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異世界テンプレを信じた俺がバカでした  〜ステータスは出た。スキルもあった。だが、ほぼ履歴書だった〜  作者: 小森こもり
第一章 ~転移~

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第6話 リーヴェへ運ぶ

お読みいただきありがとうございます。


真司の異世界実務サバイバル、続きです。


 

 馬車は、黒沼を背後に残して、ゆっくりと森の道を進み始めた。


 速くは走れない。


 車輪は抜けた。

 だが、無事とは言えなかった。


 回るたびに、小さく軋む。

 荷台もわずかに傾いている。


 御者は馬を急かさなかった。


 急げば、壊れる。


 馬車も。

 荷台の奥で呻く、ガレンも。


 真司は馬車の横を歩きながら、黒く染まった指先を身体から少し離していた。


 間抜けな格好だとは思う。


 だが、黒沼に触れた手で服や荷物に触る気にはなれなかった。


 黒い染みは、まだ指の皺に残っている。

 痛みはない。

 ただ、冷たさだけがしつこく皮膚の奥へ沈んでいた。


「……洗えば落ちるって感じじゃないな」


 独り言に、返事はない。


 代わりに、荷台から苦しげな息が聞こえた。


 ガレンだ。


 大柄な体を横たえられた男は、額に汗を浮かべている。

 黒い筋の浮いた足は、布と板で支えられていた。


 誰も直接触れようとはしない。


 それだけで、あれがどれほど嫌がられているかは分かった。


 ルカは荷台の縁に座り、ガレンの顔を覗き込んでいた。


 小柄な少年に見える。

 だが、その目は痛々しいほど真剣だった。


 何度も、ガレンの名を呼ぶ。


「ガレン」


 返事はない。


 それでもルカは呼び続ける。


 呼び続けていなければ、崩れてしまいそうに見えた。


 若い護衛は、馬車の後ろを歩いている。

 剣から手を離さない。


 時々、真司を見る。

 警戒。

 疑い。

 それから、ほんの少しの迷い。


 無理もない。


 森から現れた知らない男。

 言葉は通じない。

 黒沼に触れている。

 しかも、なぜかまだ普通に歩いている。


 怪しさの詰め合わせだ。


「俺でも信用しないな」


 真司は小さく言った。


 すると、若い護衛が鋭くこちらを見た。


「いや、悪口じゃない。たぶん」


 通じるはずもない言葉を返し、真司は肩をすくめた。


 若い護衛は眉を寄せたまま、また周囲へ視線を戻す。


 その後ろ姿を見ながら、真司は息を吐いた。


 敵ではない。


 少なくとも、今のところは。


 だが味方と言えるほど、何も分かっていない。


 言葉が通じないというのは、思った以上にきつかった。


 礼を言われても分からない。

 警告されても分からない。

 怒られても、何に怒られているのか分からない。


 仕事なら、言葉が通じる相手のはずなのに、話が通じないことはよくあった。


 だが、これはその前の段階だ。


 単語がない。

 土台がない。

 前提がない。


「黒沼。リーヴェ。ルカ。ガレン」


 真司は、覚えた音を小さく繰り返した。


 黒沼。


 あの黒い泥。


 リーヴェ。


 これから向かう場所。


 ルカ。


 小柄な少年。


 ガレン。


 怪我をした護衛。


 これだけだ。


 それでも、朝に森で目覚めた時よりは増えている。


 名前がついたものから、現実になっていく。


 不思議なものだと思った。


 半透明の板が、静かに表示を切り替える。



【登録語:黒沼・リーヴェ・ルカ・ガレン】

【言語適応:初期照合中】

【文字理解:未接続】



「登録とかできるのかよ」


 真司は思わず呟いた。


 履歴書だけではないらしい。


 ただし、便利というにはだいぶ足りない。


「初期照合中って、いつ終わるんだ」



【情報不足】



「またそれか」


 板はいつも通り、必要なことだけを淡々と返してくる。


 親切なのか不親切なのか、判断に困る。


 馬車が大きく揺れた。


 ルカが小さく悲鳴を上げる。

 ガレンが低く呻いた。


 御者が馬を止める。


 真司もすぐに荷台へ回った。


 車輪を見る。


 壊れてはいない。

 だが、歪んだ車軸がきしみ、片側だけ沈みやすくなっている。


 道は悪い。


 雨のあとらしく、土が水を含んでいる。

 轍の底には、薄く水が溜まっていた。


 あの黒沼ほどではない。


 それでも、また沈めば終わりだ。


 真司は御者に向けて、手のひらを下げる。


 ゆっくり。


 急ぐな。


 御者は一度だけうなずいた。


 言葉はない。


 けれど、さっきよりは通じている気がした。


 若い護衛が道の先を確認し、木の枝をどける。


