第32話 案件ではなく
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。
書記官支所は、もう目と鼻の先だった。
通りの向こうに、周囲より一回り大きな石造りの建物が見えている。人の出入りも多く、様々な人が忙しそうに扉を行き来していた。
「……あれ?」
「はい」
セレーナが頷く。
「書記官支所です」
「思ってたよりでかいな」
「何を想像していたのですか?」
「町役場の出張所みたいなの」
「まちやくば?」
「小さな役所」
「ここは領都の支所ですよ」
「支所って名前に騙された」
ここへ来てから。
知っている言葉に似ているのに、規模も意味も違うものが多い。
巡回書記官もそうだった。
シンジの知る「書記官」からは、ずいぶん遠い。
「入ったら、何するんだっけ?」
年配の支所職員が答える。
「まず黒沼に接触した両手の状態確認と処置です」
「やっとこの手が」
シンジは白く丸い両手を持ち上げた。
「普通に戻るかもしれない」
「処置を終えるまでは断定できません」
「夢くらい見させて」
「その後、仮界紋の確認。身元についての聞き取り。それから、先ほど確認した表示についても記録を整理します」
「盛りだくさんだな」
「必要最低限です」
「それで最低限なの?」
支所のジャスパは真面目に頷いた。
教会のシグルスも横から続ける。
「ボードについては、こちらでも神代記録を調べ直します」
「神託板かもしれないやつ?」
「類似点がある、という段階です」
「断定しないんだな」
「断定するには足りない情報が多すぎます」
「この人たち、そこだけは徹底してるな」
「当然です」
セレーナが言う。
「分からないものを、分かったことにはできません」
「うん」
それはシンジにも分かる。
むしろ、ありがたい。
見えないものを見えると言わない。
分からないものを伝説だと決めつけない。
シンジが言ったことは、シンジの申告として扱う。
その代わり、確認できるものは一つずつ確認する。
「……結局、仕事のやり方は似てるのかもな」
「何がですか?」
「俺とここの人たち」
「そうなのですか?」
「分からないところを勝手に決めない。確認して、記録して、次へ進む」
シンジは少し笑った。
「まあ、調べられる側になるとは思ってなかったけど」
「今回はシンジが確認される番ですね」
「嬉しくないなあ」
◇
支所職員が歩きながら、手元の書類を確認した。
「本件については、まず本日の確認結果を記録し、その後の保護方針を――」
「…………」
シンジが足を止めた。
「シンジ?」
「今……」
支所職員を見る。
「本件って言った?」
「はい」
「ほら!」
セレーナへ向き直る。
「やっぱり俺、案件じゃん!」
「先ほどもそう言っていましたね」
「支所の人まで正式に本件って!」
「事務上の呼称です」
「俺の人生が案件処理の対象になってる!」
「必要なことです」
「分かってるけど!」
支所職員が少し困った顔をした。
「お気に障りましたか?」
「いや」
シンジは苦笑する。
「怒ってるわけじゃないです」
実際、必要なのだろう。
黒沼接触。
異邦人。
身元未確定。
仮界紋。
保護対象。
経過観察。
本人にしか見えない、由来不明のボード。
神代記録に残る神託板との類似。
並べてみれば。
「……俺でも案件にするわ」
「でしょう?」
「セレーナ、嬉しそうに言うな」
「嬉しくはありません」
「でも」
シンジは自分を見る。
「こうやって並べると、本当に面倒な人間だな」
軽く言ったつもりだった。
けれど。
セレーナが足を止めた。
「シンジ」
「ん?」
「またですか?」
「何が?」
「自分を下げる言い方です」
「…………」
シンジは口を閉じた。
少し前、ルカに泣きながら叱られたばかりだ。
「……今のは、案件としての話で……」
「それでもです」
「はい、すみません」
素直に謝った。
「気をつけます」
「よろしいです」
「完全に先生だな……」
「何か?」
「なんでもありません」
シグルスが少し笑っている。
◇
「ですが」
セレーナが記録板を取り出した。
「案件、という話でしたら」
「うん?」
「支所へ着く前に、一つ確認しておきましょう」
「また確認?」
「はい」
セレーナが記録板へ触れる。
淡い光が走った。
「先ほど、ルカから証言を記録しました」
「…………」
シンジには、何のことか分かった。
「それ、今読むの?」
