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異世界テンプレを信じた俺がバカでした  〜ステータスは出た。スキルもあった。だが、ほぼ履歴書だった〜  作者: 小森こもり
第二章 ~感情~

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第43話 家付きの職員です

【前書き】


いつもお読みいただきありがとうございます。

異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。



 老執事は一歩前に出て、シンジたちへ丁寧に頭を下げた。


「お初にお目にかかります。この屋敷の管理を任されております、エドガーと申します」


 落ち着いた声だった。


 姿勢はまっすぐで、年齢を感じさせる白髪にも乱れがない。


 物腰は丁寧だが、目だけは鋭い。


 シンジは、反射的に背筋を伸ばそうとして、肋骨の痛みに顔をしかめた。


「痛っ……ええと、シンジです。しばらくお世話になります」


「シンジ様でございますね。お身体に障りますので、どうぞ無理に姿勢を正されませんよう」


「あ、はい。ありがとうございます」


 いちいち所作がきれいだった。


 言葉も丁寧。

 動きも丁寧。

 立っているだけで、周囲の空気まで磨かれているような気がする。


 シンジは小さく息を吐いた。


 やっぱり執事だ。


 しかも、かなり本物っぽい。


「ルカです。よろしくお願いします」


 隣でルカも、少し緊張したように頭を下げた。


「ルカ様。ようこそお越しくださいました」


 エドガーが丁寧に礼を返すと、ルカは少し照れたように肩をすくめた。


「様って、なんか慣れないですね」


「お客様ですので」


「お客様……」


 ルカはちらりとシンジを見た。


「シンジ、私たち、お客様だって」


「すごいな。俺、いま人生で一番ていねいに扱われてる気がする」


「療養中の保護対象ですから当然です」


 セレーナがすぐに言った。


「なるほど。保護されると様付けになるのか」


「そういう意味ではありません」


「違うのか」


「違います」


 エドガーが軽く手を上げると、玄関の奥から若いメイドが二人、静かに姿を見せた。


 二人とも、揃いの簡素な黒い服に白いエプロンをつけている。


 動きに無駄がない。


 足音も控えめで、二人並んで頭を下げる姿は、妙に絵になっていた。


 シンジは思わず目を丸くした。


「おお……リアルメイド」


「りある?」


 ルカが首をかしげる。


「あ、いや、こっちの話。やっぱりお屋敷だから使用人さんもいるんだなあって」


「使用人ではなく、家付きの職員です」


 セレーナがすぐに訂正した。


「言い方で押し切る第二弾」


「押し切っていません!」


 若いメイド二人は、困ったように笑いながら頭を下げた。


「ミアです。客室の準備を担当しております」


「ノーラです。湯と着替えの用意をいたします」


「シンジです。ええと……しばらくお世話になります」


 シンジは頭を下げようとして、また肋骨の痛みに顔をしかめた。


「無理になさらないでください」


 ミアが、すぐに一歩近づいた。


「セレーナ様の大切なお客様ですから」


 ノーラも小さくうなずく。


 シンジは小さくうなずいた。


「この屋敷、全員に療養を命じられる」


「当然です」


 セレーナが即答した。


「当然なのか」


「当然です」


 ミアとノーラは、そろって小さく笑った。


 その笑い方が、どこかほっとしたようにも見えた。


 エドガーはセレーナへ視線を戻す。


「お部屋は整えております。治療師からの指示通り、階段の少ない客室を用意いたしました」


「ありがとう」


「湯と着替えもすぐにご用意できます」


「助かるわ」


「食事は消化に良いものを。量は少なめに、回数を分ける形でよろしいでしょうか」


「ええ、お願い」


「料理番のマーサにも伝えてあります。療養食の支度を始めております」


「専属料理人までいるのか」


 シンジは、また建物を見上げた。


「やっぱりセレーナお嬢様と呼んだ方が……」


「呼ばなくていいです!」


 セレーナが即答した。


 エドガーは穏やかな顔で続けた。


「マーサは少々世話焼きでございます。弱った方を見ると、とにかく食べさせようとする癖がありまして」


「お母さんタイプだ」


「おそらく、その認識で間違いございません」


「ますます家じゃなくなってきた」


「家です」


「執事さん、メイドさん、専属料理人さん」


「家です」


「強い」


 ルカが横で小さく吹き出した。


 セレーナは少しだけ頬を赤くして、そっぽを向いた。


 シンジはその様子を見て、ふと小さく笑った。


「なんだか、安心した」


「何がですか」


 セレーナが振り向く。


「いや。セレーナって、やっぱり普通の女の子なんだなあって」


「女の子?」


 セレーナの眉が、ぴくりと動いた。


「あ、いや、子ども扱いじゃなくて。普通の年頃の女性というか」


「……まるで、私が年頃の女性ではないみたいな言い方ですね」


「違う違う。仕事モードのセレーナしか見てなかったから、新鮮だったんだよ」


「仕事モード」


「隙がなくて、正しくて、怖いくらい冷静で」


「怖いくらい?」


「そこだけ拾わないで」


 ルカが横で小さく笑った。


 シンジは少し困ったように続ける。


「だから、今みたいに慌てたり、言い返したり、照れたりするのが……ちょっと新鮮だった」


「照れていません!」


「そこも拾うのか」


「拾います」


 セレーナはそっぽを向いた。


 耳が、少しだけ赤かった。


