第65話 共有されたボード
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの、
なぜか若返ってしまった、やわらか 物語をお楽しみください。
セレーナは、胸部サイズの話など最初からなかったような顔で、ボードへ向き直った。
耳の赤みだけは、まだ消えていなかった。
「話を続けます」
「さっき十分ひどい目に遭っただろ」
「それとこれとは別です」
「俺は、もう今日の会議を閉じたいんだけど」
【議題は未解決です】
「お前は元気だな……」
「それで」
シンジは、セレーナとボードを交互に見た。
「結局、俺の管理権はどっちが持つことになったんだ?」
文字が一度消えた。
【双方の有効性を確認しました】
【有利な役割を分け、支援機能を最適化します】
「二人で分けるのですか?」
【常時観測、状態判断、危険判定、情報管理はこちらが担当します】
【実体を必要とする介助及び行動補助は、セレーナが担当します】
セレーナは表示を読み、静かにうなずいた。
「つまり、ボードが状態を確認し、私が実際に支えるのですね」
【認識は正確です】
「待て。指示権までセレーナに渡るのか?」
【スキル及び自動機能の操作権限に変更はありません】
【管理権限の移譲も行いません】
シンジは少しだけ安心した。
「じゃあ、何が変わるんだ?」
【セレーナへ限定情報開示権限を設定します】
「情報開示?」
【シンジの健康及び安全に必要な情報】
【介助判断に必要な身体状態】
【公開可能な一般知識及び物品情報】
「一般知識も?」
セレーナが身を乗り出した。
「私から質問してもよいのですか?」
【ボード表示中に限り、セレーナからの照会を受理します】
「それは……かなり便利ですね」
「今、俺の体調管理より食いつかなかったか?」
「気のせいです」
【セレーナの関心上昇を確認しました】
「ボード」
【一般知識への関心と判断しました】
「それなら構いません」
「訂正が早いな」
セレーナは少し考え、改めて尋ねた。
「私が誤った判断をした場合は、どうなりますか?」
【危険を検知した場合は警告します】
【介助の実行及び中止判断は、実体を持つ者が行ってください】
「判断の責任まで、セレーナに渡すわけじゃないんだな」
【情報を開示します】
【判断及び行動は、それぞれの意思によって行われます】
セレーナが小さくうなずいた。
「分かりました。情報を参考にして、私ができる範囲でシンジを支えます」
「俺にも判断する余地は残ってるよな?」
【シンジの意思は常に受理されます】
「おお」
【採用を保証するものではありません】
「一瞬だけ喜ばせるな!」
セレーナが口元を緩めた。
「妥当な分担だと思います」
「結局、俺の立場が一番弱い気がするんだが」
【自己管理の実績を反映した結果です】
「最後に刺す必要あったか?」
セレーナは、さらに表示を読み進める。
【シンジが共有を許可した知識及び認識も、照会対象に設定可能です】
「シンジの知識?」
「俺が知っていることって意味か?」
【シンジの記憶及び認識の範囲内で、情報を整理して表示します】
【シンジが知らない情報を新たに生成することはできません】
セレーナの目が大きく開いた。
「では、シンジの世界についても?」
【シンジが共有を許可した範囲で可能です】
「俺の頭の中を、セレーナが検索できるようになるのか?」
【表現は不正確です】
【共有を許可された知識及び認識を、理解しやすい形へ整理して表示します】
「似たようなものじゃないか」
「個人的な記憶も見えるのですか?」
セレーナの声が少し慎重になる。
【私的記憶及び個人情報は、内容ごとにシンジの許可が必要です】
「それなら安心した」
「安心するところですか?」
「昔の失敗まで勝手に一覧表示されたら、たまらないだろ」
【該当情報:多数】
「探すな!」
セレーナが笑いをこらえる。
「では、シンジが許可した知識なら、ボードを通して私も知ることができるのですね」
「ああ。俺が説明するより、分かりやすいかもしれない」
シンジは少し考えた。
言葉だけで説明するのが難しい物。
この世界にはない道具。
現代の仕組み。
頭の中には形があるのに、こちらの言葉ではうまく表せなかったもの。
それをボードが整理し、セレーナと共有できる。
今までなら、シンジが長々と説明し、セレーナが何度も聞き返し、それでも完全には伝わらないことがあった。
これからは、必要な概要をボードで共有してから、本当に話し合うべき部分へ進める。
「便利どころじゃないな」
「ええ」
セレーナはボードを見つめた。
その表情は、記録板へ向き合う巡回書記官のものだった。
