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異世界テンプレを信じた俺がバカでした  〜ステータスは出た。スキルもあった。だが、ほぼ履歴書だった〜  作者: 小森こもり
第一章 ~転移~

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第5話 黒い泥の名

お読みいただきありがとうございます。

まだ序盤ですが、最後までお楽しみください。


 次は搬送だな。


 そう口にしたものの、真司には馬車の知識などほとんどなかった。


 車なら多少は想像できる。

 ぬかるみにタイヤを取られた時、どうするか。

 重さを逃がす。

 無理に引かない。

 沈む方向へ力をかけない。


 だが、目の前にあるのは馬車だ。


 しかも、怪我人がいる。

 黒い泥に触れた自分もいる。

 言葉は通じない。


「……説明書くらいつけとけよ、異世界」


 当然、誰も答えない。


 大柄な男は、荒い息を繰り返していた。


 ルカと名乗った小柄な少年が、そのそばに膝をついている。

 泣きそうな顔で、何度も男の名を呼んでいた。


「ガレン」


 その音だけは、真司にも聞き取れた。


 ガレン。


 大柄な男の名だろう。


 若い護衛もガレンのそばにいた。

 足の傷を見て、顔を強ばらせている。


 御者は馬を押さえながら、ちらちらと黒い泥を見ていた。

 馬もまた、あれを嫌がっているように鼻を鳴らしている。


 真司は自分の指先を見た。


 黒い染みはまだ消えていない。


 泥が付いているのではない。

 皮膚の奥に、薄く墨を落とされたような色だった。


 痛みは引いている。


 だが、嫌な冷たさが残っていた。


 半透明の板が浮かぶ。


【状態:要観察】

【称号候補:黒沼接触者】

【黒沼反応:微弱】

【進行:不明】


「進行不明って、患者に見せる表示じゃないだろ」


 真司は顔をしかめた。


 その時、ルカが真司の手を見て、はっと息を飲んだ。


 次に、黒い泥を指さす。


「クロヌマ」


 真司は動きを止めた。


 クロヌマ。


 今、そう聞こえた。


 ルカはもう一度、黒い泥を指さした。


「クロヌマ」


 若い護衛も、同じ言葉を短く言った。


 御者も、低い声で繰り返す。


 クロヌマ。


 黒沼。


 真司は、表示に残る文字を見た。



【称号候補:黒沼接触者】



「……同じ言葉か」


 ボードに出た言葉と、彼らが口にした音が一致した。


 つまり、これはこの世界でそう呼ばれているものなのだ。


 名がある。


 先ほどの様子から見ると、彼らはこの黒い何かを知っている。

 知っていて、恐れている。

 触れてはいけないものとして扱っている。


 それを自分は触った。


「……まずいな」


 事態の悪さが、少し遅れて腹に落ちた。


 真司はガレンの足元を見た。


 傷は深い。

 挟まれた痛みだけではない。

 黒沼が触れたらしい場所から、黒い筋のようなものが皮膚の下へ伸びている。


 血の赤と、黒い筋。


 嫌な組み合わせだった。


 若い護衛が布を巻こうとして、手を止める。


 触っていいのか。

 締めていいのか。


 その迷いが、顔に出ていた。


 真司にも分からない。


 だからこそ、直接触るべきではないと思った。


 真司は近くに落ちていた板を拾い、布を指さした。

 それから、ガレンの足を直接持つのではなく、板と布で下から支える仕草をする。


 若い護衛も眉を寄せながらどうすればいいか迷っている。


 真司はもう一度、ゆっくり示した。


 足には触れない。

 黒い筋には触れない。

 布を敷く。

 板で支える。

 揺らさず運ぶ。


 言葉は通じない。


 だが、意味は伝わったらしい。


 若い護衛は短く息を吐き、布を広げた。


 ルカもすぐに動いた。

 荷台から別の布を引き出し、震える手で差し出す。


「そう。直接触らない。できるだけ揺らさない」


 真司は、自分に言い聞かせるように言った。


 御者が馬車の周囲を見て、低く何かを告げた。


 言葉は分からない。


 だが、顔を見れば分かる。


 馬車は、まだ無事ではない。


 ガレンの足は抜けた。

 けれど、沈んだ車輪は黒沼の縁にかかったままだった。


 このまま動かせば、また沈むかもしれない。


