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異世界テンプレを信じた俺がバカでした  〜ステータスは出た。スキルもあった。だが、ほぼ履歴書だった〜  作者: 小森こもり
第二章 ~感情~

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第55話 大切な友人(学院編1/3)

【前書き】


いつもお読みいただきありがとうございます。

セレーナ学院編の物語をお楽しみください。



 廊下を歩くたび、声が聞こえる。


「あの人が、例の?」


「そうそう、あの……」


 声を潜めているつもりなのだろう。


 けれど、学院の廊下はよく響く。

 石造りの壁も、高い天井も、秘密を守るには向いていない。


 セレーナは足を止めずに歩いた。


 何をしたというのだろう。


 課題を出されたから解いた。

 試験があったから受けた。

 覚えるべきものがあったから覚えた。

 調べるべきものがあったから調べた。


 ただ、それだけだ。


「普通に勉強して、普通に過ごしているだけなのに」


 そう、小さくこぼしたつもりだった。


「セレーナ」


 背後から声が飛んできた。


 振り返ると、アリーシャが頬をふくらませて立っていた。

 淡い金の髪を揺らし、きちんと結ばれた制服のリボンまで、なぜか怒っているように見える。


「あなたがそれを普通にって言うと、わたしまでひそひそ言いたくなるんだけど?」


「どうして?」


「どうして、じゃないわよ」


 アリーシャは大きく息を吐いた。


 辺境伯家の三女。


 本来なら、セレーナのような身分の低い者が気軽に言葉を交わせる相手ではない。

 学院の中でさえ、彼女に声をかける時は、誰もが少しだけ背筋を伸ばす。


 けれど、アリーシャは違った。


 最初から、セレーナを同じ高さで見た。


 貴族の娘としてではなく。

 才女としてでもなく。

 珍しいものを見る目でもなく。


 ただ、友人として。


「いい? セレーナ」


 アリーシャは人差し指を立てた。


「あなたは入学してから一度も、学業で誰にも負けていないの」


「勝ち負けのために勉強しているわけではないわ」


「そういうところよ!」


 アリーシャの声が少し大きくなり、近くにいた学生がちらりとこちらを見る。


 セレーナは首を傾げた。


「知りたいことを知るために勉強しているだけなのだけれど」


「おだまりなさい、セレーナ」


「怒るところかしら」


「怒るところよ。もう、この子の感情のネジ、どこに落としたのかしら」


 アリーシャは額に手を当てた。


「本気で言っているから、余計にたちが悪いのよ」


 セレーナは少し考えた。


 どうやら、自分はまた何かを間違えたらしい。


 試験問題なら、誤答には理由がある。

 文書なら、誤字も脱落も見つけられる。

 法文なら、解釈の揺れも追える。


 けれど、人の反応は難しい。


「もういいわ」


 アリーシャは肩をすくめた。


「とりあえず、今は何も言わずに勉強しましょう」


「ええ」


「そこで素直なのも腹が立つわね」


「どちらなの?」


「どちらでもあるの」


 アリーシャはそう言って笑った。


 その笑い方が、セレーナは好きだった。


   ◇


 学院の書庫は、昼でも少し薄暗い。


 古い紙と革表紙の匂いがする。

 セレーナは、その匂いも嫌いではなかった。


 アリーシャは机に肘をつき、退屈そうに羽根ペンを回していた。


「そういえば、セレーナ」


「なに?」


「あなた、あと二年で卒業でしょう。卒業後は、やっぱり書記官?」


「ええ」


 セレーナは手元の資料から目を離さずに答えた。


「本試験は終えているから、今は教育課程の一部を受けているところよ」


 羽根ペンが、ぽとりと机に落ちた。


「本試験って、書記官本試験?」


「ええ」


「在学中に?」


「ええ」


「合格したの?」


「ええ」


 アリーシャはしばらく黙った。


 それから、ゆっくりと顔を覆った。


「それが事実なら前代未聞よ、それ」


「そうなの?」


「そうなの、じゃないの」


「普通は卒業後に受けるものだとは聞いたわ」


「聞いた上で受けたのね」


「受験資格は満たしていたから」


「この子、ほんとに……」


 アリーシャはため息をついた。