「普通に可愛い反応してる」


 ルカが固まった。


 何かを言いかけて、口をぽかんと開けたまま動かない。


 セレーナも固まった。


 そして、耳だけではなく、顔全体が赤く染まっていく。


 ミアとノーラも、そろって目を丸くした。


 エドガーだけが、ほんのわずかに目を細めた。


 それは、孫たちがじゃれ合う姿を見守る祖父のような目だった。


「……シンジ」


「はい」


「療養中でなければ、今の発言は記録板で叩いていました」


「記録板って、そういう使い方だっけ?」


「本来は使いません」


「本来は?」


「……状況によっては」


「マジか!?」


 ルカがこらえきれずに笑った。


 ミアとノーラも顔を見合わせ、肩を震わせている。


「皆さん、笑うところではありません」


 セレーナが抗議する。


「すみません。つい」


 ミアが口元を押さえた。


「セレーナ様が、そのようにお話しされるのは珍しいので」


「ミア」


「はい。失礼いたしました」


 ミアはすぐに頭を下げたが、口元にはまだ笑みが残っている。


 ノーラも小さくうなずいた。


「でも、少し安心しました」


「ノーラまで」


「お帰りになった時のセレーナ様は、いつもお疲れのご様子でしたから」


 セレーナは言葉に詰まった。


 その沈黙を、エドガーが穏やかに受け止める。


 老執事は、口元にほんのわずかな笑みを浮かべた。


 それは、長く屋敷を預かってきた者だけが見せる、控えめな安堵の表情だった。


 セレーナが誰かにからかわれている。


 そして、怒りながらも本気で拒んではいない。


 その様子が、エドガーには少し眩しく見えた。


 この家に帰ってくるセレーナは、いつもどこか疲れていた。


 書類を抱え、報告を済ませ、また次の巡回に出ていく。


 笑うことはあっても、それは礼儀としての微笑みに近かった。


 だが今、彼女は年相応に拗ね、慌て、言い返している。


 それはきっと、悪いことではない。


「お嬢様」


「その呼び方は」


「失礼。セレーナ様」


 エドガーは穏やかに続けた。


「お客様方を中へ。シンジ様は、まだ長く立っておられるにはお身体に障ります」


「そうでした。シンジ、歩けますか」


「歩ける。けど、たぶん遅い」


「ゆっくりで構いません」


「はい」


 シンジは一歩踏み出した。


 その瞬間、足元が少しふらつく。


 すぐにセレーナが支えた。


「大丈夫ですか」


「大丈夫。ちょっと、足がふらついただけだ。情けない」


「情けなくありません。回復途中です」


 セレーナの声は、少し強かった。


 シンジはその顔を見て、笑いそうになり、肋骨を思い出して我慢した。


「じゃあ、回復途中ということで」


「はい」


【滞在先確認】

【療養環境:良好】

【保護観察継続】

【療養を優先してください】


 視界の左端で、ボードが淡々と表示した。


「おまえも良好判定か」


 シンジが小さくつぶやく。


 セレーナが反応する。


「ボードですか」


「ああ。療養環境、良好だってさ」


「それはよかったです」


 セレーナの表情が、ほんの少しだけやわらいだ。


「ここなら、少なくとも食事と寝床は保証できます」


「十分すぎるほどだよ」


「まだ無理はしないでください」


「分かってる」


「分かっている人は、歩く時も支えを使います」


「はい」


 シンジが素直に返事をすると、ルカが笑った。


「シンジ、完全に見張られてる」


「保護です」


 セレーナがすぐに訂正した。


「同じ意味に聞こえるんだよなあ」


「違います」


「はい」


 玄関へ向かう道を、ゆっくり歩く。


 庭には、白い小さな花が咲いていた。


 風が抜けると、葉が静かに揺れる。


 大きな屋敷。

 老執事。

 若いメイド。

 専属料理人。

 広い庭。

 柔らかな日差し。


 それだけなら、別世界の上品な風景だった。


 けれど、隣ではセレーナが真剣な顔で歩幅を合わせている。


 後ろではルカが、転ばないかと心配そうに見ている。


 少し離れたところで、エドガーが穏やかに見守っている。


 視界の左端では、ボードが黙っている。


 シンジは、ふと思った。


 ここは、自分の家ではない。


 自分の世界でもない。


 帰るべき場所は、まだ遠い。


 それでも。


 少なくとも今日、ここには眠れるベッドがある。


 食事を心配してくれる人がいる。


 倒れたら支えてくれる手がある。


「シンジ」


 セレーナが声をかけた。


「はい」


「ようこそ。私の家へ」


 その言葉は、少しだけ照れたようで。


 少しだけ、嬉しそうだった。


 シンジは、屋敷を見上げ、それからセレーナを見た。


「お世話になります。セレーナ様」


「シンジ」


「冗談です」


「療養中でなければ、記録板で叩いていました」


「また記録板。道具の扱いが荒くないか?」


「丈夫なので」


「強度の問題か!?」


 シンジが小さく笑う。


 今度は、肋骨が痛まない程度に。


「世話になるよ。セレーナ、ありがとう」


 セレーナは満足したように、ほんの少しだけうなずいた。


 エドガーが扉を開ける。


 屋敷の中から、柔らかな光と、温かい空気が流れてきた。


 シンジは一歩、足を踏み入れた。


 そこはまだ、帰る場所ではない。


 けれど、今日からしばらく、生きる場所になる。


 そう思えるだけの静けさが、そこにはあった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


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