第7話 光る瓶の村
お読みいただきありがとうございます。
真司の異世界実務サバイバル、続きです。
言葉も常識も違う世界で、彼が何を見て、どう考え、どう動くのか。
引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。
光る瓶が吊るされた入口の梁。
格子状に組まれた木の門。
そこを境に、村人とルカ達が話し合っていた。
御者が御者台から身を乗り出し、門の内側へ向かって何かを説明する。
ルカも幌の中から声を張った。
若い護衛は、馬車の後ろ側にいた。
荷台の後部を気にしながら、門の方へ何度も視線を送っている。
剣に手をかけてはいない。
けれど、身体の奥で怒りを押し殺しているのが分かった。
真司は一歩下がった。
自分が前に出れば、余計にこじれる。
黒沼に触れた手を持つ、言葉の通じない異邦人。
この場で一番怪しいのは、間違いなく自分だ。
「……現場の空気、最悪だな」
小さくこぼすと、視界の左隅に半透明の板が浮かんだ。
【周囲反応:警戒】
【黒沼反応:外部検知あり】
【推奨:不用意な接近の回避】
「分かってるよ。俺だって好きで危険物扱いされてるわけじゃない」
真司は黒い指先を少しだけ身体から離した。
触れる場所がない。
服にも。
馬車にも。
誰かにも。
自分の手なのに、まるで借金の督促状みたいな扱いに困る。
◇
門の内側にいた年配の男が、低い声で何かを指示した。
一人の村人が奥へ走る。
戻ってきた男の手には、小さな木箱があった。
箱の中から取り出されたのは、掌に収まるほどの瓶だった。
門に吊るされたものより小さい。
だが、中の水は同じように青白く光っている。
確認用。
真司はそう理解した。
年配の男が、小瓶を門の隙間から差し出す。
馬と御者台は、門に近い。
御者は御者台から降り、その小瓶を受け取った。
村人たちは、門の内側から息を詰めて見守っている。
御者は小瓶を持って、馬車の横を通り、荷台の後ろへ回った。
門の内側にいる村人たちからは、その先はよく見えない。
馬と御者台。
その後ろに幌付きの荷台。
さらにその後ろ側に、荷台の出入口がある。
馬車が門へ向かって止まっている以上、村人たちから荷台の奥は見えない。
御者の背中が、幌の陰に隠れていく。
若い護衛が荷台の後部に寄り、後ろ布を持ち上げた。
御者が中を覗き込む。
真司の位置からも、傷の詳しい状態までは見えなかった。
ガレンが呻く。
ルカが息を詰める。
若い護衛が、短く何かを言った。
御者が小瓶を、黒い筋の浮いた足元へかざしているのだろう。
だからこそ、場に妙な沈黙が落ちた。
見えないものを待つ時間。
それは、見えている恐怖よりも重かった。
やがて、幌の奥で青白い光が弱く揺れた。
暗い荷台の中で、小さな光だけが沈む。
次の瞬間、その光の奥に黒が走った。
真司には、はっきりとは見えない。
だが、ルカの息を呑む音だけで分かった。
悪い結果だ。
御者がすぐに幌の外へ出てきた。
小瓶を持ったまま、馬車の横を戻る。
門に近い位置まで戻ると、御者は小瓶を村人たちに見えるように掲げた。
瓶の中には、細い黒が走っていた。
墨を一滴、水の中へ落としたような影。
それを見た村人たちが、息を飲む。
彼らはガレンの傷を見たのではない。
反応した瓶を見たのだ。
門の内側で、低い悲鳴が上がった。
誰かが後ずさる。
誰かが口元を押さえる。
年配の男は、苦いものを噛んだような顔で目を伏せた。
ルカが荷台の奥から、泣きそうな声で叫ぶ。
若い護衛も、馬車の後ろから回り込んでくると、怒りをこらえた声で何かを訴えた。
けれど、門は開かない。
小瓶の中の黒が、ゆっくり薄れていく。
それが消えたころ、御者は真司を見た。
次は自分だ。
言われなくても分かった。
真司は黒く染まった指先を見る。
逃げる理由はない。
逃げたら、もっと怪しい。
門の吊り瓶が反応した時点で、たぶん自分も対象に入っている。
「……俺もか」
御者は、左手だけでなく右手にも小瓶を近づけた。
今度は、村人たちにもはっきり見える。
幌の奥ではない。
馬車の横に立つ、言葉の通じない男の手だ。
どちらも、ガレンほど強くはない。
それでも、水の奥に細い黒が走った。
村人たちのざわめきが大きくなる。
ルカの声が止まる。
若い護衛は、警戒を強めたように目を細めた。
真司は苦笑した。
「まあ、そうなるよな」
【黒沼反応:微弱】
【外部照合反応を確認】
【状態:隔離観察対象】
「隔離観察対象って、なんだよ。人間に貼るラベルじゃないだろ」
言ってから、真司は少しだけ目を伏せた。
人間に貼るラベルじゃない。
