第71話 その話し方のほうが
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
ハーヴェル商会を出てからも、ルカの頬は緩んだままだった。
「今回は、胸を張ってよい仕事です」
歩きながら低い声を作り、モリスの真似をする。
「もう何回目だ?」
「六回目なの」
「増えてるじゃないか」
「だって、あのモリスさんが私を褒めたんだよ?」
ルカは両手を胸元で握った。
「あのモリスさんが!」
「それだけ珍しいということですか?」
隣を歩いていたセレーナが尋ねる。
「ううん。褒める時は、ちゃんと褒めてくれる人だよ」
「なら、何がそんなに嬉しかったんだ?」
ルカはシンジへ振り返り、無邪気に笑った。
「でも今日は、『立派でした』って言ってくれた! それが、すごく嬉しかったの!」
「そうだな。立派に役割を果たしたもんな、ルカは」
「うん!」
その返事は、自信と喜びに満ちていた。
商会の役に立てた。
失敗ばかりではなかった。
自分が持ち帰った縁を、認めてもらえた。
ルカはその喜びを持て余すように数歩先へ駆け、くるりと振り返った。
淡い緑色の上着。濃紺のスカート。
きれいに整えられた短い髪には、小さな飾りが輝いている。
「ねえ、シンジ」
「なんだ?」
「今日の私、ちゃんとしてた?」
「してたよ」
「商会の人に見えた?」
「見えた」
「子供には見えなかった?」
「それは……」
「なんで考えるの!」
「嘘をつくわけにいかないだろ」
「ひどいの!」
ルカは頬を膨らませる。それから少し迷うように視線を揺らし、もう一度シンジを見た。
「今日も、かわいい?」
「ああ。かわいいよ」
シンジはあっさり答えた。
「ずっとかわいいぞ」
「本当?」
「本当だ」
ルカの顔が一気に明るくなる。
「なら、いいの」
その横で、セレーナの足がわずかに遅れた。
ほんの一歩。すぐに追いつける程度の遅れだった。
けれど、シンジの「ずっとかわいい」という言葉だけが、妙にはっきり耳へ残っていた。
別に、おかしなことではない。ルカは今日の装いを見てもらいたかったのだ。
尋ねられたシンジが、素直に答えただけ、それだけの会話だ。
そう分かっているのに、胸の奥に落ちた小さな棘が消えない。
「そういえば、ルカ」
シンジが尋ねた。
「前より、少し話し方が変わってないか?」
「変わった?」
「『なの』って、たまに出てたが、今は隠す気すらないな。それが素な喋り方なんだな」
「え?出てたの!?仕事では出さないように注意してたんだけど……」
「まあ、俺は気にしないが、誰かから指摘でもされたのか?」
「ガレンからいつも注意されてたの」
ルカは人差し指を立てる。
「声が小さいと舐められる。余計なことを言うと、考えが足りないのがばれる。語尾を伸ばすと頼りなく聞こえる」
「最後だけ、ずいぶん具体的だな」
「ガレンが私を見ながら言ったの」
「なるほど」
「納得しないで!」
ルカがシンジの腕を軽く叩く。シンジは笑いながら手を上げた。
「あはは、悪かったって。でも、今の話し方の方が自然だし、俺といる時は無理に変えなくていいぞ」
「今の方が自然?」
「ああ。ルカらしい」
シンジは少し考えてから続けた。
「その話し方の方が、かわいいと思う」
ルカの足が止まった。
「本当に?」
「本当に」
「変じゃない?」
「変じゃないよ」
「子供っぽくない?」
「少しは」
「そこはいらないの!」
「でも、無理して大人みたいに話すよりいいだろ」
ルカは口を尖らせた。それでも、嬉しさは隠せていない。
「じゃあ、シンジといる時は、このまま話すの」
「好きに話せばいい」
「うん。そうするの」
再び歩き出したルカの足取りは、先ほどよりも軽かった。
その後ろで、セレーナは黙って二人を見ていた。
かわいい。また、その言葉だった。
今度は装いではなく、話し方。
ルカらしいから、無理をしていないから、シンジはきっと、深い意味など持たずに言っている。
