第5話 風を連れた女性
お読みいただきありがとうございます。
まだ序盤ですが、最後までお楽しみください。
女性の視線が、真司へ向いていた。
剣はない。
手にしているのは枝と石だけ。
それでも、真司が石を投げた場所から、隠れていた魔獣が飛び出した。
若い護衛も真司を見る。
先ほどから何度も同じことがあった。
石が飛ぶ。
音が鳴る。
その先に敵がいる。
あるいは魔獣の注意が逸れ、そのわずかな隙に位置を変えられる。
言葉など一つも通じていない。
それでもいつの間にか、若い護衛は真司が腕を上げるだけで、その先を見るようになっていた。
「――!」
女性が鋭く声を飛ばす。
若い護衛が盾を引き、一歩下がった。
「そっちは話が通じるんだな。羨ましい」
女性が馬から降りる。
深い紺色の外套が翻った。
魔獣たちの意識が、一斉にそちらへ向いた。
次の瞬間。
轟音とともに風が走った。
「うおっ!」
街道の土が弾ける。
正面から迫っていた三頭がまとめて宙へ跳ね上げられ、街道脇へ叩き落とされた。
真司は思わず目を見開く。
あれだけの風圧なのに、すぐ近くのルカやガレン、荷馬車にはほとんど影響がない。
「……すげえ。ちゃんと狙ってるのか」
【右後方 移動反応】
「あっ!」
女性の死角になる茂みが揺れた。
真司はすぐに石を拾う。
「そっち!」
通じない。
だから女性の右後方へ石を投げた。
カンッ!
女性が音へ反応する。
ほぼ同時に、茂みから一頭が飛び出した。
女性の腕が振られる。
風が一閃。
魔獣は横から弾かれ、木の幹へ叩きつけられて動かなくなった。
女性が真司を見る。
「……ちゃんと理解してくれてる……よな?」
当然、意味は伝わらない。
だが。
その目には、明らかな変化があった。
残った魔獣たちが左右から距離を詰める。
女性が片手を前へ出した。
「――――」
短い声。
魔獣たちの足が止まった。
「え?」
見えない何かに押さえ込まれたように、身体が地面へ固定されている。
暴れようとしても、脚が動かない。
「え?動きを封じた?」
女性がそのまま腕を薙ぐ。
空気が弾けた。
拘束された魔獣たちがまとめて街道の外へ吹き飛ばされる。
今度は起き上がらない。
「……強っ」
真司と若い護衛が必死で崩れないよう支えていた状況が、わずかな時間でひっくり返った。
だが。
【後方 接近】
「まだいる!」
荷馬車の裏手。
一頭が大きく迂回していた。
狙う先には、ルカとガレン。
同時に別の一頭が、女性の馬へ飛びかかる。
女性も気づいた。
一瞬だけ二方向を見る。
そして迷わず。
ルカたちへ向かう魔獣へ手を向けた。
魔獣の身体が、その場で止まる。
「――!」
その間に。
もう一頭が馬へ襲いかかった。
馬が激しくいななく。
女性が振り返り、今度は指を二本立て、そのまま振り下ろした。
今度は目に薄っすらと見える半月の何かが魔獣へ放たれる。
すごい速さで通り過ぎた瞬間。
馬に嚙みついていた魔獣の首と胴体が離れ、そのまま地面へ落ちた。
え? 風の刃物?真空刃みたいな使い方もできるのか。
魔獣は黒い体液をまき散らしながらビクビクしている。
そして、馬を見ると……魔獣に噛まれた首が大きく抉られていた。
馬は小さくいなないて……そのまま態勢を崩し、街道脇へ倒れ込んだ。
鈍い音が響く。
馬は起き上がろうとして、また態勢を崩し、そのまま動かなくなった。
「……あ」
女性の表情が揺れる。
それでも駆け寄らない。
まだ残っている魔獣へ向き直る。
拘束?
