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異世界テンプレを信じた俺がバカでした  〜ステータスは出た。スキルもあった。だが、ほぼ履歴書だった〜  作者: 小森こもり
第三章 ~場所~

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第78.4話 閑話 紙の山

【前書き】


いつもお読みいただきありがとうございます。


今回は閑話として、セレーナの書記官時代(普通の)のお話です。



 学院を卒業して、一年。

 セレーナは、機関本部の記録室で紙の山と向き合っていた。


 ただし、そこへ積み上げられているのは、各地からそのまま運ばれてきた報告書ではない。


 巡回書記官の記録板。

 各地方の書記官支所。

 それらを束ねる地方本部。


 遠く離れた土地から光となって届いた記録を、本部の記録盤でエルストリアの記憶と照合する。


 欠けていないか。


 誤っていないか。


 人の手を渡る間に、都合よく形を変えられていないか。


 照合を終えた事実は、人間の側でも保管できるよう、紙へ定着される。


 その紙を整理し、封じ、必要な時に正しく取り出せるよう残していく。


 それが、本部書記官の仕事だった。


「セレーナ、北西地方本部から届いた記録を見てもらえる?」


 先輩書記官の声に、セレーナは顔を上げた。


「どの事案ですか?」

「街道沿いの土地売買。照合が一度止まっているものよ」


 セレーナは、壁際に置かれた記録盤の前へ立った。


 磨かれた黒い石のような盤面に手を触れる。

 淡い光が指先から広がり、銀色の文字が浮かび上がった。


【北西地方本部より送付】

【事案:土地売買契約の不履行】

【現地記録者:巡回書記官】


 巡回書記官が現地で記した内容。

 支所で行われた一次照合。

 地方本部で整理された報告。


 それらが、光の文字となって順番に並んでいく。

 セレーナは静かに目を通した。


 やがて、流れる文字の一部を指で止める。


「この記録は定着できません」

「何かあった?」


 先輩書記官が隣へ来た。


「巡回書記官の記録では、契約の成立は日没前です」


「ええ」

「地方本部の報告では、日没後になっています」


「鐘一つほどの違いね」

「その鐘一つの間に、売り手は別の者から代金を受け取っています」


 セレーナは記録盤へ、もう一度触れた。


【エルストリアの記憶へ照合】

【事象発生時刻を確認】


 三つの時刻が盤面へ並ぶ。

 現地の記録板へ刻まれた時刻。

 地方本部がまとめた時刻。

 エルストリアの記憶に残されている時刻。


「現地の巡回記録が正しいです」


「地方本部で書き移す際の誤りね」


「はい。契約が日没後に成立したことになれば、最初の買い手との契約が無効と判断される可能性があります」


「鐘一つで、土地の持ち主が変わるのね」

「鐘一つだからこそです」


 セレーナは誤りを示す印をつけ、地方本部へ再確認を求めた。

 盤面から一筋の光が伸び、床に刻まれた紋様へ溶けていく。


 やがて、その記録は北西地方本部へ送り返される。


「相変わらず細かいわね」

「必要な確認です」


「褒めているのよ」

「そうなのですか?」


 先輩書記官は小さく笑った。


「そういうところよ、セレーナ」


 また言われた。


 学院時代にも、同じことを何度も言った友人がいた。


 何がそういうところなのか。

 一年経った今も、セレーナには完全には理解できていなかった。


     ◇


 照合を終えた記録は、定着室で紙へ移される。


 定着台へ置かれた白紙の上に、淡い文字が浮かぶ。


 光の文字はゆっくりと紙へ沈み、消えない黒へ変わっていく。

 最後に担当書記官が内容を確認し、自らの印を入れる。

 紙の縁を光が走り、機関の封印紋が焼きつけられる。


 それでようやく、一つの正式な記録になる。


 地下の保管庫には、そうして作られた紙が積み重なっていた。


 国の始まりより古い記録。

 すでに滅びた町の記録。

 何百年も前に交わされた契約。


 今では名を知る者のいない人々が、確かに生きていたという記録。


 世界の記憶から、人間の歴史へ降ろされた事実の山だった。


「セレーナ、これもお願い」


 隣の机から、紙の束が押し込まれた。


 置かれたというより、セレーナの机に残っていたわずかな隙間へ差し込まれた。

 セレーナは、一番上の紙を見る。


「北部の境界事案ですね」

「そうよ」


「街道税の記録が混ざっています」

「そうなのよ」


「定着前の照合票まで入っています」

「それもあるわね」


 先輩書記官は悪びれずに笑った。


「だから、セレーナにお願いしているの」

「混ぜた方が分けるべきでは?」

「分けられる人が分けた方が早いでしょう?」


「その方法では、混ぜても誰かが直してくれると認識されます」

