↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界テンプレを信じた俺がバカでした  〜ステータスは出た。スキルもあった。だが、ほぼ履歴書だった〜  作者: 小森こもり
第二章 ~感情~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/106

第47話 家であり、基地

【前書き】


いつもお読みいただきありがとうございます。

異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。



 廊下に、静かな空気が流れていた。


 シンジは、照れくさそうに頭をかいた。


 少し動いただけで肋骨が痛み、すぐに顔をしかめる。


「痛っ……こういう時くらい、かっこよく言わせてほしいんだけどな」


「無理をしないでください」


「分かってる」


 シンジは小さく息を吐いた。


 言葉を選び直す。


「俺はさ、この家に招いてもらえて、本当に安心したんだ」


「シンジ……」


「心の底から眠れた。誰かに起こされるためじゃなくて、眠っていい場所で眠れた」


 セレーナは何も言わなかった。


「この世界で初めて、温かくてうまい食事を食べた。食べたら、身体だけじゃなくて、気持ちまで少し楽になった」


 シンジは、窓の方へ視線を向けた。


 夕方の光が、薄布越しに廊下へ落ちている。


「異世界に飛ばされて、右も左も分からなかった。不安で仕方なかった。怖い思いもした。痛い思いもした。何が正しいのかも、誰を信じていいのかも分からなかった」


 そこで、一度言葉が止まる。


 セレーナは、ただ静かに聞いていた。


「でも、今はこうして立ってる。飯を食って、寝て、まだ痛いだの寝具に負けるだの、くだらないことも言えてる」


 シンジは、少しだけ笑った。


「それは、セレーナが俺を保護してくれたからだ」


 セレーナの指が、かすかに動いた。


「私は、職務として」


「うん。そう言うと思った」


 シンジはうなずいた。


「でも、その職務の中で、セレーナは俺を見捨てなかった。ここに連れてきてくれた。普通はしないことを、必要だと思ってやってくれた」


 セレーナの唇が、少しだけ引き結ばれる。


「俺は、セレーナを責めてない」


「……」


「むしろ、感謝してる」


 その言葉に、セレーナの目がわずかに揺れた。


「セレーナに会わなかったらって考えると、正直、怖い」


 シンジは静かに言った。


「黒沼のそばで、誰にも言葉が通じないまま、怪しまれて、隔離されて、どこかで間違われて終わってたかもしれない。シュゼーレンみたいなやつに、もっと早く潰されてたかもしれない」


