第6話 額に咲いた仮界紋
お読みいただきありがとうございます。
真司の異世界実務サバイバル、続きです。
リーヴェが見えてきた頃には、日がかなり傾いていた。
街道の先に木造の家々が並び、その向こうから細い煙が上がっている。
「やっと人里か……」
真司は息を吐いた。
だが、一行は村へ入らなかった。
「――!」
セレーナが手を上げ、荷馬車を止める。
「ん?」
村の入口から数人が走ってきた。
先頭にいた年配の男が、小さな瓶を手にしている。
男は近づきすぎない位置で足を止め、瓶を掲げた。
中の透明な液体が、ぼうっと淡く光った。
「……光った?」
村人たちの顔色が変わる。
セレーナがすぐに何かを告げた。
村人たちは何度も頷き、村の入口から離れた場所へ縄を張り始めた。
「入っちゃ駄目ってことか」
言葉が分からなくても、それくらいは察せる。
村人たちは逃げてはいなかった。
縄の向こうから心配そうにこちらを見ながら、水や布、必要そうな物を運んでくる。
ただ、一定の距離よりこちらへは来ない。
「隔離みたいなもんかな」
【推定:接触回避措置】
「まあ、そうだよな」
真司は黒く染まった指先を見る。
「何なのか分からん奴を、そのまま村に入れる方が怖い」
むしろ、それでも助けようとしてくれることの方がありがたかった。
◇
荷馬車は村外れの平らな場所へ移された。
口髭の御者はすぐに傷んだ車輪を調べ始め、若い護衛もその手伝いに入る。
一方。
セレーナはガレンのそばへ膝をついた。
「――――」
短い言葉。
手のひらに淡い光が集まり、その光がガレンの脚を包む。
苦痛に強張っていた顔が、少しずつ緩んでいった。
「治療魔法? まであるのか……」
風。
相手の動きを止める魔法。
氷。
今度は治療。
「いくつ魔法使えるんだ、あの人。魔法使い? 大魔導士とか?」
セレーナがこちらを見る。
「……聞こえた?」
意味は分かっていないはずなのに、見ていたことだけはばれたらしい。
手招きされる。
「俺?」
自分を指す。
セレーナが頷いた。
「はいよ」
近づくと、今度は真司の両手だった。
黒く染まった指先へ、セレーナが手をかざす。
淡い光が包み込む。
「……あったかい」
指の奥に残っていた嫌な冷たさが、少し遠のいた。
「おお」
期待して手を見る。
「…………」
黒い。
「治ってないな」
セレーナが何か説明している。
「ごめん。分からん」
真司は耳を指し、首を横へ振った。
「言葉。分からない」
それでも処置は続いた。
村から渡された布と薄い札を使い、両手が丁寧に包まれていく。
最後に札へ淡い光が走る。
出来上がった両手を眺めて、真司は眉を上げた。
「……なんか、ずいぶん丸い手になったな」
セレーナは少し考えた。
それから、自分の手の甲を指す。
そこへ何かを書くような仕草。
次に真司の両手。
「これに何かする?」
もう一度。
手の甲。
真司の白く包まれた両手。
そして。
セレーナの視線が上がった。
腕、胸、首、最後に額。
「…………」
真司は無言で自分の額を丸い手で指した。
セレーナが頷く。
「ここ?」
また頷く。
「手が駄目だから、額?」
たぶん、そういうことだろう。
ところが。
ルカが何か尋ねる。
セレーナが短く答えた。
途端にルカの顔が微妙なものになった。
「……なんだ、その顔」
アースもこちらを見る。
何とも言えない顔。
バルトは。
そっと目を逸らした。
「待て待て」
嫌な空気だった。
【周囲反応を照合】
【推定:同情】
「お前まで不安を足すな」
真司は額を指し、大袈裟に顔をしかめてみせる。
「痛い?」
セレーナがようやく意味を察したらしい。
そして、にこりと笑った。
「なんで答えずに笑うんだよ」
ものすごく嫌な予感がする。
とはいえ。
黒沼から助けてもらった。
魔獣からも助けてもらった。
今もガレンと自分を治療してくれている。
「……まあ、任せるしかないか」
真司は腹を決めた。
「お願いします」
セレーナが正面へ立つ。
顔が近い。
淡い髪。
青灰色の瞳。
戦っている時にはあまり見る余裕もなかったが、
こうして向き合うと改めて整った顔立ちが目に入る。
真司が妙に落ち着かなくなって視線を逸らすと、
セレーナが自分のまぶたを示した。
「目を閉じろ?」
頷いた。
「……わかった」
目を閉じると、視界が消えたぶん、他の感覚が妙に強くなった。
衣擦れの音。
小瓶の蓋が開く音。
セレーナが何かを小さく呟く声。
それから、ふわりと甘い匂い。
花ではない。
菓子でもない。
薬草に蜂蜜を落としたような、心地良い、甘く澄んだ匂いだった。
真司は、場違いにも心臓が跳ねるのを感じた。
なのに、目の前の女性から甘くて良い匂いがする。
状況が渋滞していた。
「……これは、いろいろ駄目だろ」
小さく呟いてから、真司は別の不安に気づいた。
額。
額である。
人間、額に何かを書かれるとなれば、不安にもなる。
額に、ひやりとした感触。
「……バカとか、肉とか書かれないよな」
羽で撫でられたようなものが、額の上をゆっくり動いていく。
冷たくて、少しくすぐったい。
「なんだ。全然平気じゃん」
しばらくして、その感触が止まった。
セレーナの手が離れる。
「……終わり?」
目を開ける。
セレーナは額を確認したあと、小さく頷き、一歩下がった。
「なんだよ。みんな変な顔するから、どんだけ痛いのかと――」
額に描かれた紋様が、ふっと淡く光った。
「……ん?」
次の瞬間。
