第73話 ひとりでおばあちゃん
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
「遅いわよ、セレーナ」
玄関の扉を開けたアリーシャは、そう言って頬を膨らませた。
「連絡もなく押しかけてきた人に言われたくありません」
「会いたくなったから来たのよ。何か問題がある?」
「問題しかありません」
「相変わらず細かいわね」
アリーシャは悪びれることなく答え、セレーナの隣に立つシンジへ目を向けた。
その顔を見たまま、動きを止める。
「……誰?」
「え?」
シンジも目を瞬いた。
「いや、俺ですけど」
「俺では分からないわ」
「シンジです」
「シンジ?」
アリーシャの眉が上がる。顔を確かめるように、一歩近づいた。
「サカイ・シンジ?」
「そうです」
「本当に?」
「名前を名乗って疑われたのは初めてですよ」
アリーシャはシンジの周囲をゆっくり一周した。
正面から顔を見る。横から眺める。
背後へ回り、もう一度正面へ戻ってくる。
「何をしてるんですか」
「確認しているの」
「何の?」
「本物かどうかよ」
「どうやって確認するつもりだ」
「そうね……」
アリーシャは少し考えた。
「異世界から来た、五十二歳の、妻がいて、言動が面白い、独り言の多い男」
「そうだけど、認めたくない!」
「本物ね」
「雑すぎるだろ!」
アリーシャは改めて、シンジの顔をまじまじと見た。
「ずいぶん若くなったわね」
「俺も驚いてます」
「若いというより、若返りすぎじゃない?」
「俺に言われても」
「以前は年齢より少し若く見える程度だったのに、今はセレーナと並んでも違和感がないわ」
アリーシャの視線が、シンジからセレーナへ移る。
そして、二人を交互に見比べた。
「なるほど」
何かに納得したように、深くうなずく。
「これなら、ますます問題がなくなったわね」
「どういう……」
「いいの。あなたは口を挟まないでちょうだい」
「俺の扱いが雑な件について……」
「あとで聞くわ」
「絶対に聞かないやつだろ」
セレーナが小さく息を吐いた。
「玄関で騒いでいないで、中へ入りましょう」
「そうね。詳しい話を聞かなくては」
「詳しい話などありません」
「まだ何も尋ねていないわよ」
「尋ねる顔をしています」
「長い付き合いですものね」
アリーシャは楽しそうに笑い、当然のように屋敷の中へ入っていった。
三人が客間へ移ると、エドガーが茶を用意した。
アリーシャは長椅子の中央へ腰を下ろす。
向かい側に、シンジとセレーナが並んで座った。
エドガーが退出し、扉が静かに閉じる。
アリーシャは茶へ口を付けながら、正面の二人を眺めていた。
「やはり、前とは違うわね」
「何がですか?」
セレーナが警戒した声で尋ねる。
「二人の雰囲気よ」
「雰囲気?」
「前に会った時より、何かがまとまった感じがするわ」
シンジが隣を見る。
セレーナも同じタイミングでこちらを向いた。
目が合う。二人は、ほとんど同時に前へ向き直った。
アリーシャの目が細くなる。
「今の動きも、とても分かりやすいわね」
「偶然です」
「偶然だな」
「返事まで揃っているけれど?」
二人とも黙った。アリーシャは茶器を置いた。
「何かあったのかと聞けば、二人とも『何もない』と言うのでしょうね」
「実際、何もありません」
「だから、野暮なことは聞かないわ」
セレーナが意外そうに目を瞬いた。
「聞かないのですか?」
「ええ」
アリーシャはにっこり笑った。
「代わりに、別のことを聞くわ」
セレーナの表情が再び硬くなる。
「二人とも、いつまでそのままでいるつもりなの?」
「そのままって?」
シンジが尋ねた。
「お互いのことを、少しは理解し合っているのでしょう?」
「理解とは、どのような意味ですか?」
「言い方が難しかったかしら」
アリーシャは少し首を傾げる。
「お互いの気持ちに、多少は気づいている。そう言い換えた方がいい?」
「そ、それは……」
セレーナの視線が揺れた。シンジも答えられず、頬をかく。
「別に、それをここで語れとか、私に報告しなさいと言うつもりはないの」
「だったら、放っておいてください」
「そうしたいのだけれどね」
アリーシャはセレーナを見た。
「あなた、そのまま、おばあちゃんになってしまうわ」
「な、何を言っているのですか!?」