「そんなことは」


「分からない。けど、ありえたと思う」


 シンジはセレーナを見た。


「だから、ありがとう」


 セレーナは、動かなかった。


「俺を保護してくれて、ありがとう」


 廊下が、しんと静まった。


「俺を、この家に連れてきてくれて、ありがとう」


 セレーナの目に、光がにじんだ。


「出会ってくれて、ありがとう」


 その一言で、セレーナは顔を伏せた。


 何かをこらえるように、肩が小さく震える。


「……それは」


 声が、少しだけ揺れていた。


「私が、言われていい言葉ではありません」


「なんでだよ」


「私は、もっと早く気づくべきでした。もっと早く、助けるべきでした。あなたを危険な場所へ置いてしまった。怖い思いも、痛い思いもさせました」


「それでも助けてくれた」


「でも」


「でもじゃない」


 シンジの声は、強くはなかった。


 けれど、まっすぐだった。


「俺は今、助かってる」


 セレーナは顔を上げられなかった。


「セレーナがどう思ってるかは分からない。後悔してることも、悔しいこともあるんだと思う」


 シンジは、少しだけ息を整えた。


「でも、俺から見たら、セレーナは助けてくれた人、命の恩人だよ。感謝してもしきれない」


 セレーナの頬を、涙が一筋だけ伝った。


 彼女はそれに気づくと、慌てて指で拭おうとした。


 だが、うまく隠せなかった。


「……困ります」


「何が」


「そのようなことを言われると、記録が乱れます」


「記録の問題なのか?」


「心の、記録が」


 言ってから、セレーナは自分で少しだけ目を伏せた。


 シンジは一瞬黙り、それから小さく笑った。


「それ、ちょっと詩人っぽいな」


「忘れてください」


「忘れない」


「忘れてください」


「無理だな。今のはいい言葉だった」


 セレーナは、もう一度目元を拭った。


 それでも、涙は完全には止まっていなかった。


「……シンジ」


「うん」


「こちらこそ」


 セレーナは、ゆっくり息を吸った。


「信じてくれて、生きていてくれて、ありがとうございます」


 その声は小さかった。


 けれど、廊下にはっきり届いた。


 シンジは少しだけ笑った。


「じゃあ」


 彼は、照れ隠しのように廊下を見回した。


「ここは、セレーナの基地だな」


「基地?」


「そうだ。基地っていうのは、俺のいた世界では、外で動くための拠点とか、戻って立て直す場所って意味でも使ってたんだ」


「意味はこちらでもだいたい合っています」


「だから、セレーナが外で動くために戻る拠点だ。疲れたら休む。必要なものを整える。支えてくれる仲間がいる。食事も出る。戻れば、なんとかなる」


「戻れば、なんとかなる……」


「この基地があるから、セレーナは巡回書記官として外へ出られる。ここはセレーナを助ける場所で、セレーナが誰かを助けるための場所でもある」


 セレーナは、その言葉をしばらく聞いていた。


 やがて、ぽつりと言った。


「たしかに……」


「ん?」


「そう言われると、基地のような存在ですね」


 シンジは小さく笑った。


「だろ」


「ですが、家です」


「そこは譲らないんだな」


「譲りません」


「じゃあ、家であり、基地」


 セレーナは少し考えた。


 そして、ほんの少しだけ笑った。


「悪くありません」


「採用?」


「検討します」


「また検討」


「記録板で叩く件よりは、前向きに検討します」


「それはよかった」


 セレーナの表情は、まだ少し濡れていた。


 けれど、さっきよりもずっと軽く見えた。


 シンジはそれを見て、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。


     ◇


 客室へ戻るころには、シンジの足はかなり重くなっていた。


 短い距離だったはずなのに、全身が鉛のようだ。


 セレーナはすぐに気づいた。


「今日はここまでです」


「異議なし」


「珍しく素直ですね」


「基地見学で体力を使い果たした」


「家です」


「基地じゃなかったのか」


「検討中です」


「なるほど」


 シンジは寝台に腰を下ろした。


 少し沈む。


 今度は驚かなかった。


 エドガーがいつの間にか部屋の入口に立っていた。


「お疲れのようですね」


「はい。五分くらい歩いただけで、なかなかの敗北感です」


「回復には段階がございます」


「みんな同じこと言う」


「正しいからでございます」


 エドガーの言い方が、マーサと少し似ていて、シンジは笑いそうになった。


「エドガーさん」


「はい」


「この家って、いいところですね」


 エドガーは一瞬だけ目を細めた。


 それから、静かに頭を下げる。


「ありがとうございます」


 その返事には、使用人としての礼儀だけではないものが混じっていた。


 長く守ってきた場所を褒められた者の声だった。


 シンジは寝台に横になる。


 今日はもう、十分だった。


 部屋の外では、人の気配がする。


 セレーナの声。

 エドガーの低い返事。

 遠くでマーサが誰かに指示を出す声。

 ミアとノーラが動く小さな足音。


 知らない世界の、知らない家。


 けれど、そこには人の暮らしがあった。


 シンジはゆっくり目を閉じる。


 今度は、すぐには眠れなかった。


 疲れているのに、心だけが少し起きている。


 窓の外で、風が葉を揺らした。


 かすかな音がする。


 それは一瞬だけ、雨の音に似ていた。


 シンジは、遠い日のことを思い出しかけた。


 だが、その記憶はまだ形にならない。


 柔らかい寝具の中で、彼は静かに息を吐いた。


 明日になれば、また少し動けるかもしれない。


 明日になれば、この家のことも、もう少し分かるかもしれない。


 そんなふうに思いながら、シンジはゆっくりまぶたを閉じた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


少しでも続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。