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異世界テンプレを信じた俺がバカでした  〜ステータスは出た。スキルもあった。だが、ほぼ履歴書だった〜  作者: 小森こもり
第一章 ~転移~

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第4話 黒い染みと、はじめての名

お読みいただきありがとうございます。


真司の異世界実務サバイバル、続きです。


 大柄な男は、生きていた。


 それだけは、確かだった。


 荒い呼吸。

 血のにじむ足。

 苦痛に歪んだ顔。


 助かった、と言い切るには、あまりにも材料が足りない。


 それでも、黒い泥のすぐそばから引き離せた。


 まずは、それだけで十分だった。


 小柄な少年は、大柄な男にすがりつき、泣きそうな声で何かを言っていた。


 言葉は分からない。


 だが、その声の意味は分かる。


 心配している。

 怖かった。

 無事でいてほしい。

 置いていかないでほしい。


 言葉にならないものほど、案外、言葉がなくても伝わる。


 若い護衛は片膝をつき、大柄な男の肩を支えていた。

 その顔は、怒っているようにも、泣き出しそうにも見えた。


 大柄な男は、苦しそうに息を吐きながらも、若い護衛の頭を軽く小突いた。


 叱るような。

 安心させるような。


 そんな仕草だった。


 真司はその様子を見て、少しだけ力が抜けた。


「よかった……とは言い切れないか」


 荷馬車はまだ傾いている。

 馬も、落ち着いたとはいえ完全ではない。

 黒い泥は消えていない。


 むしろ、さっきより広がっているように見える。


 助けた。


 だが、終わってはいない。


 真司は自分の指先を見た。


 黒い染みがついていた。


 泥のように拭えば取れると思った。


 だが、違った。


 皮膚の上にあるのではない。

 皮膚の奥に、薄く入り込んでいるような色だった。


「……なんだよ、これ」


 こすっても、取れない。


 痛みはもう強くない。

 だが、冷たさだけが残っている。


 指先だけ、冬の水に浸したまま戻ってこないような感覚だった。


 視界の左端で、半透明の板が揺れた。


【外部異常物質との接触を確認】


【照合中……】

【照合中……】

【照合不能】


【称号候補:黒沼接触者】

【状態:要観察】


 真司は固まった。


「称号って、もっと喜ばしいものじゃないのか」


 画面は答えない。


 ただ、淡々と表示を続けている。


 要観察。


 観察される側になった覚えはない。


 真司はもう一度、黒い染みを見る。


 ただの汚れではない。

 ただの怪我でもない。


 あの黒い泥に触れたことで、自分の中の何かが、わずかに変わった。


 そう思わされる表示だった。


「……やめろよ。健康診断でも、もう少し言い方に気を使うぞ」


 誰にも通じない愚痴だった。


 それでも、言わずにはいられなかった。


 その時、小柄な少年が真司を見た。


 今度は警戒ではない。


 戸惑い。

 感謝。

 それから、まだ消えない不安。


 いくつもの感情が混じった目だった。


 少年が何かを言う。


 当然、分からない。


 真司は苦笑した。


「悪い。何言ってるか分からん」


 少年は少し迷ったあと、自分の胸を叩いた。

 それから、短く名乗るような音を発した。


「ル……カ?」


 真司が真似ると、少年は驚いた顔をした。


 そして、何度もうなずく。


 ルカ。


 たぶん、それが名前なのだろう。


 真司はゆっくり繰り返した。


「ルカ」


 少年の顔に、少しだけ安堵が浮かんだ。


 言葉は通じない。

 けれど、名前は届いた。


 世界が違っても、名前を呼ぶことはできるらしい。


 次に、ルカは大柄な男を指した。


「ガ……レン?」


 大柄な男が苦しそうに片目を開け、低く何かを言った。


 訂正なのか。

 肯定なのか。

 文句なのか。


 分からない。


 ただ、ルカがすぐにうなずいたので、たぶん間違ってはいない。


 ガレン。


 大柄な男の名前。


 真司は続いて、若い護衛を見る。


 若い護衛はまだ警戒を解いていなかった。

 それでも、先ほどまでの敵意とは違う。


 いま目の前にいる変な男が、ガレンを助けた。


 その事実と、見知らぬ相手への警戒が、顔の上で喧嘩しているようだった。


 若い護衛は、真司に向けて短く名乗るような音を返した。


「ア……」


 聞き取れない。


 真司が首を傾げると、若い護衛は苛立ったようにもう一度言った。


 それでも、今の真司にはうまく拾えなかった。


「悪い。あとで頼む」


 通じるはずもない言葉を返して、真司は自分の胸を指さした。


「シンジ。堺井真司」


 ルカは聞き慣れない音を、慎重に繰り返した。


「シ……ン……ジ」


「そう。シンジ」


 名前だけは通じた。


 たったそれだけのことなのに、真司は少しだけ救われた気がした。


 この世界は、何も分からない。


 森も分からない。

 道も分からない。

 黒い泥も分からない。

 目の前の人たちの言葉も分からない。


 それでも、名前を呼べる相手ができた。


 ルカ。

 ガレン。

 聞き取れない若い護衛。

 馬を押さえている御者。


 知らない世界の中で、ただの風景だったものが、少しだけ人間の形を取り始める。


 真司は黒い染みの残る指先を握った。


 戻る。


 妻のところへ戻る。


 そのために、まずは生きる。


 そのためには、この場をどうにかしなければならない。


 ガレンは動けない。

 ルカは混乱している。

 若い護衛は焦りを隠せていない。

 御者は馬を離せない。

 荷馬車は危ない。

 黒い泥は正体不明。


 そして、自分はその黒い泥に触れた。


 問題は山ほどあった。


 山ほどありすぎて、笑えてくる。


「異世界、初日から案件盛りすぎだろ」


 誰にも通じない愚痴をこぼして、真司は道の先を見た。


 轍は、森の奥へ続いている。


 人の通る道なら、近くに村か集落があるかもしれない。


 だが、どちらへ向かうべきか分からない。


 その時、ルカが道の先を指さした。


 必死に何かを伝えようとしている。


 黒い泥。

 怪我人。

 壊れた馬車。

 通じない言葉。


 分かったことは、ほんの少し。

 分からないことは、山ほど。


 それでも、立ち止まっている場合ではない。


 真司は短く息を吐いた。


「分かった。次は搬送だな」


 通じない相手にそう言って、真司はもう一度、傾いた荷馬車へ目を向けた。


お読みいただきありがとうございます。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

次話もお付き合いいただければ嬉しいです。


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