
「間違いを減らすことです」
上級書記官は、静かに頷いた。
領に、巡回書記官が必要とされている。
辺境伯の正式な推薦がある。
推薦された者には、その役目を担える能力と資質がある。
どれか一つだけでは足りない。
そのすべてが、今、同じ場所にそろっていた。
「最終任用審査へ進みますか?」
「はい」
「中央本部の中だけで仕事を終えることはできなくなります」
「望むところです」
三人の書記官が同時にセレーナを見た。
「何か?」
「いえ」
任用担当書記官が、わずかに口元を緩めた。
「思ったより、はっきり答える方だと思っただけです」
「質問の意味が明確でしたので」
「……なるほど」
記録板管理官が小さく呟く。
上級書記官は、審査開始の書類へ印を入れた。
紙の縁を淡い光が走る。
「一つだけ、忠告があります」
「何でしょう?」
「正しいことを伝える前に、相手の顔を見てください」
セレーナは眉を寄せた。
「判断が変わるのですか?」
「判断ではなく、伝え方が変わります」
先輩書記官と同じことを言われた。
「努力します」
「必要とされる巡回書記官にはなれるでしょう」
上級書記官は続ける。
「できれば、少しは好かれる巡回書記官になってください」
「少しでよいのですか?」
「あなたには、まずそこからで十分です」
◇
最終審査を終え。
教会で、巡回書記官にのみ許される禁忌魔法の適性を認められ。
機関で、記録板を預けるに足る人物であると判断され。
セレーナは、正式に巡回書記官へ任用された。
最初の赴任先として告げられたのは、レグフォードを中心とする辺境伯領だった。
領域の拡大。
現地の人員不足。
辺境伯の推薦。
学院と本部で積み重ねた、セレーナ自身の能力と実績。
すべてが重なった結果だった。
赴任の日程を確かめていたセレーナのもとへ、一通の手紙が届いた。
差出人は、アリーシャ。
辺境伯家の紋が入った封筒だったが、封を閉じているのは公印ではない。
花と小鳥を組み合わせた、アリーシャ個人の封印だった。
手紙は相変わらず、話がよく横道へそれた。
屋敷で飼っている鳥が逃げかけたこと。
母親と仕立て職人が、衣装の飾りを巡って言い争ったこと。
幼馴染だった相手が、婚礼の作法を覚えられず困っていること。
そして文章の途中に、まるで前から決まっていた予定のように書かれていた。
『結婚することになったわ』
セレーナは、その一行を一度通り過ぎた。
数行進んでから戻った。
『式の日は決まったから、必ず来ること』
『仕事が忙しいという返事は認めません』
『あなたが来ないなら、花嫁衣装のまま迎えに行きます』
『たぶん止められるけれど、それでも行きます』
セレーナは手紙を読み終え、静かに息を吐いた。
「相変わらず、強引ね」
赴任の日程と、結婚式の日付を並べる。
間に合う。
特に旅程を急がなくても、十分に、セレーナは二度、日付を照合した。
間違いはなかった。
「アリーシャ……」
セレーナは困った笑みを浮かべながら、いつまでもその手紙を見つめていた。
◇
結婚式の日。
花嫁衣装をまとったアリーシャは、セレーナの姿を見つけると、満足そうに笑った。
「間に合ったわね」
「ええ」
「巡回書記官就任、おめでとう」
「ありがとう」
「それから」
アリーシャは少しだけ顔を近づけた。
「来てくれて、ありがとう」
「招待されたもの……違う、言い直すわ」
セレーナは、アリーシャの顔を見た。
嬉しそうだった。
けれど、少しだけ泣きそうにも見える。
正しい言葉を探す前に、相手の顔を見る。
本部で、何度も言われたことだった。
「私も、来られて嬉しいわ」
アリーシャが目を見開いた。
「セレーナ?」
「何?」
「本当にセレーナよね?」
「失礼ね」
アリーシャは声を上げて笑った。
その笑い方は、学院にいた頃と何も変わらない。
「わたしの勘、当たったでしょう?」
「何のこと?」
「あなたは、すっごく変で、すっごく素敵な書記官になるって言ったこと」
「変は余計よ」
「でも、巡回書記官になった」
「ええ」
「そして、レグフォードへ来た」
「ええ」
「結婚式にも間に合った」
「それは任用と赴任の日程が重なった結果よ」
「そうね」
アリーシャは、楽しそうに目を細めた。
「本当に、素敵な巡り合わせね」
セレーナは、少しだけ首を傾げた。
辺境伯から届いた推薦状。
そこに記されていた、自分の能力と人格。
なぜ辺境伯がそこまで詳しく知っていたのか。
一瞬だけ疑問が浮かんだ。
だが、目の前の友人は、何も知らないような顔で笑っている。
今ここで尋ねても、素直に答えるとは思えなかった。
「アリーシャ」
「何?」
「結婚、おめでとう」
アリーシャは、一瞬だけ目を丸くした。
それから、花が開くように笑った。
「ありがとう、セレーナ」
◇
推薦状は、巡回書記官への扉を開いた。
だが、その扉をくぐることができたのは、セレーナが積み上げてきたものがあったからだ。
学院で学んだこと。
在学中に合格した書記官本試験。
本部で紙の山と向き合った一年。
一つの誤りも見過ごさず、世界の記憶と人の記録を照らし合わせ続けた日々。
辺境伯の推薦。
領が巡回書記官を必要としていた時期。
そして、セレーナ自身の願い。
そのすべてが、一枚の推薦状の先で重なった。
紙の山を読んでいた書記官はその紙が生まれる前の場所へ向かう、巡回書記官になった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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