第29話 その発言を、記録します
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。
ルカの姿が人混みの向こうへ消えてから。
シンジとセレーナは、書記官支所へ向かって歩き始めた。
「…………」
「どうしました?」
「いや」
シンジは少し笑った。
「さっきまで五人と一台だったのになって」
ガレンは治療院。
アースはその傍。
バルトは馬車と修理場へ。
ルカは商会へ。
気づけば、隣にいるのはセレーナだけになっていた。
「寂しいですか?」
「ちょっとな」
「ルカなら、落ち着けばまた会えますよ」
「差し入れ持ってくるって言ってたしな」
「はい」
「何持ってくるんだろ」
「もう食べ物の話ですか?」
「重要だぞ」
セレーナが小さく笑う。
シンジも笑った。
さっきルカに言われた言葉は、まだ胸の奥に残っている。
荷物じゃない。助けてくれた人。
「……よし」
「何ですか?」
「なんでもない」
もう一度、自分の中でも確認しただけだった。
◇
二人が再び歩き始めて間もなく。
前方から、こちらへ向かってくる二人の男が見えた。
一人は年配。
落ち着いた色の上着を着て、書類を抱えている。
もう一人は、それより少し若い。
胸元には、シンジがこれまで何度か目にした教会の印があった。
「ん?」
セレーナが足を止める。
二人はこちらを見つけると、まっすぐ近づいてきた。
先に年配の男が頭を下げる。
「巡回書記官セレーナ殿」
「はい」
「領府から通達を受け、書記官支所より迎えに参りました」
「ご苦労さまです」
シンジは横で、そのやり取りを見る。
門兵。
女将。
そして今度は、支所から迎え。
「…………」
「シンジ?」
「いや」
小声で。
「やっぱりセレーナ、俺が思ってるより偉い人だろ」
「今は、それを気にしなくて結構です」
「また逃げた」
「逃げていません」
年配の男の視線がシンジへ移る。
「こちらが、サカイ・シンジ殿ですね」
「はい」
「書記官支所の者です。到着をお待ちしておりました」
「……待たれてた」
「灯文鳥による報告を受けています」
「なるほど」
シンジは隣のもう一人を見る。
「そちらの方は?」
教会の男が軽く頭を下げた。
「灯光教会の者です」
「教会?」
「はい。神代の記録や、古い時代の文献を扱っています」
「…………」
シンジがセレーナを見る。
「俺、何か宗教的にまずいことした?」
「していません」
「じゃあ何で教会?」
支所の男が答えた。
「追加報告にあった件です」
「追加報告……」
「本人にのみ視認可能な、不明な表示について自己申告があったと」
「ああ」
ボード。
「まだ正体も、性質も分かっていません」
セレーナが補足する。
「そのため、到着後に追加確認をお願いしていました」
「はい」
支所の男が頷く。
「本人にしか確認できない表示という事例は、支所の通常記録ではほとんど扱いません」
「それで教会?」
「念のためです」
教会の男が続けた。
「教会の所有する古い記録の中には、現代の魔術や制度だけでは分類できない現象も残されています」
「……なんか急に話が大きくなってきたな」
「まだ何も断定していません」
シンジは少し安心した。
「いきなり『あなたは伝説の何とかです』とか言われたら困るから」
「そのような判断はいたしません」
「よかった」
セレーナが微笑む。
「まずは支所へ向かいましょう」
「そこで詳しく?」
「はい」
支所の男が頷いた。
「歩きながらで構わない範囲については、街をご案内しながらお話しします」
「案内」
シンジの顔が少し明るくなった。
「それは助かる」
◇
四人で歩き始める。
改めて街を見る余裕ができた時、シンジは足を緩めた。
「……すごいな」
まず、音が違った。
石畳を叩く靴音。
荷車の車輪。
店先から飛ぶ呼び声。
何気ない日常の会話。
鍛冶場から響く金属音。