風。
二つの魔法が続けざまに走った。
最後の影が地面へ落ちる。
森が静かになった。
若い護衛が剣を下ろした。
呼吸を整えながら、まず女性を見る。
次に真司。
転がった石を指し、それから自分の死角を指した。
「……ああ。あれか」
真司が投げる仕草をする。
若い護衛が、はっきりと頷いた。
「役に立ったならよかったよ」
女性もそのやり取りを見ていた。
剣すら持たない男が。
敵を倒したわけでもないのに。
位置を知らせ。
注意を逸らし。
危険になる前に何度も流れを変えていた。
淡い青灰色の瞳が、真司を静かに見つめる。
「……なんだ?」
真司には、その意味までは分からない。
その視線が、すぐに街道脇へ移った。
黒沼。
「あ」
黒いものは、戦いの間も少しずつ街道へ広がっていた。
女性の顔から、わずかな緩みが消える。
黒沼の手前まで進み、足を止める。
真司の両手。
ガレンの脚。
黒沼。
順に確認する。
右手を向けた。
空気が変わる。
「……寒っ」
女性の足元から白い霜が広がった。
ぱきっ。
澄んだ音。
地面を走った白い筋が黒沼へ触れる。
次の瞬間。
氷が一気に広がった。
「うわ……」
黒い表面を白が駆け抜ける。
街道へ伸びた筋も。
草むらへ入り込んだ部分も。
すべて追いかけるように凍りついていく。
やがて。
動いていた黒沼が完全に静まった。
白い氷の上に細かな結晶が生まれる。
木漏れ日を受け、きらきらと光った。
「…………」
さっきまで不気味だった景色が、一瞬で別のものへ変わっていた。
「……綺麗だな」
思わず漏れた。
女性が振り返る。
「――?」
真司は凍った黒沼を指した。
「綺麗だった」
「…………」
当然、伝わらない。
女性は少し首を傾げた。
真司を見る。
凍った黒沼を見る。
そして、もう一度真司を見た。
ほんのわずかに。
表情が柔らいだように見えた。
だが、すぐに真司の黒く染まった指先へ気づく。
「――!」
「ん?」
女性が近づいてくる。
両手を確認する。
触れずに。
次にガレンの脚。
若い護衛へ何かを尋ねた。
ルカも加わり、荷馬車やガレン、真司を何度も指しながら説明する。
「……俺の話かな」
若い護衛がさらに、石を投げる仕草をした。
「なんの説明されてるんだろ?ちょっと不安……」
女性の視線がまた真司へ向く。
今度は最初よりも長かった。
やがて女性は、倒れた馬のそばへ歩いた。
しゃがみ込み、鼻筋へ手を添える。
しばらく動かない。
真司にも分かった。
「……大切な馬だったんだな」
女性は静かに馬の鼻筋を撫でた。
それだけだった。
立ち上がると、もう顔を前へ向けている。
街道の先を指した。
「リーヴェ」
「リーヴェ?」
「リーヴェ!」
【登録語候補】
【リーヴェ】
「場所か?」
真司が同じ方向を指すと、女性が頷いた。
「お。通じた」
なら、次。
真司は自分を指す。
「シンジ」
「……シンジ」
「そう」
女性も自分の胸元へ手を添えた。
「セレーナ」
「セレーナ?」
「セレーナ」
【登録語候補】
【セレーナ】
「セレーナさんな」
また一人。
名前が分かった。
御者は傷んだ車輪へ応急処置を始める。
ガレンを荷台へ乗せる準備も進む。
真司は手伝いかけ、自分の両手を見た。
「人とか、みんなが使う物には触らない方がいいな」
今は自分の手がどうなっているのか分からない。
真司が引くと、セレーナがその様子を見ていた。
やがて荷馬車が、ゆっくりと動き始める。
セレーナの馬は、もういない。
彼女も一行と並んで歩き出した。
真司は隣を歩く横顔をちらりと見る。
戦っている時とは違う。
近くで見ると、驚くほど整った顔立ちだった。
魔法にかかったかのように、自然と目が惹かれてしまう。
「…………」
視線に気づいたのか。
セレーナがこちらを見る。
「――?」
「いや、なんでもない」
真司は苦笑して前を向いた。
その後ろでは。
白く凍りついた黒沼が、陽の光を受けて静かに輝いていた。
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