第50話 五十二歳と若返り報告
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。
食事が終わる頃、セレーナは今日の予定を告げた。
「午前中は休養です。食後に少し歩き、部屋で休んでください。午後、体調が安定していれば、支所への報告内容を整理します」
「仕事復帰初日みたいだな」
「仕事復帰?」
「病み上がりで会社に戻る日だよ。顔は出すけど、無理はするなって言われる」
「無理をする人が多いのですか」
「多いな」
「なぜですか」
「休んだ分、取り戻さなきゃって思うから」
セレーナは真面目に考え込んだ。
「シンジも、そうですか」
「昔はな」
「今は?」
「今は、倒れたら周りに迷惑がかかるって覚えた」
「よい学習です」
「五十二年かかったけどな」
セレーナが一瞬止まった。
ノーラも止まった。
ミアも止まった。
マーサは目を丸くした。
エドガーだけが、静かに茶を置いた。
「五十二」
ノーラが小さく呟く。
「はい。五十二です」
真司は自分で言って、少しだけ傷ついた。
「シンジさん、そんなに」
「そんなに、の後を言わない優しさをください」
「はい」
ノーラはこくこく頷いた。
「でも、本当にお若く見えます」
ミラが控えめに言った。
「私も、三十代の方だと思っていました」
「三十代」
真司は、少しだけ救われた顔になった。
「ありがとう。今、その言葉でかなり回復した」
「いえ。本当に」
「まあ、こっちの世界に来て、なんか若返っちゃったみたいなんだよね。理屈は分からないけど、そうらしい」
食堂が止まった。
今度は、さっきとは別の意味で止まった。
セレーナが、ゆっくり真司を見る。
「シンジ」
「はい」
「私、聞いていませんよ」
「え」
「そんな重要なことを、この場で言いますか」
「いや、流れで」
「流れで身体変化を報告しないでください」
「ごもっともです」
ノーラが小さく手を上げかけた。
「あの、セレーナ様、落ち着いて」
「落ち着いています」
「いえ、あまり落ち着いていないように」
「落ち着いています」
エドガーが静かに口を開いた。
「セレーナお嬢様」
「お嬢様じゃありません」
「まずは深呼吸を」
「すぅー……っ。必要ありません。シンジ、詳しい報告を」
「今ですか」
「今です」
「朝食中なんだけど」
「重要度が高いです」
真司は助けを求めるように周囲を見た。
マーサは焼き林檎の皿を、そっと真司の方へ押した。
「シンジさん、まず一口食べてからにしましょうね」
「マーサさんが一番優しい」
「食べたら、後でちゃんと報告ですからね!」
「セレーナさんが一番厳しい」
マーサがしみじみと言う。
「まあ、でも男の方は少し年を重ねたくらいが落ち着きますからねえ」
「少し」
真司は遠い目をした。
「少しですとも」
「マーサさんの優しさが温かいけど、微妙に刺さる」
セレーナが真面目な顔で口を開いた。
「老木は、根を張り、風に耐え、長く場を守るものです」
「セレーナさん」
「はい」
「慰めようとしてます?」
「はい」
「老木はなかなかの威力です」
「……失敗しましたか」
「半分くらい」
「では、訂正します」
セレーナは少し考えた。
「シンジは、倒れてもまた起き上がる人です」
真司は、言葉に詰まった。
冗談で返そうとしたが、うまく出てこなかった。
セレーナは、真顔だった。
だから余計に困る。
「えっと……ありがとう」
「はい」
短い返事だった。
それだけで、食堂の空気が少し変わった。
ノーラがにやっとした。
ミラがそれに気づいて、肘で小さくつつく。
マーサは何か言いたそうにして、エドガーに視線で止められている。
この家の人間、意外と表情が豊かだ。
そう思った時だった。
玄関の方から、よく通る声が響いた。
「セレーナ! いるのでしょう!」
食堂の空気が凍った。
本当に凍った。
スープの湯気だけが、場違いにのんびり上っている。
真司はスプーンを持ったまま、セレーナを見た。
セレーナは動かない。
ノーラは目を見開いている。
ミラはそっと姿勢を正した。
マーサは「あらまあ」とだけ言った。
エドガーは、静かに目を閉じた。
諦めの目閉じだった。
「……お客様ですか」
真司が小声で尋ねる。
セレーナは、ゆっくり息を吐いた。
「古い知り合いです」
「古い知り合い?」
「はい」
「声だけで、皆さんの反応がすごいんですが」
「そういう人です」
玄関の声は、さらに近づいてきた。
「隠しても無駄よ。あなたが異邦人を連れ帰ったって聞いたもの!」
真司は固まった。
聞こえている。
完全に聞こえている。
しかも内容がもう物騒である。
「俺、部屋に戻るか、隠れた方がいいかな?」
「無駄です」
セレーナは即答した。
「無駄!?」
「アリーシャは、探します」
「探す!?」
「はい。見つけるまで、家の中を。すでに、呼び鈴も鳴らさないで家に入ってきている。これがどういう意味かわかりますね?」
「止められないのか!?」
セレーナは真顔で答えた。
「止まる人なら、今ここで問題になっていません」
真司は、そっとスプーンを置いた。
黒沼とは違う。
敵意でもない。
だが、確かに何かが迫っている。
廊下の向こうから、軽やかな足音が近づいてくる。
明るく、遠慮なく、扉を開ける前から部屋の空気を自分のものにしてしまう足音だった。
真司は思った。
この世界には、黒沼とは別の災害がある。
しかもたぶん、笑顔で来る。
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