第33話 手の甲の仮界紋
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
第二章スタートしました!
引き続き、
異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。
領都レグフォードに着いた真司たちは、その足で書記官支所へ向かった。
書記官支所。
そう聞いた時、真司はどこかの役所の出張窓口か、小さな詰所のような場所を想像していた。
だが、実際に目の前へ現れた建物は、そんな小さなものではなかった。
石造りの広い建物。
通りに面した入口には太い柱が並び、扉の上には灯りと羽根ペンを組み合わせた紋章が掲げられている。
中へ入ると、壁には木札や羊皮紙が並び、奥では書記官たちが低い声でやり取りをしていた。
羽根ペンが紙をこする音。
窓口に並ぶ商人たちの息づかい。
どこかで鳴る小さな鐘。
市役所。
警察署。
簡易裁判所。
真司の感覚で言えば、その三つをひとつの建物に押し込めたような場所だった。
ここは、ただの事務所ではない。
人の身元や移動、証書や保護、揉め事の聞き取りまで扱う、機関の支所だった。
黒沼のそばで目を覚まし、
リーヴェ村を経て、宿場町ローデンを通り、馬車に揺られてようやく領都まで来た。
そして今、支所に着いてからは、驚くほどあっさりとしたものだった。
教会のシグルスと支所のジャスパは、道ながら確認すべきことはほとんど済ませていた。
(まあ、あれだけ根掘り葉掘り聞かれたもんなあ。仕事熱心すぎるだろ)
それをセレーナが記録板?で、すでにまとめていたらしく、
支所内で、シンジが拍子抜けするぐらい簡単な確認作業だけで終わった。
あとは、セレーナの記録との照合を支所と本部?で行うとのこと。
身分はとりあえず、保護対象。
今後の扱いとして、観察対象。
そこは変わらなかったが、
以降は正式に、支所と教会がその後ろ盾になってくれる?という話だった。
「よくわからないが、これで俺の取り調べは終わりってこと?」
「言い方に少し語弊がありますが、今のシンジに対してこれ以上、確認の必要はありません」
「もっと尋問っぽいことされると思ってた」
「私たちを何だと思っているのですか! もうっ」
「シンジはこれから保護対象として、生活基盤を整える準備をしていきます。様子を見ながらになりますが、何か異変があればすぐ報告をしてください。」
「観察対象でもあるからなあ。わかった。何かあれば報告するよ」
「様子見です。今はシンジ自身もわからないことが多いのと、我々もこれ以上のことが分からない以上、様子を見ながら対処していくことになるだけです」
「うん、わかったよ。まずは字……覚えないとなあ」
「ふふっ、そうですね」
セレーナは小さく笑って、シンジは困ったように笑い返した。
そこでセレーナは思い出したように。
「あっ、次に、手の処置を済ませましょう。こちらへ」
セレーナはそう言って、処置室まで同行した。
黒沼に触れた両手の処置は、思ったより静かに進んだ。
教会から呼ばれていた治療師と、支所付きの術師が、短い祈りと簡単な確認を行う。
真司には、何がどう作用しているのか分からない。
ただ、処置が終わる頃には、両手は普通に動いていた。
指を曲げる。
開く。
握る。
痛みもない。
嫌な熱もない。
ただ、自分の手だった。
「痛みはありますか」
「いや。大丈夫そうだ」
「では問題ありません」
セレーナはそう言って、真司の手を見た。
事務的な顔だった。
けれど、どこかほっとしたようにも見えた。
次に、額にあった仮の紋を手へ施し直すことになった。
これは、ローデンで話していた通りだった。
額に紋があるのは、どうにも落ち着かなかった。
鏡を見るたび、自分の顔に異世界の事情が貼りついているようで、真司は少しだけ息苦しくなる。
だから、手に移せると聞いた時は、正直ほっとしていた。
手の甲へ新しい紋が施される時、痛みはほとんどなかった。
筆で冷たい水を引かれたような感触があり、次の瞬間には薄い線が肌になじんでいた。
「終わりました」
セレーナが短く告げる。
真司は鏡を見た。
額には、もう何もない。
「……やっぱり、こっちの方がいいな」
真司は額を撫でた。
たったそれだけなのに、少しだけ自分の顔が戻ってきた気がした。
【仮界紋:再配置完了】
【言語適応:維持】
視界の左端に浮かんだボードを見て、真司がつぶやく。
「お、終わったっぽい」
「なら、今は問題ありませんね」
セレーナは少し安心したように言った。
その後、真司の一時的な預かり先について話が進んだ。
領都で暮らすには、文字が必要だった。
貨幣感覚も必要だった。
宿に泊まるにも保証が必要で、働くにも身元の確認がいる。
何より、真司は異邦人だ。
言葉は通じるようになった。
だが、それだけでこの世界で暮らせるほど、世の中は親切ではない。
「教会が運営している施設があります」
セレーナは机の上に小さな木札を置いた。
「孤児院に併設された施設です。読み書き、簡単な作業、この世界の生活習慣を学ぶことができます。希望すれば、仕事探しの窓口にもなります」
「ずいぶん手厚いんだな」
「異邦人に限らず、身寄りを失った者や、旅の途中で行き場をなくした者も受け入れています。贅沢はできませんが、食事に困ることはありません」
「それはありがたい」
真司は素直にそう言った。
本音だった。
見知らぬ世界で、文字も読めず、金もなく、知人も少ない。
それで食事と寝る場所があるというのは、とんでもなくありがたいことだ。
「数日、そちらで生活に慣れてください。その後、私も様子を見に行きます」
「分かった。世話になる」
「不自由があれば、施設の者に伝えてください」
「うん。ありがとう、セレーナ」
真司がそう言うと、近くで手配書を受け取っていた若い事務官の手が、一瞬止まった。
名はキース。
書記官ではない。
支所の事務を担う職員のひとりだった。
キースは顔を伏せたまま、目だけをわずかに動かした。
セレーナ様に、あの口の利き方。
異邦人。
どこの誰とも分からない男。
見たところ、剣も持てない。
魔法の気配もない。
身なりも貧相。
顔もぱっとしない。
英雄どころか、ただの疲れた中年だ。
それが、セレーナ様に気にかけられ、手をかけられ、施設まで選んでもらっている。
キースの胸の奥に、黒いものがにじんだ。
異邦人というだけで保護される。
働いてもいないのに飯が出る。
寝る場所も用意される。
しかも、セレーナ様の手を煩わせている。
ふざけるな。
この世界の人間でも、今日食うものに困る者はいる。
仕事にあぶれ、路地で眠る者もいる。
それなのに、よそから来たというだけで、手厚く扱われる。
あんな中年男が。
キースは手配書に目を落とした。
指定された施設は、教会系の優良施設だった。
孤児院に併設された、評判のいい場所だ。
そこに送られれば、異邦人は温かい飯を食い、文字を教わり、子どもたちに囲まれて、いずれ何かしらの仕事をあてがわれる。
気に入らなかった。
キースは別の札を引いた。
シュゼーレン収監施設。
領都の六番街、東門の外れにある古い施設。
名目上は、危険な保護対象者や更生困難者を隔離するための収容施設。
だが実態は、誰も近寄りたがらない、忌み嫌われる場所だった。
そこに送られる者は、保護対象ではない。
この世界にとっての厄介者だ。
キースは唇の端を上げた。
異邦人様。
この世界に来たことを、腹いっぱい後悔させてあげますよ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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真司の異世界生活は、まだまだ続きます。
次話もお付き合いいただければ嬉しいです。