情報がどう並び、どこまで確かなのか。
何が事実で、何がシンジ個人の認識なのか。
すでに、その使い方を考え始めている。
「表示する時は、参照元も分けてください」
【参照元の表示を設定します】
【エルストリアの記憶】
【シンジの知識及び認識】
【推測及び未確認情報】
「確かな情報と、シンジの記憶を混同しないようにしてください」
【確度及び条件を併記します】
「候補が複数ある場合は、性質や用途ごとに分けてください」
【比較表示の使用を設定します】
「ちょっと待て」
シンジは口を挟んだ。
「もう使いやすく改造を始めてないか?」
「改造ではありません。表示の整理です」
【セレーナの説明が正確です】
「また組んだな」
セレーナは満足そうにボードを見た。
その横顔を見て、シンジは小さく笑う。
「本当に、俺より使いこなしてるな」
「質問と記録を扱うのが、私の仕事ですから」
「今度は才女って言わない方がいいんだよな」
「学習したのですね」
【理解の進展を確認しました】
「お前まで褒めるな。なんか腹が立つ」
セレーナは、もう一度ボードへ向き直った。
「一つ、試してもよいですか?」
「何を?」
「シンジの世界の知識です」
「いきなり来たな」
「簡単なもので構いません」
シンジは少し考えた。
「じゃあ、俺の世界にあった、湯に入る場所について」
「湯に入る場所?」
「風呂だ」
シンジが共有を許可すると、ボードへ文字が浮かんだ。
【参照元:シンジの知識及び認識】
【名称:風呂】
【用途:身体の洗浄、保温、疲労軽減、休息】
【補足:家庭用、共同利用施設、温泉など複数の形態があります】
セレーナは一つずつ表示を読む。
「身体を洗うだけではなく、休むためにも使うのですね」
「ああ。俺のいた国じゃ、かなり身近だった」
【正確性:シンジの生活経験に基づく】
「こうして参照元と確度が分かれていれば、理解しやすいです」
「もう改善の効果が出てるな」
セレーナは少し考え、次の質問を組み立てる。
「では、エルストリアに存在するもので、湯を長く温かく保てるものはありますか?」
ボードの文字が切り替わる。
【参照元:エルストリアの記憶】
【候補:複数】
【条件が不足しています】
「条件?」
「どのくらいの湯を、どこで、どれくらい保ちたいかってことだろ」
セレーナがシンジを見る。
「目的を先に決める必要がありますね」
「ああ」
「シンジが目的を考え、私が質問を整える」
【条件が確定した場合、候補を比較表示します】
「そして、ボードがこの世界にあるものを探す」
三人の役割が、初めて一つにつながった。
シンジは、自分の頭の中にしかなかった知識が、セレーナへ届いたことを不思議に感じた。
それは記憶を覗かれた感覚ではない。
自分が渡したかったものだけが、形を整えて、相手の手へ届いた。
「これなら、いろいろできそうだな」
「ええ」
セレーナも、少し楽しそうにうなずいた。
知らないことを一緒に考える。
シンジが持つ知識と、この世界にあるものをつなぐ。
それは巡回書記官としての職務とは少し違う。
けれど、記録し、問いを整え、必要な答えへ近づくという点では、セレーナが積み重ねてきたものをそのまま使えた。
「明日の診察が終わったら、もう少し試してもよいですか?」
「少しで済むならな」
【セレーナの質問候補増加を確認しました】
「ボード」
「少しじゃなさそうだな」
セレーナは何も答えなかった。
ただ、少しだけ楽しそうに笑った。
「おやすみなさい、シンジ」
「おやすみ、セレーナ」
扉が閉まる。
足音が遠ざかってから、シンジは枕へ身体を預けた。
今日だけで、ボードはずいぶん使いやすくなった。
セレーナがシンジの状態を知り、必要な時には手を貸せる。
シンジの世界についても、長い説明を挟まずに共有できる。
これから何かを考える時、一人で頭を抱える必要はなくなるのかもしれない。
シンジは目を閉じた。
だが、すぐに開く。
「駄目だ」
【睡眠を推奨します】
「分かってる」
【心拍数上昇を確認しました】
「それは表示制限しただろ」
【健康状態に関する情報です】
「理由は聞くな」
【照会されていません】
「なら黙ってろ」
目を閉じる。
頭の中に、先ほどの表示が浮かんだ。
Fカップ相当。
「忘れろ、俺」
【記憶の消去機能はありません】
「知ってるよ!」
静かな屋敷の夜に、シンジの声だけが虚しく響いた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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