「はいはい、正論正論」


 先輩は軽く手を振り、自分の席へ戻った。

 正論。

 正しいという意味のはずだった。


 けれど、この言葉を使われる時、相手はあまり嬉しそうではない。


「……また、そういうところなのね」


 セレーナは小さく呟き、紙の束を引き寄せた。


     ◇


「ねえ、セレーナ」

「はい」

「あなた、愚痴を言わないの?」


 昼を少し過ぎた頃、先輩書記官が机越しに尋ねた。


「愚痴、ですか?」

「そう。紙が多すぎるとか、地方本部の識別紋が分かりづらいとか、誰かがまた記録を混ぜたとか」


「先ほど指摘しました」

「あれは指摘。愚痴とは違うわ」


「何が違うのですか?」

「解決しなくていいの」


 セレーナは手を止めた。


「解決しないのですか?」

「ただ言うだけよ」


「何のために?」

「心を少し軽くするため」


 セレーナは考えた。

 学院の中庭で、焼き菓子を渡された時のことを思い出す。

 試験にも出ない。

 記録にも残らない。

 何のための時間なのか、当時はよく分からなかった。


 けれど、少しだけ心が軽くなったことは覚えている。


「分かりました」


 セレーナは姿勢を正した。


「では、愚痴を言います」

「どうぞ」


「北西地方本部から届く記録は、境界事案と街道事案の識別紋が似すぎています。色だけでなく紋様そのものを変えるべきです。照合待ちと差し戻し済みの記録を同じ棚へ置く方法にも問題があります。また、定着室から保管室へ移す際の確認印が一人分しかないため、担当者が不在の場合に記録が停滞します。少なくとも二名が引き継げるように――」


 先輩書記官は黙った。


 それから、額を押さえた。


「それは愚痴ではないわ」

「違うのですか?」


「本部全体の改善提案よ」


「難しいですね」

「あなた、巡回書記官になったら嫌われるわよ」

「なぜですか?」

「正しいから」


 セレーナは眉を寄せた。


「正しくない方がよいのですか?」

「そういう意味ではないわ」


「では、どういう意味ですか?」

「正しいことを、相手が受け取れる形で言えるようになりなさいということ」


「内容が正しければ、伝わるのでは?」

「伝わらないから言っているのよ」


「なぜですか?」

「それを説明していたら、今日の仕事が終わらないわ」


 先輩書記官は深いため息をついた。


「本当に、そういうところね」

「学院の友人と同じことを言います」


「大切にした方がいいわよ、その人」


「なぜですか?」

「あなたを理解した上で、付き合い続けているから」


「そうでしょうか」

「少なくとも、あなた自身よりは理解しているでしょうね」


 納得はできなかった。


 だが、否定する根拠もなかった。


     ◇


 本部には、世界中の記録が集まってくる。

 村と村の境界争い。

 商人同士の契約。

 領主の決裁。

 誰かの訴え。

 誰かの嘘。

 誰かの沈黙。

 セレーナは毎日、遠い土地で起きた出来事に触れていた。


 けれど、触れられるのは記録だけだった。


 照合を許された光の断片。


 巡回書記官が記録板へ残した事実。


 支所や地方本部が、人に伝わる形へ整えた言葉。

 怒っていた者が、どんな顔をしていたのか。

 怖がっていた者が、どんな声で訴えたのか。

 何も言えずに黙っていた者が、本当は何を伝えたかったのか。

 それは、完全には届かない。


 現地の巡回書記官が何を見て、なぜその問いを選び、どの沈黙を待ったのか。

 記録から読み取れることはある。


 それでも、その場に立った者にしか分からないものがある。

 世界中の記録が集まる場所にいながら、セレーナは一度も、その出来事が起きた場所に立ったことがなかった。


 紙の山を嫌っているわけではない。

 世界の記憶を、人間の歴史へ変える仕事に誇りもある。


 ただ、自分が本当に望んでいる場所は、この紙のこちら側ではない。


 その思いだけは、一年経っても変わらなかった。


     ◇


 その日の夕刻。


 記録室の高い窓から差し込む光が赤くなり始めた頃、黒い制服を着た伝達書記官が入ってきた。


「セレーナ書記官」

「はい」


「任用審査室より、出頭の指示です」


 差し出された封書には、機関本部の封印が押されていた。


「今からですか?」

「はい」


 先輩書記官が、セレーナの手元を覗き込んだ。


「何かしたの?」

「心当たりはありません」

「あなたの場合、その答えは安心してよいのか不安になるのよね」

「なぜですか?」

「行ってきなさい」


ここまでお読みいただきありがとうございます。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。


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