第39話 シュゼーレンが落ちた
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。
翌朝、領都ではひとつの噂が走った。
シュゼーレンが落ちた。
巡回書記官セレーナが単身乗り込み、囚人と看守をまとめて審問にかけた。
地下では、記録板が青白く光り続けた。
逃げ場を奪うように審問の紋が床へ刻まれ、虚偽を口にした者はその場で膝をついた。
施設長も、看守長も、関与した者は全員連れ出された。
直接関わりの薄い者も、後日の確認まで施設から出られなくなった。
話には、すぐに尾ひれがついた。
セレーナが目を向けただけで罪人が泣いた。
外套が翻った瞬間、空気が震えた。
地下にいた無罪の者まで、二度と悪事はしないと誓った。
どれが本当で、どれが誇張かは分からない。
ただひとつ確かなのは、シュゼーレン収監施設がその日を境に、一時閉鎖となったことだった。
◇
その噂の中でも、特に強く語られた話がある。
夜明け前。
審問を終えた看守たちを移送するため、施設の裏口が開かれた時のことだった。
ひとりの看守が、列から外れた。
最初は、ほんの半歩だった。
だが、次の瞬間、その男は裏口へ向かって駆け出した。
「逃げたぞ!」
誰かが叫んだ。
衛兵が動くより早く、セレーナの外套が揺れた。
次の瞬間。
空気が鳴った。
ひゅ、と細い音が走り、男の足元の石畳に白い線が刻まれる。
男は悲鳴を上げる間もなく、前のめりに転んだ。
拘束されたわけではない。
手も足も動く。
ただ、足元の石畳が、足先から指一本分ほどの場所で切れていた。
「あ、あれ……?」
男は震えながら、自分の手足を見た。
「体が動く……? 拘束じゃない……?」
その声は、すぐに掠れた。
「……風……魔法……?」
周囲がざわめいた。
「風魔法……?」
「拘束魔法じゃないのか」
「セレーナ様の攻撃魔法……初めて見た……」
セレーナは、倒れた男へ静かに歩み寄った。
その手には、記録板とペンがある。
「審問中の逃走は、重罪として即時処分の対象です」
声は低く、澄んでいた。
男は腰を抜かしたまま、後ずさろうとした。
セレーナは足元で震えている男を見た。
「次は、当てます。命は大切にしてください」
男の顔から血の気が引いた。
その場にいた者たちも、息を止めた。
脅しではない。
警告だった。
逃げれば、拘束ではなく攻撃。
そして次は、その場で処分される。
その場にいた全員が、それを理解した。
セレーナはペンを走らせた。
「逃走の意思を確認しました。罪状に加えます」
男は、その場で泣き崩れた。
◇
関与していた囚人たちは、もともとの罪に今回の暴行と関与が加算された。
ある者は、有毒鉱山や危険な現場仕事を課される罪人重労働施設へ。
ある者は、罪に応じた刑をその場で執行する刑執行場へ。
シュゼーレンにいること自体が地獄の入口なら、その先は地獄そのものだった。
今回の件で関与した者たちは、その地獄へ雪崩のように落ちていった。
それは、単なる刑期の延長ではない。
元の罪に、新しい罪を足した再決裁である。
すでに服役した分を酌量してほしい。
通常なら、そう主張する余地もあった。
だが、今回は通らなかった。
セレーナが、酌量しないと宣言したからである。
そして機関が、その再決裁を承認したからである。
セレーナが罪をねじ曲げたのではない。
酌量しなかっただけだ。
だが、その違いは、シュゼーレンにいた者たちにとって、あまりにも大きかった。
◇
収監施設の職員は、全員解任となった。
直接関与した者。
見て見ぬふりをした者。
食事や水を奪われる様子を笑って見ていた者。
それぞれ、保護対象への加害、見逃し、職務放棄に応じた罪が問われた。
所長や看守長などの役職者には、管理責任も合わせて、最も重い処分が下された。
同じ朝、書記官支所でもキースと関係者の処分が始まっていた。
キースは手配の改ざんを認めた。
さらに、過去にも似たような処理をしていた疑いが出た。
数名の事務官が関与、あるいは見逃しとして拘束された。
事務長官に直接の関与はなかった。
だが、部下の管理責任と支所手配の不正を見逃した責任は免れなかった。
解任。
その処分は早かった。
支所の空気は、朝から凍りついていた。
昨日まで当たり前のように書類を運んでいた者たちが、今日は誰も口数を増やさない。
羽根ペンが紙をこする音だけが、やけに大きく聞こえた。
誰もが知った。
巡回書記官の記録を曲げること。
保護対象を軽んじること。
その先にあるものは、口頭注意でも、減給でも、配置換えでも済まない。
記録される。
審問される。
裁決される。
そして、逃げられない。
◇
昼過ぎ。
セレーナは治療院を訪れた。
教会が運営する治療院の一室。
窓からは柔らかな光が入っていた。
ベッドの上には、包帯だらけのシンジが眠っていた。
顔の腫れはまだ引いていない。
腕にも首にも包帯が巻かれている。
布団の下にも、いくつもの痣が隠れているのだろう。
治療師の話では、少なくとも命に関わる損傷は見つかっていない。
ただ、全身打撲、栄養不足、睡眠不足、一部の骨折がある。
しばらくは安静が必要だという。
命に別状はない。
その言葉を聞いた時、セレーナは膝から力が抜けそうになった。
命に別状はない。
それは救いの言葉だった。
同時に、それだけの怪我を負わせたという現実を突きつける言葉でもあった。
ルカはさっきまで椅子に座っていた。
商会へ一度戻るように言われ、渋々部屋を出たところだった。
セレーナは、ルカが座っていた椅子に腰を下ろした。
シンジの寝息は穏やかだった。
心なしか、表情も少し穏やかに見える。
腫れてはいるが。
「シンジ」
名前が、勝手に口からこぼれた。
セレーナは慌てて口を押さえた。
その時、シンジのまぶたが動いた。
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