「あなたの性格は、あなた以上に知っているつもりよ。そのうえで言っているの」
「仮におばあちゃんになったとしても、それは人として自然な生き方であって……」
「セレーナ!」
アリーシャの声が客間へ響いた。
「お黙りなさい!」
「ひっ……」
セレーナが姿勢を正した。シンジもつられて背筋を伸ばす。
「な、何ですか」
「いい? あなたが年を取ることを悪く言っているのではないの」
アリーシャは先ほどまでの笑顔を消し、セレーナをまっすぐ見た。
「私が心配しているのは、そのままおばあちゃんになることよ」
「一人で……」
「隣に誰もいない年の取り方をしていくことを、私は心配しているの」
「そんなことは……」
「ないと言える?」
セレーナの口が止まる。
「……」
「言えないでしょう?」
アリーシャの声は厳しかった。だが、その目にはセレーナを責める色はなかった。
「いいえ。それどころか、あなたはすでに、その未来を受け入れている節があるわ」
「私は、そんなことを……」
「職場で好意を向けられても、気づかないふり」
セレーナは何かを言いかけて、口を閉じる。
「巡回先で誰かに声をかけられても、仕事の相談として処理する」
「なぜ、そんなことまで……」
「誰でも知っていることだわ」
「誰でも!?」
「少なくとも、あなたを知っている人ならね」
シンジがセレーナへ顔を向ける。
「人気者だったんだな」
「シンジまで話に加わらないでください!」
「でも、今は違うでしょう?」
アリーシャの声で、セレーナの反論が止まった。
「隣にシンジが現れた」
アリーシャは、二人の間へ視線を落とした。
「前にここへ来た時から、あなたの顔つきは違っていたもの」
「顔つき?」
「ええ。まったく異性に関心のなかったあなたが、初めて誰かを異性として意識していた」
「そんなことは……」
「あなたは、自分のことになると鈍感なのよ」
セレーナが言葉に詰まる。
「それに、自分の気持ちはいつも後回し。仕事ならすぐに答えを出すのに、自分のことになると考えないふりをする」
「考えないふりなど……」
「していないと言える?」
また、答えられない。
アリーシャは勝ち誇ることなく、静かにセレーナを見ていた。
その沈黙が、かえって逃げ道を塞いでいく。
「そして、シンジ」
「いきなりこっちに来た!?」
「あなたも、セレーナのことを憎からず思っているのでしょう?」
「憎からずって……」
「嫌いなの?」
「嫌いなわけないでしょう」
「では、大切?」
「それは……大切です」
「一緒にいたい?」
「質問が直線すぎる!」
「遠回りすると、あなたたちはすぐ脇道へ逃げるもの」
「二人まとめて問題児みたいに扱うな!」
「違うの?」
シンジは反論しようとした。
だが、隣のセレーナを見ると、彼女も困ったようにこちらを見ている。
ここは共闘すべきだ。
そう判断した。
「アリーシャ夫人」
「アリーシャ」
「今は呼び方の話じゃありません」
「大事なことよ」
「俺たちの気持ちは、俺たちが時間をかけて考えます」
「そうです」
セレーナも続いた。
「アリーシャが決めることではありません」
「決めつけられても困ります」
「今後は、この件へ勝手に口を出さないでください」
「二人の問題ですから」
シンジとセレーナは、ほとんど交互に言い切った。
シンジが小さくうなずく。セレーナもうなずき返す。
今度こそ、二人の意思は揃っていた。
アリーシャは、そんな二人をしばらく見つめた。
「なるほど」
そして、満足そうに微笑んだ。
「ちゃんと二人で同じ方向を向けるようになったのね」
「え?」
「これで確信したわ」
「何をですか」
「いいの。あなたは口を挟まないでちょうだい」
「また俺の扱いが雑になった!」
「セレーナ」
アリーシャはシンジを完全に無視し、友人へ向き直った。
「今、シンジと一緒に私へ反論した時、どう思った?」
「どう、とは?」
「一人ではなかったでしょう?」
セレーナの瞳が、わずかに揺れた。
「自分の隣に、同じ方向を向いてくれる人がいた」
セレーナは何も答えなかった。
けれど、その視線が一瞬だけシンジへ向いた。アリーシャは見逃さなかった。
「そういうことよ」
「何がですか」
「あなたはもう、一人で年を取る未来だけを選ばなくてもいいの」
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