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異世界テンプレを信じた俺がバカでした  〜ステータスは出た。スキルもあった。だが、ほぼ履歴書だった〜  作者: 小森こもり
第三章 ~場所~

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第77話 受け取りました

【前書き】


いつもお読みいただきありがとうございます。




 笑いが収まると、客間に再び静けさが戻った。


 今度の沈黙は、気まずさから生まれたものではない。

 まだ口にしていない大切な言葉を、互いに待っている時間だった。


 シンジは少し冷めかけた茶を口へ運んだ。


 その温かさに背中を押されるように、口を開く。


「俺には、帰りたい場所がある」

「はい」


「妻もいる」

「知っています」


「この先、どうなるのかも分からない」

「私もです」


 セレーナは茶器を両手で持ち、静かにシンジを見ていた。


「それでも、セレーナにそばにいてほしいと思うのは、俺のわがままなんじゃないかって考えてしまう」

「……それでいいと思います」


「いいのか?」

「はい」


 セレーナは迷わず頷いた。


「私は、シンジに帰ってほしくないとか、奥様を忘れてほしいとは思っていません」

「本当に?」


「はい。そのうえで、そばにいられる間は、そばにいたいと思っています」

「でも、それじゃ俺の事情に合わせて、セレーナを振り回していいのかって……」


「も、もちろん、今すぐ結婚しようとか、こ、子供をつくろうとか、そういう意味ではなくてだな!」


 シンジが慌てて手を振る。


「えっと、そこまでしたいとか、そういうことを考えているわけじゃ……」


 言いかけて、セレーナの顔を見た。


 その表情が、ほんの少しだけ寂しそうに見えた。

 シンジは、自分がまた逃げようとしていることに気づいた。

 結婚なんて考えていない。

 子供なんてあり得ない。

 そう言えば、簡単に線を引ける。


 だが、本当にそれでいいのか。


「いや」


 シンジは小さく首を横へ振った。


「ちゃんと向き合わないとな」

「シンジ?」

「結婚も、子供も、その先にあるかもしれない未来の一つだ」


 セレーナの瞳が揺れた。


「はい」


「そこまで考えない。考えたくない。それは嘘になるから、言わない」


「……はい」


「今は、目の前にいるセレーナに、そばにいてほしい」


 シンジはセレーナをまっすぐ見た。


「これは本心だ。心から、そう思ってる」

「私も……そう思っています」


「妻のことも、帰ることも、セレーナとの未来も、全部まだ分からない」

「はい」


「帰れる保証もない。方法も分からない。だからといって、帰る未来とセレーナとの未来、どちらかを今ここで捨てるなんてことはしたくない」


 虫のいい話かもしれない。

 都合のいい男に見えるかもしれない。


 それでも、今のシンジが口にできるのは、それがすべてだった。


「……はい」


「まだ、お互いの気持ちも、これからのことも始まったばかりだ」

「はい」


「二人で決めていこう」


 シンジはセレーナの手へ、自分から手を伸ばした。

 今度は差し出して、相手が取ってくれるのを待つのではない。

 シンジが自分の意志で、その手を取った。


「っ……シンジ……」


 さらに一歩踏み込み、セレーナの指へ自分の指を絡める。

 驚いたセレーナの指が、しばらくして遠慮がちに握り返してきた。

 胸の奥で、何かが大きく鳴った。


 迷いが消えたわけではない。

 妻がいる自分が、別の女性にこんな気持ちを抱いていいのか。

 帰る日が来た時、どうするのか。

 答えは、まだどこにもない。


 それでも、迷いを理由に黙れば、また自分の気持ちから逃げることになる。

 それだけは、もうしたくなかった。


「好きだ、セレーナ」


 セレーナの瞳が大きく開いた。


「俺は、セレーナを一人の女性として好きになった」


 先ほどアリーシャに言わされた言葉ではない。

 シンジ自身が選び、口にした言葉だった。


「これからも、そばにいてほしい」