「読みます」
「本人の前で?」
「本人に関する記録ですから」
「恥ずかしいんだけど」
「我慢してください」
「称号の時もそれ言われた気がする」
「今回は恥ずかしい称号ではありません」
「比較対象がひどい」
セレーナは記録板へ目を落とした。
「ルカの証言」
一度、シンジを見る。
「サカイ・シンジは、ルカおよびガレンを助けた人物である」
「…………」
「黒淵関連事案においてガレンの救助に関わり、その後も領都への搬送に協力」
さらに。
「行商荷の整理および販売にも協力し、ルカ本人が『助けてくれた人』と証言」
「セレーナ」
「はい?」
「そこまで正式な文章になってたの?」
「記録ですので」
「もっと『シンジは助けてくれた人です』くらいだと思ってた」
「意味は同じです」
「文章になると急に照れるな」
セレーナは少し微笑んだ。
「ですから」
記録板を閉じる。
「支所にとって確認すべき案件であることは間違いありません」
「うん」
「ですが」
セレーナの声が、少しだけ柔らかくなった。
「シンジ自身が、案件なのではありません」
「…………」
一つ。
「異邦人」
一つ。
「身元未確定」
一つ。
「黒沼接触歴あり」
また一つ。
「本人にしか見えない、不明な表示を持つ」
「それらは、確認すべき事項です」
「うん」
「でも」
セレーナはシンジを見る。
「それだけが、サカイ・シンジではありません」
「…………」
「ルカとガレンを助けた人」
あの日。
黒いもののそばで、何を言っているのかも分からない少女が泣いていた。
大きな男が馬車に挟まれていた。
戦う力もない。
魔法も使えない。
何が起きているのかも分からない。
それでも、できることを探した。
「……記録に残ってるんだな」
「はい」
「正式に?」
「正式に」
「消えない?」
「必要な記録ですので」
シンジは笑った。
「その言葉、今回はちょっと嬉しいな」
セレーナも笑った。
◇
シグルスが静かに口を開いた。
「私からも一つよろしいですか」
「はい?」
「神代記録を調べるのは、ボードという現象についてです」
「うん」
「シンジ殿という人物そのものを、古い記録へ当てはめるためではありません」
「…………」
「神託板に類するものだったとしても、そうでなかったとしても」
シグルスは穏やかに続ける。
「それによって、あなたが何をしてきたかまで変わるわけではありません」
「……教会の人、いいこと言うな」
「ありがとうございます」
「さっき俺の《湯場で詰んだ男》を興味深いって言ってた人と同じ人ですよね?」
「それはそれ。これはこれです」
「そこは切り分けるんだ!?」
セレーナが吹き出した。
「ふふっ」
「笑うところ?」
「すみません」
でも、シンジも笑っていた。
◇
四人は、再び歩き出した。
書記官支所は、もう目の前だった。
太い柱の向こうに大きな扉があり、その上には見慣れない紋章が掲げられている。
「読めないけど、あれが支所?」
「はい」
「ついに来たか」
シンジは白く丸い両手を見る。
「まずは、この手だな」
「はい。そのあと、仮界紋と身元の確認です」
「ボードも?」
「もちろんです」
「盛りだくさんだなあ」
「一つずつです」
シンジは少し笑った。
「それ、俺の得意なやり方だ」
「では問題ありませんね」
「調べられる側なのが問題なんだよ」
セレーナが笑う。
シンジは支所の扉を見た。
帰る方法は、まだ分からない。
自分がなぜこの世界へ来たのかも分からない。
それでも。
ここへ来るまでに、何もできなかったわけではない。
ルカとガレンを助けた。
そのことは、ちゃんと記録に残っている。
「行こうか」
「はい」
シンジは、書記官支所へ向かって歩き出した。
少なくとも。
もう、自分を荷物だとは思ってはいなかった。
第一章 完
ここまでお読みいただきありがとうございます。
おかげさまで、第一章 完 です。
第二章は領都での生活が中心になります。
物語はまだまだ続きますので引き続きお付き合いください。
少しでも続きが気になりましたら、
ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。
明日はしおりをまとめますので(作者が設定を忘れないためのメモ)、
作者用の備忘録ですが、お時間がありましたらお付き合いくださいませ。
本格的な物語の第二章は24日からスタートになります。
第二章をお楽しみに。