遠くで鳴る鐘。
子供の笑い声。
誰かが値段を巡って言い合っている声。
全部が混ざっている。
うるさいというより、街そのものが動いているようだった。
そして、建物も違う。
木造だけではない。
石造りの家。
二階建ての商店。
集合住宅のような建物。
色のついた布を軒先へ下げた売店。
各所に飾りを付けされたお洒落な店舗。
道の脇には露店が並び、野菜や果物らしい物が山積みになっている。
「…………」
「シンジ?」
「いや」
少し前まで森にいた。
黒沼の横にいた。
リーヴェへ行った。
ローデンへ着いた。
そこでようやく人の多い場所へ来たと思った。
でも、ここは、まるで違う。
「本当に街だな」
「領都ですから」
セレーナが言う。
「なんていうか……」
シンジは辺りを見回す。
「忙しかったローデンとは違って、ここでは人がちゃんと生活してる」
旅人ではなく、人々が暮らしの中で行き交っている。
自分の知らない世界で、
当たり前に生きている人々の暮らしを、目の当たりにした。
「……異世界なんだなあ」
今さら、そんな言葉が出た。
セレーナがシンジを見る。
「今さらですか?」
「今さらだよ」
「魔法を見ても?」
「見た」
「黒沼も?」
「見た」
「灯文鳥も?」
「見た」
「私が黒沼を凍らせたのも?」
「それはめちゃくちゃ綺麗だった」
「そこではなくて!」
シンジが笑う。
「そういうすごいものって、逆に現実感ないんだよ」
「現実感?」
「うん」
通りを見る。
「こういう普通の人たちが、普通に暮らしてるのを見た方が」
シンジは小さく息を吐いた。
「本当に別の世界に来たんだって感じる」
セレーナは少しだけ黙った。
「……そういうものですか」
「うん。 少なくとも今、めっちゃ感じている」
シンジはまた街を見る。
「それにしても……」
店先の看板へ目を向ける。
文字が並んでいる。
「文字が……読めねえ」
「…………」
「感動した直後に現実が来た……」
セレーナが吹き出した。
「これから覚えましょう」
「やっぱり勉強かあ」
「はい」
「何年ぶりだろ。読み書き習うの」
教会の男まで少し笑った。
◇
しばらく進んだところで、教会の男が、シンジへ声をかけた。
「シンジ殿」
「はい?」
「支所へ着く前に、一点だけ確認してもよろしいでしょうか」
「ボードのこと?」
「ボード?」
「あ、そっか」
シンジは気づく。
「俺が、その見えるやつにつけた名前」
「なるほど」
「板みたいだからボード」
「分かりました」
教会の男の表情が少し真剣になる。
「そのボードと呼ばれるものについて」
「はい」
「本当に、シンジ殿以外には見えないのですね?」
「今のところ――」
シンジはセレーナを見る。
「セレーナにも見えてない、よな?」
「はい」
セレーナが答える。
「私には確認できません」
「そして――」
教会の男が続ける。
「そこには、文字が表示されていると?」
「そうです」
「シンジ殿が読める文字で?」
「はい」
「…………」
男が少しだけ考え込んだ。
「どうしたの?」
「いえ」
すぐに首を振る。
「まだ確認が足りません」
「何か心当たりがある顔してるけど」
「似た記述を――」
教会の男が言った。
「古い記録で読んだ覚えがあります」
「…………」
シンジの足が止まる。
「古い記録?」
「はい」
男も足を止めた。
「ただし」
先に釘を刺す。
「同じものだと申し上げているわけではありません」
「それは分かってる」
「もう少し、確認させてください」
「……はい」
教会の男は、改めてシンジの何もない視線の先を見た。
そこにはもちろん、彼には何も見えていない。
けれど、シンジの視界には、いつもの半透明の表示が浮かんでいた。
【待機中】
シンジは、何となく嫌な予感がした。
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