第57話 わたしの勘(学院編3/3)
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
セレーナ学院編の物語、ファイナルです。
アリーシャがセレーナの背中を押したいと思うようになってから、セレーナを見る目は少しだけ変わった。
友人として隣にいることは変わらない。
けれど、ふとした瞬間に思う。
本当に、この子なら届くのではないか。
巡回書記官だけが触れることが許される世界の記憶。
セレーナなら、きっと。
◇
魔法実地の授業で、セレーナが風を使うと、空気が静かになった。
風は本来、見えにくい。
だから扱いが難しい。
強く吹かせれば標的を倒せるが、強すぎれば周囲まで巻き込む。
弱ければ届かず、細すぎれば途切れる。
けれど、セレーナの風は違った。
標的の札だけを切った。
砂を巻き上げず、隣の札を揺らさず、試験台の上に置かれた薄紙だけを静かに落とした。
見ていた教師が、しばらく言葉を失った。
「今の、どうやったの?」
授業後、アリーシャが詰め寄ってきた。
「どう、とは?」
「風よ。あれだけ細く使える人、そういないわ」
「練習したから」
「練習だけでできるなら、みんな今頃、風魔法の名手よ」
「そうなの?」
「そうなの!」
アリーシャはじっとセレーナを見た。
からかう時とは違う目だった。
「あなた、本当に書記官向きね」
「風魔法と書記官に関係があるの?」
「あるわよ。たぶん」
「たぶん?」
「今はまだ、たぶんでいいの」
セレーナは首を傾げた。
アリーシャはそれ以上、説明しなかった。
ただ、ひとつだけ分かっていた。
セレーナは、正しいだけの人間ではない。
言葉を紡ぎ、記録を読み、法を追い、魔法を細く扱える。
そして何より、力を見せびらかすことに興味がない。
そこが、アリーシャにはとても大事なことに思えた。
◇
卒業の日、アリーシャは泣かなかった。
泣きそうな顔はしていた。
けれど、泣かなかった。
「泣かないのね」
セレーナが言うと、アリーシャは眉をつり上げた。
「あなたが泣かないから、わたしまで泣けないのよ」
「それは責任重大ね」
「そういうところよ」
アリーシャは、いつものように怒って、いつものように笑った。
「セレーナ」
「なに?」
「あなたは、きっと書記官になるわ」
「その予定よ」
「そうじゃなくて」
アリーシャは首を振った。
「あなたは、すっごく変で、すっごく素敵な書記官になるわ」
セレーナは少しだけ目を細めた。
「それは、褒めているの?」
「もちろん」
「私は巡回書記官になりたい。そのための第一歩よ」
「知っているわ」
アリーシャは笑った。
「覚えていてくれたの?」
セレーナは少しだけ目を見開いた。
「友達だもの」
アリーシャは得意げに胸を張った。
「セレーナなら、きっとなれる。わたしが保証するわ」
けれど、その保証は、ただの慰めではなかった。
アリーシャは知っていた。
セレーナがどれだけ記録を正確に読むか。
どれだけ法文の抜けを嫌うか。
どれだけ人の噂より事実を見ようとするか。
そして、神聖魔法と風魔法にどれほど高い資質を持っているか。
危険な力を持っても、振り回さない人間だということも。
だからアリーシャは、保証すると言えた。
「理由は?」
セレーナが尋ねた。
アリーシャは、少しだけ口角を上げた。
「うふふ、勘よ」
本当の理由を説明したところで、この友人は首をかしげるだけだろう。
「根拠が勘というところが気になるけれど、がんばるわ」
「わたしの勘は、あてにしていいからね」
この時、アリーシャにはある計画があった。
父の領では、巡回書記官の増員が必要になっている。
最近、隣接する子爵家の領が併合され、領地が増えた。
人が足りない。
けれど、ただ書けるだけの人間では足りない。
巡回書記官には、禁忌魔法を授かれるだけの資質が要る。
世界の記憶に触れ、正しい答えを導く才覚が必要になる。
危険な力を預けても、折れず、酔わず、曲がらない心が要る。
手紙で交わした近況から、アリーシャはそれを知っていた。
父が、領内にも知己にも適任者がいないと悩んでいることも。
だから、アリーシャはひそかに父へ書いた。
学院主席で、前代未聞の在学中に書記官本試験へ合格した才女がいること。
神聖魔法と風魔法に高い適性を持ち、学院では百年に一人と噂されるほどの魔術資質を持っていること。
ずっとそばで見てきた限り、人格にも問題がなく、巡回書記官に必要な危険な力を預けられる人物だと思うこと。
そして本人も巡回書記官を目指しており、その覚悟があること。
最後に、友人として、セレーナが自分にとって大切な存在であることも書き添えた。
まだ返事はない。
けれど、アリーシャの中では、もう歯車は回り始めていた。
実際、この一年後に辺境伯家から推薦状が届くことになる。
そして、何より。
自分の結婚式に、セレーナに来てほしかった。
卒業しても、そばにいてほしかった。
私の自慢の友人として。
けれど、それを今言えば、セレーナはきっとその手を素直には取らないだろう。
だからアリーシャは、黙っていた。
「ところで、アリーシャ」
「なに?」
「あなたは卒業後、領地に戻れば辺境伯家の三女でしょう。これからどうするの?」
「ふふ、もう決まっているわ」
「決まっている?」
「前に話したでしょう。まずはお父様を説得するわ」
「幼馴染の方との婚約?」
「ええ」
「まだ決まっていないのに?」
「決めるの」
「強いわね」
「好きなものは、欲しいもの」
「そういうものなの?」
「そういうものよ。だからセレーナも、欲しいものができたら取りに行きなさい」
「私は、巡回書記官になりたいわ」
「それは知っているわ」
アリーシャは笑った。
「でも、それ以外もよ」
セレーナは答えられなかった。
それ以外。
その言葉の意味を、うまく掴めなかったからだ。
遠くで鐘が鳴っている。
学院生活の終わりを告げる鐘だった。
けれど、セレーナには終わりというより、記録の一行が閉じられたように感じられた。
普通に勉強していただけの日々。
噂された日々。
理解されなかった日々。
そして、その中でたった一人、普通の友人として隣に立ってくれた人。
セレーナは、その記録を心の奥にしまった。
書類には残らない。
けれど、消えない記録だった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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