第37話 収監施設へ
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。
支所の衛兵二人を連れ、馬車はすぐにシュゼーレンへ向かった。
馬車の中で、ルカは一言も話さなかった。
布包みを両手で握りしめている。
中の菓子は、もう少し崩れているかもしれない。
セレーナは外を見ていた。
領都の石畳。
市場のざわめき。
通り過ぎる人々。
そのすべてが遠く感じた。
自分の判断は間違っていなかった。
選んだ施設も間違っていなかった。
手配も、本来なら通るはずだった。
それでも、シンジは今、そこにはいない。
私が確認していれば。
翌日に顔を出していれば。
支所の処理を理由に後回しにしなければ。
胸の奥に、冷たい石が積まれていく。
ルカが小さく言った。
「シンジ……大丈夫かな……」
セレーナは答えられなかった。
ルカは口をへの字にして続けた。
「イジメられてたらどうしよう。怪我してたらどうしよう。お願い、無事でいて……」
最後の言葉は祈りに近かった。
その言葉に、セレーナの喉が詰まった。
無事でいてほしい気持ちは、セレーナも同じだった。
「私がもっと確認していれば。いえ、翌日にでも会いに行っていれば……」
自分自身を責める気持ちで、胸がいっぱいになる。
「シンジ……」
名前をつぶやくと、シンジの不器用な笑顔を思い出した。
自然と、膝の上で握りしめた手に力がこもる。
「無事に決まっています。そうでなければ、私は……」
そこまで言って、セレーナは言葉を止めた。
無事でいる根拠なんてない。
だが、言わずにはいられなかった。
「必ず……必ず連れて帰ります」
◇
シュゼーレン収監施設の門は、重かった。
古びた鉄の門。
門番はセレーナの外套を見るなり、顔色を変えた。
「巡回書記官殿。こちらは許可なく」
「開けなさい」
「しかし、ここは」
「開けなさい!」
二度目の声で、門番は鍵を落としかけた。
中へ入ると、看守たちが慌てて集まった。
誰も、なぜ巡回書記官がここへ来たのか理解していない顔だった。
「四日前に移送された異邦人シンジはどこですか」
看守の一人が目をそらした。
セレーナはその動きを見逃さなかった。
「今から、あなた方の真偽を確かめても構いませんか」
「い、いえ! その必要は!」
「なら、答えなさい」
「地下の奥です。一番奥の檻に」
「檻?」
セレーナの声がさらに冷えた。
「通常の部屋ではなく、檻ですか」
看守は答えなかった。
「案内しなさい」
地下へ降りる階段は暗かった。
湿った空気。
腐った藁の匂い。
人の声。
鉄の擦れる音。
ルカは口元を押さえた。
それでも、セレーナの外套を掴んだまま離れなかった。
地下の収監区画へ入った瞬間、囚人たちが騒いだ。
「女だ」
「若いぞ」
「こっちへ来いよ」
下卑た声が飛ぶ。
次の瞬間、ひとりの囚人がセレーナの外套に気づいた。
「巡回書記官だ!」
空気がひっくり返った。
さっきまで机を叩いていた手が止まる。
笑っていた者が床に伏せる。
誰かが転ぶように膝をついた。
「すんませんでした!」
「知らなかったんです!」
「ご無礼を!」
セレーナは一切見なかった。
「シンジはどこですか」
誰も答えない。
「真偽が必要ですか」
床に伏せていた男が震えながら指を伸ばした。
「い、一番奥です。右の檻に」
セレーナとルカは、早足で奥へ進んだ。
慌てて支所の衛兵二人も、その後に続いた。
その檻は、他の区画よりさらに暗かった。
角に押し込まれるように作られている。
明かりも届きにくい。
そこに、人がいた。
うずくまっている、というより、床に落とされた人形のようだった。
こげ茶色の短い髪。
破れた服。
肌の見えるところに広がる痣。
片方だけ腫れた顔。
ルカが息を止めた。
次の瞬間、格子に飛びついた。
「シンジ!」
返事はない。
「シンジ! 返事して! シンジ! ルカだよ! セレーナもいるよ!」
セレーナは看守を振り向いた。
「開けなさい。すぐに」
「は、はい!」
鍵が回る。
鉄の扉が、嫌な音を立てて開いた。
ルカが駆け込む。
セレーナも後に続いた。
ランタンの光が、真司の姿を照らした。
顔の半分が腫れている。
唇が切れている。
口元の床には、吐き出した血の赤黒い跡がある。
腕にも首にも、服の破れた隙間から見える肌にも、痣があった。
ルカの表情が崩れた。
「シンジ……まさか……」
声にならない声が漏れる。
「う、うぇ……うええええええん!」
ルカはその場に崩れ落ち、泣き出した。
その時、真司の唇がわずかに動いた。
「……うるさ……」
ルカの泣き声が止まった。
「……ルカ……なのか……」
「シンジ! シンジぃ!」
真司は、片方だけ目を開けた。
視界はぼやけていた。
目の前には、ぐしゃぐしゃに泣いているルカがいた。
その後ろに、見覚えのある外套がある。
細い足が、こちらに寄ってくる。
上を見ようとしたが、首が動かなかった。
痛い。
まだ生きてるんだなあ。
【生存中】
【状態:放置危険】
【早急な治療が必要です】
【救助を要請してください】
【早く誰かに助けを】
視界の左端で、ボードが必死に文字を並べていた。
真司は、腫れた頬をわずかに動かした。
「おまえ……必死だな……」
「シンジ」
セレーナの声がした。
近い。
いつもより、ずっと近い。
「今、治療します。動かないでください」
「……動け……ない、から……」
「喋らないで」
セレーナは両膝をつき、真司の前に手をかざした。
淡い光が広がる。
温かい。
痛みの輪郭が、少しだけ薄くなる。
真司は、ぼやけた視界の中でセレーナの顔を見た。
泣いていた。
いつもの冷静な顔ではなかった。
物静かで、涼やかで、何を考えているのか分からない書記官ではなかった。
悲痛な表情で、唇を震わせ、声を詰まらせながら、何度も治癒魔法を重ねていた。
その間、とめどなく涙がぽろぽろと落ちていた。
本人は、それに気づいていないようだった。
セレーナ、こんな顔もできるんだな。
真司はそう思った。
「あったかい……少し……楽に、なってきた」
「まだ動いてはいけません。ちゃんと治します。絶対に治します」
セレーナの声が震えていた。
ルカは真司のそばで泣いていた。
泣きながら、何度も名前を呼んでいた。
シンジ。
シンジ。
その声を聞きながら、真司は目を閉じた。
痛みが少し遠のく。
寒さが薄れる。
代わりに、どうしようもない眠気が来た。
ああ。
助かったのかもしれない。
そう思ったところで、意識が沈んだ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
次話もお付き合いいただければ嬉しいです。




