第46話 家の力
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。
少しだけ空気がやわらいだところで、セレーナは廊下の奥を指した。
「そちらが応接室です。正式な来客を通します」
「正式な来客」
「支所や領府の方、機関の関係者、教会の方、他領から来られた書記官などです」
「普通の家の応接室とは、だいぶ違うな」
「家です」
「そこは譲らないのか」
「譲りません」
次に足を止めた扉の前で、セレーナは少しだけ表情を改めた。
「ここが私の執務室です」
「見てもいいのか?」
「入口からなら」
扉が開かれる。
中には、大きな机と椅子があった。
壁には地図。
棚には必要最低限に整えられた資料。
机の横には、記録板やペン、封緘された書類箱が置かれている。
生活の部屋というより、仕事のための部屋だった。
「……家の中に役所がある」
「役所ではありません」
「支所の小さい版?」
「違います」
「でも、机の圧がすごい」
「仕事机ですから」
シンジは部屋の奥を見た。
壁にかけられた地図には、領都と周辺の町や街道が細かく描かれている。
ところどころに小さな印がある。
ローデン。
リーヴェ村。
街道沿いの宿場。
黒沼があった場所に近い森の端。
いくつか見覚えのある地名を見つけて、シンジは少しだけ黙った。
自分が転がり込んできたこの世界が、地図の上では線と点で整理されている。
不思議な感覚だった。
「そこには、最近の巡回で確認した場所も含まれています」
セレーナが言った。
「俺の件も?」
「はい。事件としては」
「嬉しくない載り方だな」
「確かに」
セレーナは、少しだけ申し訳なさそうに目を伏せた。
シンジは慌てて首を振る。
「いや、そういう意味じゃない。必要なのは分かってる」
「ありがとうございます」
「ただ、人生で地図に事件として載る日が来るとは思わなかった」
「それは、普通は思わないでしょうね」
「だよな」
二人は少しだけ笑った。
笑えたことに、シンジ自身が少し驚いた。
◇
執務室の隣は、資料室だった。
扉の前で、セレーナの表情が少し変わる。
先ほどまでの少し柔らかい顔ではない。
巡回書記官の顔だった。
「ここは、まだ入らないでください」
「分かった」
「本記録の保管場所ではありません。記録の管理や整理は、本部や支所の仕事です」
「そうなのか」
「はい。ここにあるのは、巡回や来客対応に必要な写し、地図、許可された参考資料、持ち出せない確認用の文書です」
「なるほど。触ったらまずいやつだな」
「触らないでください」
「触らない」
「開けないでください」
「開けない」
「覗かないでください」
「信用が本当に低い」
「念のためです」
セレーナは真面目な顔で言った。
シンジは少しだけ肩をすくめる。
「まあ、俺も元の世界で、触るなって言われてる資料ほど触られたら困るのを知ってる」
「シンジの世界にも、そういうものがあるのですね」
「ある。たくさんある。しかも触ったあとに、なぜか触った本人じゃなくて管理してる人が怒られる」
「理不尽です」
「だろ」
セレーナが、ほんの少しだけ笑った。
シンジはその笑みに、妙な安心を覚えた。
◇
廊下を戻る途中で、シンジは壁に飾られた小さな絵に気づいた。
花の絵だった。
白い花。
庭に咲いていたものと、少し似ている。
「これは?」
「この家に来た時からありました」
「セレーナが選んだわけじゃないのか」
「はい。調度品の多くは、領主からこの家を与えられた時に整えられていました」
「やっぱり、もらったんだよな」
「はい」
「すごいな。家付き職員つき家具つき」
「そういう言い方をしないでください」
「ごめん」
シンジは笑いかけたが、セレーナの横顔を見て、少し言葉を止めた。
セレーナの表情は、少し複雑だった。
誇らしいわけではない。
恥ずかしいだけでもない。
与えられたものに対する責任を、ずっと背負っているような顔だった。
「重いのか」
思わず、そう聞いていた。
セレーナが足を止める。