 だが、このまま置いていけば、荷馬車も荷も失う。


 そして何より、ここに長くいるべきではない。


 真司は荷台を指し、次に道の乾いた側を指した。


「軽くする。寄せる。少しずつ引く」


 通じるはずはない。


 だが、御者は真司の手の動きを見て、すぐに馬へ向かった。


 この男は馬車を知っている。

 真司よりずっと分かっている。


 なら、細かい判断は任せた方がいい。


 真司はルカと若い護衛に、荷を片側へ寄せるよう身振りで示した。


 全部は動かさない。

 必要な分だけ。

 車輪にかかる重さを、少しでも逃がす。


 御者が馬に低く声をかける。


 若い護衛が荷台を押す。

 真司も反対側から支えに入る。


 馬車が軋んだ。


 車輪が、ぬるりと嫌な音を立てる。


 黒沼の縁が波打った。


「止めるな、でも急ぐな」


 自分に言い聞かせるように、真司は声を出した。


 馬が一歩進む。


 荷台が大きく揺れ、ルカが息を飲んだ。


 それでも、車輪は黒い縁から抜けた。


 御者が短く叫ぶ。

 若い護衛が荷台を押し切る。


 馬車は、黒沼から数歩分だけ離れたところで止まった。


 完全に助かったわけではない。


 車軸は歪んでいる。

 荷台もまだ傾いている。

 普通に走らせれば、途中で壊れるかもしれない。


 それでも、黒沼の上にはもういない。


 真司はようやく息を吐いた。


「まず一つ、か」


 終わりではない。


 ただ、次の問題に進めるようになっただけだ。


 ガレンを荷台へ乗せる時だけは、全員の動きが慎重になった。


 黒い筋の浮いた足には、誰も直接触れない。

 布と板で下から支え、できるだけ揺らさないように運ぶ。


 ガレンが呻く。


 ルカが泣きそうな顔で名前を呼ぶ。


 それでも、どうにか荷台へ乗せることはできた。


 礼を言うように、ルカが真司へ深く頭を下げる。


 真司は困って、首を横に振った。


「いや、まだ終わってないからな」


 礼を言われるには、何も終わっていない。


 ガレンは危ない。

 馬車も壊れている。

 黒沼も残っている。

 自分の手にも黒い染みがある。


 問題は減っていない。


 形を変えただけだ。


 ルカは道の先を指さした。


「リーヴェ」


 そう聞こえた。


 真司は首を傾げる。


 ルカはもう一度、道の先を指した。


「リーヴェ」


 御者も同じ言葉を言う。


 若い護衛も、ガレンを見ながら短く続けた。


 リーヴェ。


 地名だろう。


 村か、町か。


 少なくとも、この場にいる全員がそこへ向かうつもりらしい。


 真司は道の先を見た。


 森の奥へ、轍が続いている。


 安全かどうかは分からない。

 この人たちを信用できるかも、まだ分からない。


 だが、黒沼のそばで夜を迎えるよりはいい。


 真司はうなずいた。


「リーヴェ、だな」


 ルカの顔に、少しだけ光が戻った。


 御者が馬を動かす。


 馬車は大きく軋んだ。


 その音に、全員が一瞬固まる。


 だが、車輪は動いた。


 ゆっくりと。


 壊れかけた荷馬車が、黒沼のある場所から離れていく。


 真司は最後に一度だけ、黒い泥を振り返った。


 黒沼。


 この世界では、あれに名がある。


 そして自分は、それに触れた。


 表示はまだ消えていなかった。


【称号候補:黒沼接触者】

【状態:要観察】


「だから、称号っていうなら、もう少し縁起のいいやつにしてくれ」


 誰にも通じない愚痴をこぼし、真司は馬車の横を歩き出した。


 リーヴェ。

 黒沼。

 ガレン。

 ルカ。


 分かる言葉は、まだそれだけだった。


 それでも、何も分からない森の中にいた時よりは、少しだけ前に進んでいる。


 たぶん。


 真司は黒く染まった指先を握り込み、ゆっくりと息を吐いた。


お読みいただきありがとうございます。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

本当に励みになりますので、よろしくお願いしますm(__)m


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。


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