 けれど、その声には呆れだけではないものが混じっていた。


「セレーナを見ていると、本当にこの子が噂の主席なのかしらって思うわ」


「どういう意味?」


「そのままの意味」


 アリーシャは頬杖をついた。


「みんなが噂しているセレーナは、冷静で、無口で、何でも知っていて、魔法実地も試験も一度も負けない人。手の届かない場所にいる人」


「私はそこまで立派ではないわ」


「知っているわよ」


 アリーシャは当然のように言った。


「だから友達なの」


 セレーナは、そこで初めて手を止めた。


 友達。


 それはアリーシャが何度も使う言葉だった。

 それでも、聞くたびに少しだけ胸の奥が落ち着かなくなる。


「普通って言うと、また怒られそうだけれど」


「怒る準備はしているわ」


「こうして普通に接してくれるアリーシャには、これからも普通に接してほしいと思っているの」


 アリーシャは、少しだけ目を大きく開いた。


 それから、眉を八の字に下げる。


「何を言ってるの」


「変だったかしら」


「変ではないわ」


 アリーシャはペンを置いた。


「友達でしょ。遠慮なんていらないの。あなたがどこの誰でも、どれだけ試験で勝っても、あなたは普通の友人セレーナよ」


 アリーシャは胸に手を当てた。


「そして、わたしはあなたの友人アリーシャ」


 少し芝居がかった口調だった。


 けれど、セレーナは笑わなかった。


 笑えなかった。


 その言葉は、からかいよりもずっと深く、心に落ちたからだ。


   ◇


「はい、終わり」


 アリーシャが突然立ち上がった。


「まだ三章分残っているわ」


「残っているわ、じゃないの。人間は昼食を食べる生き物なのよ」


「水は飲んだわ」


「それは生存最低条件!」


 アリーシャはセレーナの手元から資料を取り上げた。


「あ」


「あ、じゃない。あなた、放っておくと紙と一緒に乾いていくのよ」


「乾く?」


「心がよ」


「心は乾燥するの?」


「今、比喩を解剖しないで」


 アリーシャは資料を閉じ、セレーナの腕を取った。


 中庭へ出ると、昼の光がまぶしかった。


 学生たちが芝生の端や石段に腰かけ、弁当や焼き菓子を広げている。

 笑い声。

 噂話。

 誰かの失敗談。

 試験への愚痴。


 セレーナには、そういう時間の使い方が少し分からなかった。


 無駄ではないのだろう。

 けれど、何のための時間なのか、うまく言葉にできない。


「はい」


 アリーシャが小さな包みを差し出した。


 中には焼き菓子が二つ入っていた。


「これは?」


「ひとつはわたしの。ひとつはあなたの」


「私は頼んでいないわ」


「頼まれる前に渡すのが友達よ」


「そういうものなの?」


「そういうものにするの」


 アリーシャは勝手に決めたようにうなずいた。


 セレーナは焼き菓子を受け取った。


 温かくはない。

 けれど、指先に少しだけ油がついた。


 紙や革とは違う感触だった。


「おいしい」


「でしょう?」


 アリーシャは得意げに笑った。


「あなたはね、セレーナ。少しは答案用紙以外も見た方がいいの」


「見ているわ。法文も地図も報告例も」


「そういう意味じゃない」


「難しいわね」


「だからわたしが教えてあげる」


 アリーシャは胸を張った。


「友達なので」


 その言い方があまりにも当然だったので、セレーナは少しだけ困った。


 そして、困ったまま、ほんの少し笑った。


「それなら、よろしくお願いするわ」


「任せなさい」


 アリーシャは満足そうにうなずく。


 中庭の風が、二人の髪を揺らした。


 この時間は、試験には出ない。

 報告書にも残らない。

 成績にもならない。


 けれど、セレーナはその日の焼き菓子の味を、ずっと覚えていた。


 その時のセレーナは、まだ知らない。


 その焼き菓子を差し出した友人が、いつか自分の進む道に、そっと手を添えることを。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


少しでも続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。


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