それも分かっている。それなのに、
「シンジ」
気づけば、名前を呼んでいた。
「なんだ?」
シンジとルカが同時に振り返る。セレーナは一瞬、何を言おうとしたのか分からなくなった。
「いえ……」
「何かあったのか?」
「その……」
胸の奥に刺さったものを、確かめたい。
けれど、何を確かめたいのかを口にすれば、自分でも認めてしまいそうだった。
「その話し方の方が、お好きなのですか?」
言ってから、セレーナは後悔した。
「え?」
シンジの足が止まる。ルカは目を丸くしたあと、二人の顔を交互に見た。
「その話し方って、私の?」
「そこまで限定してはいません」
「でも、今の話だとそうなるよな?」
「なりません」
「なってるの」
ルカが即座に言う。
「ルカは黙っていてください」
「セレーナさん、気になるの?」
「気になっていません」
「じゃあ、どうして聞いたの?」
「話の流れです」
「どの流れ?」
「ルカ」
セレーナが名を呼ぶと、ルカは両手で口を塞いだ。
しかし、その目は笑っている。シンジだけが、まだ質問の意味を測りかねているようだった。
「好みって言われてもな」
「答えにくいのであれば、結構です」
セレーナは前を向いた。
胸の奥に、先ほどより大きな棘が刺さる。聞かなければよかった。
こんなことを尋ねる自分ではなかったはずだ。
誰がどんな話し方をしようと、シンジが誰をかわいいと言おうと、自分には関係がない。
関係がないはずなのに、
「ルカはルカだからな」
後ろからシンジの声がした。セレーナは歩きながら、その続きを待ってしまった。
「無理して変えるより、今の方が似合ってるってだけだ」
「では、かわいいという部分は?」
また口が勝手に動いた。シンジが少し笑う気配がする。
「そこ、まだ残ってたのか」
「回答されていません」
「ルカがかわいいのは事実だろ」
「うん!」
ルカが元気よく返事をする。セレーナは唇を結んだ。
「でも、それと好みかどうかは別だ」
「そうですか」
自分でも驚くほど早く答えてしまった。
「そうです」
「分かりました」
胸の棘が、ほんの少しだけ小さくなる。
それに気づいたことが、さらに恥ずかしかった。ルカが二人の間へ顔を突き出す。
「じゃあ、セレーナさん」
「何ですか?」
「話し方を変えてみる?」
「なぜ、そうなるのですか」
「だって、セレーナさんも気にしてるみたいだから」
「気にしていません」
「じゃあ、シンジに聞いてみようよ」
「聞きません」
「シンジ、どう?」
「俺に振るな」
「セレーナさんの話し方、好き?」
「だ、だから俺に……」
「シンジ! ここはちゃんと言わないといけないところだよ!」
思った以上に声が響き、ルカは自分で驚いて口を押さえた。
通りを歩いていた何人かが振り返る。
セレーナはすぐに表情を整えたが、耳の熱までは隠せなかった。
「大声を出さないでください」
「ごめんなさいなの」
まったく反省していない顔だった。そこへ、通りの鐘が鳴った。ルカが鐘楼を見る。
「あっ」
「どうした?」
「商会に戻らなきゃ!」
「モリスさんに叱られないようにな」
「今日は褒められたまま終わりたいの!」
ルカは踵を返した。数歩走ってから、振り返る。
「シンジ!」
「なんだ?」
「お店の人に、旅人が何を探してるか聞いておくの!」
「ああ。頼む」
「私も、旅の途中で困ったことを思い出しておくから!」
「任せた」
「任せてなの!」
「仕事の時は短く話すんじゃなかったのか?」
「シンジに話してるから、これでいいの!」
ルカは満足そうに笑う。そして、セレーナへ目を向けた。
「セレーナさん」
「何ですか?」
「ちゃんと聞くんだよ!」
「何をですか!」
答える前に、ルカは逃げるように駆け出した。
濃紺のスカートが、人混みの向こうへ消えていった。
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