「何がですか」
「この家」
シンジは言葉を探した。
「広いし、立派だし、みんなセレーナを大事にしてる。でも、なんか……ただ嬉しいだけじゃなさそうに見えた」
セレーナは、少し黙った。
廊下の向こうで、人の足音が遠ざかっていく。
しばらくして、セレーナは小さく息を吐いた。
「この家は、領主から与えられたものです」
「うん」
「巡回書記官として働くために。領都に戻った時の住まいとして。来客を迎え、巡回へ出る準備を整える場所として」
「でも、贅沢してるように見られるのが嫌なのか」
シンジがそう言うと、セレーナは一瞬だけ目を伏せた。
「そう、なのかもしれません」
その声は、少しだけ小さかった。
「屋敷と言われると、立派で、豪華で、楽に暮らしているように聞こえます。巡回書記官だから、特別に贅沢を許されているように見られるのではないかと」
「実際、そう思われることもある?」
「……あります」
セレーナは静かに答えた。
「巡回書記官はよい場所に住めていい、と」
「でも、そういうわけじゃないんだろ」
「はい」
セレーナは廊下の先を見た。
「ですが、このような大きな家に住んでいるということ自体、私は場違いなような気がして……」
シンジは少し考えた。
「領主の屋敷も、似たところがあるのか?」
「領主邸ですか?」
「ああ。領主が豪華な飯を食って、飾りを並べて、家族で贅沢するだけの場所ってわけじゃないんだろ?」
「もちろんです」
セレーナはすぐに答えた。
「レグフォード辺境伯は、贅を好む方ではありません。領府で行う仕事もありますが、領主邸での執務もあります。決裁、会談、来客対応、領主として迎えるべき相手への応対。ご家族との生活の場であると同時に、領主にしかできない仕事を行う場所でもあります」
「だよな」
シンジはうなずいた。
「領府の人たちが日々の実務を回す。領主は全部に手を出すわけじゃない。でも、責任を取るのは領主だ。だから領主邸では、領主にしかできない判断や、会談や、迎えるべき相手への対応をする」
「はい」
「それと少し似てるんだと思う」
「私の家が、ですか」
「ああ。支所でできることは支所がやる。領府でできることは領府がやる。記録を管理する人たちも、ちゃんと別にいる。だからセレーナが全部を抱え込む必要はない」
「はい」
「でも、それでもセレーナじゃなきゃできないことがあるんだろ」
セレーナは答えなかった。
けれど、否定もしなかった。
「巡回先へ出ること。現場を見ること。人に会うこと。必要な時に、自分の責任で判断すること」
シンジは、ゆっくり言葉を選んだ。
「それに、俺がこの家に招いてもらえたことが、いい例なんじゃないかな」
「いい例」
「ああ。普通なら、俺は保護施設とか治療院とか、決まった場所に移されていたんだろ?」
「……はい」
「でも今回は、セレーナがこの家に連れてきてくれた」
シンジは廊下を見回した。
応接室。
執務室。
資料室。
客室。
そして、この家を支える人たち。
「俺がここで休めているのは、セレーナの判断と、この家の力のひとつだと思うんだ」
「この家の、力」
「うん。ここには休める部屋がある。飯を作ってくれる人がいる。世話をしてくれる人がいる。何かあれば、すぐ動いてくれる人もいる」
シンジは、少しだけ笑った。
「ただ広いだけじゃない。ただ立派なだけじゃない。誰かを迎えて、守って、立て直せる場所なんだと思う」
セレーナは、ほんの少しだけ視線を伏せた。
「……私は、シンジを守りたい……そう思って連れて……きてしまいました」
「うん」
「ですが、それが本当に正しかったのかは、まだ」
「正しかったかどうか、俺にはわからないが……」
シンジは、静かに言った。
セレーナが顔を上げる。
「少なくとも、俺は助ってるよ。本当にありがとう、セレーナ」
廊下に、静かで穏やかな空気が流れた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
次話もお付き合いいただければ嬉しいです。