だが、この場の者たちにとっては、必要な区分なのだろう。
黒沼に触れた者。
黒沼反応を示す者。
村へ入れてはいけない可能性がある者。
それがなければ、村は守れない。
真司は門の向こうを見た。
柵の内側には、低い屋根が並んでいる。
煙が上がっている。
どこかで子供の泣き声らしきものも聞こえた。
◇
村人たちは、何もしなかったわけではない。
年配の男が指示を出すと、何人かが奥へ走った。
戻ってきた者たちは、布、水袋、木板、何かが入った袋を抱えていた。
薬草らしい束を持つ者もいる。
門は開かない。
何かが入った袋だけ先に、村人の一人が長い棒で外へ押し出した。
年配の男が何かを言う。
御者が袋を開ける。
中には灰のようなものが入っていた。
淡い銀色の粉が混じっていて、土の上に落ちると、わずかに光を返す。
門の内側から年配の男が指示を出す。
御者はその声に従い、馬車の前から横へ回り、荷台の後ろまで灰を撒いていった。
馬。
御者台。
壊れかけた車輪。
幌付きの荷台。
その奥で呻くガレン。
黒沼に触れた真司。
それらをまとめて囲うように、灰の線が引かれていく。
線はまっすぐではない。
馬車の形に合わせるように、ゆるい楕円を描いていた。
灰は地面に落ちるたび、ところどころで鈍く濁った。
見えない何かを吸い込んでいるようだった。
真司は思わず息を止める。
【未知素材:灰および銀色粉末】
【周囲行動:境界形成】
【推定:黒沼由来反応の拡散抑制】
「拡散抑制……」
真司は眉を寄せた。
結界、というよりは防湿剤に近いのかもしれない。
湿気のかわりに、黒沼の残り香のようなものを吸う。
そう考えると、ぞっとした。
自分たちは、臭いを撒き散らす荷物のように囲われている。
いや、たぶん比喩ではない。
黒沼に触れたものから、何かが漏れている。
それを放っておけば、村の中へ持ち込むことになる。
だから門は開かない。
村人たちは冷たいのではない。
村を守っている。
仲間を。
愛する人を。
大切な子供たちを。
「正論過ぎて何も言えないな」
真司の声は、灰の線の内側に落ちた。
◇
ルカが荷台の後ろから、門へ向かって叫び続けている。
声はもう、商人の交渉ではなかった。
子供が大切な人を助けてほしいと叫ぶ声だった。
若い護衛がルカの肩を押さえる。
だが、その手にも力はない。
ガレンの呻きが低く響く。
門の内側では、村人たちが顔を見合わせていた。
誰かが首を横に振る。
誰かが何かを言い返す。
年配の男は黙ったまま、閉じた門に手を置いた。
その手は震えていた。
真司は、その震えを見逃せなかった。
拒絶している手ではない。
開けたいのに、開けられない手だった。
その時、村の奥からざわめきが広がった。
人垣が割れる。
布や水袋を持っていた村人たちが、左右へ下がった。
年配の男が振り返る。
その表情に、安堵と緊張が同時に浮かんだ。
ひとりの人物が前へ出た。
深い紺の外套。
淡い亜麻色の髪。
腰元で揺れる小瓶。
肩にかけた書類筒。
手には、細い筆のようなものを持っている。
若い女だった。
冷たい顔ではない。
けれど、慌ててはいなかった。
村人たちが息を詰めている中で、その女だけが、静かに状況を見ていた。
門に吊るされた瓶。
御者が持つ小瓶。
銀色の粉で引かれた線。
壊れかけた馬車。
荷台の奥で呻くガレン。
泣きそうなルカ。
怒りを押し殺す若い護衛。
そして最後に、真司の黒く染まった手。
女の視線が、真司の手から顔へ上がる。
澄んだ水色の、切れ長の瞳だった。
真司は思わず背筋を伸ばした。
怒られる前の生徒みたいだ、と自分でも思う。
半透明の板が、視界の左隅に浮かんだ。
【新規対象:照合不能】
【所持品:小瓶/筆記具/書類筒】
【周囲反応:判断待機】
【推定:一定の権限を有する人物】
「……今度は、何が来たんだよ」
女は真司のつぶやきには反応しなかった。
ただ、黒沼に触れた真司の手を見たまま、村人たちへ短く何かを告げた。
その一言で、止まっていた者たちが動き出す。
門は、まだ開かない。
馬車も、まだ村の外だ。
それでも、空気が変わった。
助けるか。
拒むか。
その段階は、終わった。
次は、この女性が決める。
真司は黒い手を下げたまま、その女を見た。
この世界で初めて、状況を分かっていそうな人間が現れた。
それが味方かどうかは、まだ分からない。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
真司の異世界生活は、まだまだ手探りです。
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