第64話 ボードは容赦しない
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの、
なぜか若返ってしまった物語をお楽しみください。
その日の夕食後。
シンジが客室へ戻ると、セレーナも薬と水差しを持って入ってきた。
「もう一人で戻れるぞ」
「知っています」
「じゃあ、どうして一緒に来たんだ?」
「薬を確認するためです」
セレーナは机の上へ水差しを置き、薬包の数を確かめる。
シンジは寝台へ腰を下ろした。
小客間から客室まで歩いただけだが、右の脇腹にはわずかな痛みが残っている。
【動作時疼痛:軽度】
【休息を推奨します】
「言われなくても、これから寝るよ」
【過去の行動を考慮し、確認が必要です】
「文章になると、本当に遠慮がなくなったな」
「内容は以前と同じです」
「分かってる」
セレーナは薬包を一つ取り、シンジへ差し出した。
「飲んでください」
「まだ早くないか?」
「決められた時間です」
シンジがボードを見る。
【服用時刻:適正】
「ほら」
「何が、ほら、ですか?」
「今回は俺が合ってる」
「私は最初から、今飲むように言っています」
「そうだった」
【会話内容の確認が不足しています】
「お前は少し黙ってろ」
薬を水で流し込む。
セレーナは、それを見届けてから椅子へ腰を下ろした。
「そういえば」
その視線が、ボードへ向く。
「朝の話が残っていました」
「朝の話?」
「必要性はこちらで判断すると、ボードが表示した件です」
「ああ」
シンジは思い出した。
セレーナが、必要のない表示でシンジを困らせないよう求めた。
それに対して、ボードは自分で必要性を判断すると返した。
「本当に確認するつもりだったのか」
「当然です」
セレーナは背筋を伸ばし、ボードを正面から見た。
「シンジへの情報表示と行動上の助言は、誰の判断で行うのですか?」
【シンジの状態を観測し、必要な情報と助言を表示します】
「ですが、実際に薬を渡したり、身体を支えたりできるのは私です」
【身体状態及び行動履歴は常時観測しています】
「私も、できる範囲で確認しています」
【セレーナがシンジと共有しているのは、一日のうち限られた時間です】
【こちらは就寝時を含め、常にシンジのそばにいます】
「なんか始まったな」
シンジは、セレーナとボードを交互に見た。
自分の扱いについて話しているはずなのに、本人だけが完全に置き去りにされている。
「それでも、ボードには実体がありません」
セレーナは退かなかった。
「シンジが転びそうになっても、直接手を差し伸べることはできません」
【事実です】
「ですから、実際に介助する者の判断も重要です」
【身体情報の正確性はこちらが優位です】
「実際の状況を見て判断できる点では、私が優位です」
少しの沈黙。
ボードが淡く明滅する。
「お前ら、俺の管理権を巡って喧嘩してないか?」
「喧嘩ではありません」
【比較検討中です】
「ボードの方が正直だな」
セレーナは少し考えた。
「つまり、私も就寝時まで一緒にいれば、観測できる時間の差はなくなるのですか?」
「待った!」
シンジは右手を上げた。
「ストップ! 話が変な方向へ進んでる! 双方、落ち着け!」
【感情機能はありません】
「私は冷静です」
「そこだけ息を合わせるな!」
シンジはボードを指さした。
「ボードは少し黙ろうか。セレーナも、話を元へ戻そう」
【セレーナによる直接的関与について考査します】
「ええ。考えてみてください」
「続けるのか……」
【実体を持つセレーナは、シンジへの直接接触が可能です】
「ん? 言い方が少し誤解を招くぞ」
セレーナは一瞬だけ黙り、わずかに視線を逸らした。
「……おおむね、合っています」
「認めるな」
【接触による支持、介助、姿勢補正が可能です】
「そうです」
セレーナは自信を取り戻したように背筋を伸ばす。
「ですから、直接介助できる立場の判断も優先するべきです」
【却下します】
セレーナの眉が動いた。
「なぜですか?」
【すべての接触が、シンジの安全につながる保証はありません】
「保証?」
セレーナの目が細くなる。
「私は、シンジの安全を脅かすようなことはしていません」
ボードの表示が消えた。
少し間を置いて、新しい文字が浮かぶ。
【過去の胸部接触時、シンジの心拍数上昇、呼吸の乱れ、注意力低下を確認しました】
部屋の空気が止まった。
「…………」
「…………」
シンジは表示を二度読んだ。
「ちょっと待て!」
声が裏返った。