 セレーナの目に、涙が浮かぶ。


「今すぐ、愛しているなんて大きなことは言えない」

「……はい」


「でも、これからもっとセレーナを知って、いつか胸を張って、愛していると言えるようになりたい」


 シンジは、つないだ手へ力を込めた。


「俺のことも、もっと知ってほしい。いつか、セレーナにも愛してもらえるように努力する」


 セレーナの瞳から、涙が一粒こぼれた。


「今は、これだけで精一杯だ」


 シンジは小さく息を吸った。


「受け取ってくれないか?」

「はい」


 セレーナは涙を拭わず、シンジを見つめた。


「受け取りました」


 その声は震えていた。


 けれど、その表情には迷いがなかった。


「私も、シンジが好きです」


 セレーナの頬が赤く染まる。


「異性として」


 今度はシンジが息を呑んだ。


「もっとシンジのことを知りたいです。私のことも、もっと知ってほしい」

「うん」


「そして、その……」


 セレーナは何度か口を開き、ようやく言葉を押し出した。


「あ、愛してもらえるように、が、頑張ります」

「そこは頑張らなくてもいいよ」

「でも!」

「今のセレーナのままでいい」


 シンジが笑う。


「そのセレーナを、好きになったんだから」


「シンジ……」


 二人の間にあった距離が、少しずつ縮まっていく。


 シンジはセレーナの手を握ったまま、顔を近づけた。


 セレーナは何が起きるのか分からないように、目を見開いている。


 だが、逃げなかった。


 シンジの顔が近づくにつれて、セレーナの呼吸が止まる。


 やがて、どうすればいいのか分からないまま、そっと瞼を閉じた。


 その時だった。


「ねえ、ミア。お湯の準備は二人分でいいんだっけ?」

「ノーラ、静かに! 客間まで聞こえちゃうでしょう!」


 廊下から聞こえた声に、二人は同時に目を開いた。


「……」

「……」


 ぱちくりと目を瞬かせる。

 次の瞬間、弾かれたように距離を取った。


 セレーナはシンジへ少し背を向けるように座り直す。

 シンジは顔を真っ赤にしたまま、廊下の方角を見た。


 お湯を二人分?

 何の準備だ。


 ちょっと待て、ここの住人、全員アリーシャ旋風に感染してないか?


「あ、あの、シンジ」

「はい!」

「そ、そういうことは、まだ早いというか、その……もう少し待ってもらえると……」


 セレーナの声が完全に上ずっている。


「待て! 俺が望んで準備させたんじゃない!」


「そ、そうですね! ミアとノーラが勝手に言っているだけですね!」

「そうだ! まず落ち着こう!」

「はい! あとで二人には厳しく言っておきます!」

「とりあえず、茶を飲もう!」

「はい!」


 二人は同時に茶器を持ち上げた。

 互いの顔を見ないまま、冷めかけた茶を一気に飲む。


 扉の向こうから、小さな咳払いが聞こえた。

 いつの間に戻っていたのか、軽やかなノック後、エドガーが静かに扉を開ける。


「失礼いたします」

「エドガー!」


「ミアとノーラには、私から申し聞かせておきます」

「お、お願いします!」


 セレーナが強く頷く。

 エドガーは一度、二人の座る位置を確認した。


 そして、何事もなかったかのように告げる。


「なお、お話の続きをなさる場合は、もう少し人目のない場所へお移りになることをお勧めいたします」

「エドガー!」


「失礼いたしました」


 エドガーは静かに扉を閉めた。

 再び二人きりになる。


 シンジとセレーナは、しばらく扉を見つめていた。


 やがて、どちらからともなく顔を見合わせる。


「……全員、感染してるな」

「否定できません……」


 二人は同時にため息をついた。


 そして、堪えきれずに笑った。

 アリーシャ旋風は、もう遠くへ去った。


 だが、吹き飛ばされた心の壁は戻らない。


 重ねた手の温かさも、互いに伝えた言葉も。

 

 もう、なかったことにはできなかった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。


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