 ルカは荷台の中で、ガレンの体が揺れないように布を押さえた。


 真司は、車輪の横についた。


 押すほどではない。


 だが、傾いた時に支える手は必要だった。


 馬車が再び動く。


 ぎしり。


 木と金具が嫌な音を立てる。


 そのたびに、真司の肩に力が入った。


 速く進みたい。


 ガレンを早く治療できる場所へ運びたい。


 だが、急げば壊れる。


 急いで壊れれば、もっと遅れる。


 急がないための判断も、急ぐための仕事の一部だ。


「……ややこしいな」


 真司は苦笑した。


 やっていることは、どこまでも地味だった。


 勇者でもない。

 魔法もない。

 剣もない。


 壊れかけの馬車の横を歩き、車輪を見て、荷台の傾きを見て、道のぬかるみを避ける。


 異世界に来て最初にやることが、これか。


 けれど、ガレンの呼吸が続いている。


 ルカがまだ泣き崩れていない。


 馬車はまだ進んでいる。


 なら、意味はある。


 少なくとも、今は。


 森の道は、緩く曲がりながら続いていた。


 木々の隙間から、少しずつ空が広くなる。


 湿った草の匂いに、煙の匂いが混じった。


 真司は顔を上げる。


 煙。


 人のいる場所の匂い。


 御者が短く何かを言った。


 ルカが顔を上げる。


「リーヴェ」


 その声には、さっきよりもはっきりした光があった。


 真司も道の先を見る。


 森が切れた向こうに、低い柵が見えた。


 木で組まれた、村の囲い。


 その奥に、屋根がいくつか並んでいる。


 リーヴェ。


 村だ。


 助けがあるかもしれない場所。


 だが、近づくにつれて、真司は違和感を覚えた。


 リーヴェの入り口には、二つの瓶が吊るされていた。


 門柱の左右。

 木で組まれた梁から、細い紐で下げられている。


 透明な瓶の中には、薄い水のようなものが入っていた。

 ただの水ではない。


 昼の光の中でも分かるほど、淡く青白く光っている。


 真司は最初、それを飾りだと思った。


 村の入口に吊るす、魔除けか何か。

 この世界なら、そういうものがあってもおかしくない。


 だが、馬車が門へ近づいた瞬間。


 瓶の光が、ふっと揺れた。


 青白い水の中に、細い黒が走る。


 糸のような黒だった。

 一瞬だけ現れ、すぐに薄れて消える。


 門のそばに立っていた男の顔色が変わった。


 男が叫ぶ。


 御者が手綱を引いた。


 馬車が、門の手前で止まる。


 馬が鼻を鳴らし、壊れかけた車輪がぎしりと軋んだ。

 荷台も小さく傾く。


 幌の奥から、ガレンの呻き声が聞こえた。


 続いて、ルカの声。


「ガレン!」


 その名だけは、真司にも分かった。


 だが、門は開かなかった。


 真司は、吊るされた瓶を見上げた。


「……警報器か」


 言葉は誰にも通じない。


 それでも、役割は分かった。


 黒沼に触れた何かが近づけば、あの瓶が知らせる。

 この村は、黒沼を知っている。


 ただ恐れているだけではない。

 恐れるための仕組みを、門に吊るしている。


 門の内側には、村人たちが集まり始めていた。


 武器を構えている者はいない。

 だが、誰も近づこうとはしない。


 彼らの視線は、馬車と、吊るされた瓶と、真司の黒く染まった指先を行き来している。


 冷たい拒絶ではなかった。


 助けたい顔をしている者もいる。

 けれど、それ以上に怯えている。


 同情もある。

 心配もある。


 それでも門は開かない。


 それが、この村の答えだった。



 この世界では、黒沼に触れた者は、簡単に村や町へ入れない。


 そういうルールがあるのかもしれない。


 いや、ルール以前に、そうしなければ怖いのだ。


 理由は分からない。


 でも、彼らの顔が語っていた。


 近づけるな。

 入れるな。

 広げるな。


 馬車は村の入り口の手前で止まった。


 リーヴェは目の前にある。


 だが、まだ辿り着いたとは言えなかった。


 ルカの声が震える。


 ガレンの息が荒くなる。


 御者が拳を握る。


 若い護衛が、今にも飛び出しそうな顔で門を見る。


 真司は一歩下がった。


 自分が前に出れば、余計にこじれる。


 黒沼に触れた手を持つ、言葉の通じない異邦人。


 この場で一番怪しいのは、間違いなく自分だ。


「……さて」


 真司は、乾いた喉でつぶやいた。


「ここからどう説明するんだよ」


 当然、答えは返ってこなかった。


お読みいただきありがとうございます。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

次話もお付き合いいただければ嬉しいです。


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