「何の話を始めるんだ、お前は!」
「胸部、接触……」
セレーナの視線が揺れる。
寝台の上へ二人で倒れ込んだ時のことを思い出したらしい。
頬から耳まで、みるみる赤くなっていく。
「俺は、そんなこと思ってない!」
シンジは慌てて否定した。
「断じて、変な意識なんてしてないからな!」
【本人申告と観測結果が一致しません】
「お前が言うな!」
「怪我の痛みによる反応ではないのですか?」
【負傷による生体反応とは一致しません】
「ボード、もう黙れ!」
【接触時の圧力分布から、追加情報の推定も可能です】
シンジの動きが止まった。
セレーナも固まる。
「追加情報?」
「聞くな!」
【胸部接触時の情報から、簡易サイズ表記が可能です】
「おい、待て。お前も俺の話を聞いてくれ!」
「簡易サイズ……とは?」
セレーナが首を傾げた。
「セレーナも聞くな!」
【セレーナの胸部サイズは、Fカップ相当です】
「うわああああああああああああ!」
シンジの絶叫が客室へ響いた。
「シンジ、うるさいです!」
「セレーナ、それを聞くと俺が壊れる! まずいんだよ!」
「な、何がまずいのですか!」
セレーナは胸元を両腕で隠すように抱え、顔を真っ赤にした。
【衣服着用時の推定値です。誤差を含みます】
「補足しなくていい!」
「誤差……」
「セレーナも真剣に考えないでくれ!」
【より正確な測定には追加接触が必要です】
「絶対にするな!」
「追加接触……」
「だから復唱しないでくれ!」
セレーナはみるみる耳まで赤くなっていく。
「と、とにかく」
視線をさまよわせながら、セレーナが言った。
「シンジは私を……その、女性として意識したということですか?」
「違う! いや、違うって言い切ると、それはそれで失礼な気がするけど!」
【異性として強く意識している状態と推測】
「お前が答えるなああああ!」
「強く……」
「そこだけ拾わないで!」
シンジは両手で顔を覆った。
「ボードさあああん……お願いだから、俺の心を裸にしないで……」
【心理状態を直接参照しているわけではありません】
「身体反応から暴く方が、もっとたちが悪いんだよ!」
セレーナは胸元を押さえたまま、俯いている。
「そういう目で見られていたと知ると……少し、困ります」
「いや、セレーナは恩人で、俺にとって、そういう目で見ちゃいけない人だと分かってるし!」
【シンジ、言葉の選択を誤っています】
「分かってる! 言ってから分かった!」
セレーナが顔を上げた。
「見てはいけない人、ですか?」
「違う! 大切な人だから、失礼なことを考えちゃいけないって意味で!」
【適切な言い直しを評価します】
「いちいち採点するな!」
セレーナはしばらくシンジを見つめた。
やがて、赤い顔のまま小さく息を吐く。
「……今の言い直しは、受け取っておきます」
シンジが胸をなで下ろす。
【セレーナの心拍数上昇を確認しました】
「ボード!」
「今度はセレーナか!」
【原因候補:羞恥、動揺、異性的関心】
「最後の候補を消してください!」
【候補の削除は事実の変更に該当します】
「今日のお前、本当に容赦ないな!」
赤くなったセレーナと、半泣きのシンジ。
二人の間で、ボードだけが何事もなかったように淡く光っていた。
しばらくして。
セレーナは胸元を隠していた腕を、ゆっくり下ろした。
顔の赤みは残ったままだ。
「ボード」
【何でしょうか、セレーナ】
「今後、本人の同意なく、異性的な反応や私的な身体情報を表示しないでください」
【変更を確認しました】
シンジは枕へ沈み込みながら、深く息を吐いた。
「助かった……」
「ただし」
セレーナが続ける。
「怪我や体調、無理を隠した場合の情報は、これまでどおり表示してください」
【承知しました、セレーナ】
「そっちは残すのかよ」
「当然です」
セレーナは、まだ赤みの残る顔のまま、乱れた呼吸を整えた。
これでようやく終わった。
シンジがそう思った時、セレーナは改めて椅子へ座り直した。
「それで、最初の話へ戻ります」
「まだ戻るのか?」
「結論が出ていません」
シンジは言葉を失った。
胸部サイズを暴かれ、異性として意識していたことまで公開され、心を丸裸にされた気分なのに。
シンジの扱いを誰が決めるのかという議題は、まだ一歩も進んでいなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
少しでも続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