「いっだあああああああああああああああ!?」
額の内側で、火花が爆ぜた。
触れたのは羽だったはずなのに、痛みは焼きごてだった。
皮膚の上に書かれているのではない。
頭蓋骨の裏側へ、細い釘で文字を打ち込まれているような痛みだった。
「待て待て待て! これ聞いてない! 目ぇ閉じさせるなら先に痛いって言え!」
真司は反射的に額を押さえようとして、両手を見て止まった。
封止された手で額を押さえるわけにはいかない。
だが痛い。
押さえられない。
逃げられない。
結果、真司は情けなく身体をよじるしかなかった。
本人は必死である。
額は痛い。
両手は使えない。
押さえられない。
逃げられない。
だから、首と肩と腰だけで痛みを逃がそうとする。
だが、周りから見れば、その動きはひどく奇妙だった。
真司の知る世界なら、昔流行った玩具に似ていた。
音に反応して、茎をくねらせながら踊る花。
ダンシングフラワー。
しかも、額を押さえられない両手が、上へ、横へ、斜めへと意味もなく跳ねる。
この世界の人間に言っても、誰にも伝わらないだろう。
だが真司の頭には、昭和の人気アイドルが歌っていた、
あの有名なアルファベット振り付けまで浮かんでいた。
ダンシングフラワー、昭和アイドル添え。
現代日本で五十過ぎのおっさんがこれをやったら、
防犯ブザーを鳴らされても文句は言えない。
だが今、目の前の光景は、まさにそれだった。
中年男が額を光らせ、身体をくねらせ、
封止された両手を謎のリズムで振っている。
珍妙だった。
かなり、珍妙だった。
「俺は何をしてるんだ!」
また両腕が跳ねた。なぜか叫びたくなった。
「ヤング――」
【危険ワード検知】
【発言禁止】
「それくらい叫ばせろ!」
直後。
「いっだあああ!」
腰がまた大きくくねる。
「くそっ、痛い痛い痛い!」
そこで。
「ぷっ」
「……ん?」
縄の向こう。
村の子供が口元を押さえていた。
隣の大人が止めようとしている。
だが、その大人まで顔を逸らして肩を震わせている。
「笑ってるだろ!」
「いだっ!」
また腰が逃げる。
両腕も跳ねる。
今度は若い護衛が咳払いをした。
口髭の御者は完全に背中を向けている。
「隠す気ある!?」
笑いを堪える気配が、あちこちから伝わってくる。
「身体の痛みより心が痛くなってきた!」
せめて、ルカだけは。
ガレンを助けるため、一緒に必死になったルカだけは心配してくれているはずだ。
真司は涙目のまま、ルカを見る。
「…………」
腹を抱えていた。
「お前もかよ!」
目が合った途端、ルカはますます笑い出した。
「俺、お前のためにも頑張ったよな!?」
意味など通じていない。
それでも抗議していることだけは伝わったらしい。
さらに笑われた。
「くっそ、踊る花にヤング……くそっ! 俺は異世界に何しに来たんだあああ!」
最後の砦。
真司はセレーナを見る。
「…………」
俯いていた。
肩が震えている。
「……まさか」
セレーナが唇を噛む。
「……ふっ」
「お前もか!」
とうとう耐えられなかった。
セレーナが顔を逸らす。
声を抑えようとしているが、目元は完全に笑っている。
「やった本人が一番笑っちゃ駄目だろ!」
【仮界紋:接続中】
【疼痛反応:高】
【周囲反応:笑気傾向】
「そこまで分析するな!」
その瞬間。
ふっ。
痛みが消えた。
「……え?」
あまりにも突然だった。
身体から力が抜ける。
耳の奥で。
かちり。
何かが噛み合った。
【仮界紋:緊急代替位置に接続】
【言語適応:第二段階へ移行】
【日常会話:接続】
【文字理解:未接続】
周囲のざわめきが変わる。
「……聞こえますか?」
「…………え?」
シンジが固まった。
意味が分かる。
そして。
シンジはゆっくり声がした方へ向いた。
セレーナだった。
初めて、意味を伴って聞く彼女の声。
綺麗に澄んだ声が。
水が流れ込むように、すっと耳へ入ってきた。
シンジは一瞬、言葉を失った。
この世界へ放り出されてから。
誰かが叫んでも。
泣いても。
笑っても。
声は聞こえるのに、意味だけが自分のところへ届かなかった。
ずっと一枚の壁を挟んでいるようだった。
その壁が。
セレーナの声で、初めて消えた。
張りつめていたものが、ふっと緩む。
安心した。
本当に。
ただ、その声を聞いただけで。
「……聞こえる」
セレーナの目が少し見開かれた。
「本当に?」
「ああ」
シンジは笑った。
「聞こえるよ。ちゃんと」
額はまだじんじんする。
両手も治っていない。
村にも入れない。
何も解決していない。
それでも。
「……やっと、話せる」
この世界へ来て初めて。
誰かの言葉が、シンジのところまで届いた。
お読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
〈途中で真司が踊った?ネタについて〉
昭和生まれしかわからないネタと思いつつ、
真司の年齢を軸にネタを入れてしまいした。
どんな踊りか気になった方はアルファベットで
「ワイ・エム・シー・エー」と入力して検索してくださいませ。
昭和の男性アイドルが歌っている有名な曲がヒットします。
名曲です。
くせになるメロディーと振付でメロメロ(死語)になります。
昭和生まれの人の前で歌うとみんな踊ってくれます。
ぜひ、あなたのカラオケレパートリーに入れてあげてください。
引き続き、この物語とお付き合いいただけると幸いです。




