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異世界テンプレを信じた俺がバカでした  〜ステータスは出た。スキルもあった。だが、ほぼ履歴書だった〜  作者: 小森こもり
第一章 ~転移~

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第24話 宿場町の夜

【前書き】


いつもお読みいただきありがとうございます。

異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。



 ローデンの夜は、思っていたよりも長かった。


 日が落ちても、馬車溜まりの音はすぐには消えない。


 荷を縛り直す縄の音。

 馬が鼻を鳴らす音。

 宿の土間から漏れる笑い声。

 どこかで鍋をかき混ぜる音。

 火のそばで、誰かが短くくしゃみをする音。


 人が泊まる場所には、夜にも仕事がある。


 真司は馬車の影に背を預けたまま、その音をぼんやり聞いていた。


 身体は重い。


 座っているのに、まだ走っているような気がする。


 足の裏は熱を持ち、喉は乾き、額の仮界紋はじんじんと脈を打っていた。

 両手は相変わらず布で包まれている。


 白い丸が膝の上に二つ。


 その姿だけ見れば、疲れ切った中年男というより、叱られてしょんぼりしている子供のようだった。


【休息推奨】


「さっきも聞いた」


【継続推奨】


「押しが強いな」


 真司がそう呟いた時、宿の裏口から女将が顔を出した。


「あんた、まさかそのまま寝る気じゃないだろうね」


「寝る気はあった」


「却下だよ」


「即答か」


 女将は腕を組み、真司の頭から足元までを見る。


「汗と土と馬車溜まりの匂いを、寝床に持ち込まれちゃたまらないからね。湯を使いな」


「湯?」


 真司は思わず聞き返した。


 この世界に来てから、まともに身体を洗う余裕など一度もなかった。

 森、黒沼、馬車、土、汗。


 自分の身体がどんな匂いになっているかは、考えたくもない。


「湯場があるのか」


「宿場の宿だよ。湯もなしに客を泊められるかい」


 女将は当然のように言った。


「ただし、そっちの丸い手は湯桶に突っ込むんじゃないよ。事情は知らないけど、見た目からして面倒そうだからね」


「見た目でそこまで判断されるのか」


「商売は見た目からだよ」


 何も言い返せなかった。


   ◇


 宿の裏手には、簡単な屋根のついた湯場があった。


 大きな湯桶が二つ。

 身体を拭くための低い腰掛け。

 粗い布。

 灰汁を薄めた洗い水。

 香草の束。

 湯気。


 湯場の奥では、若い男が灰色の石を両腕で抱えていた。


 石は濡れた布に包まれている。

 男はそれを湯桶の縁まで運ぶと、慎重に沈めた。


 ごつん、と鈍い音がする。


「気をつけな!」


 女将の声が飛んだ。


「割ったら、あんたの給金から引くよ!」


「分かってますよ!」


 男は顔をしかめながら、また奥のかまどの方へ戻っていく。


 真司は湯桶の中を見た。


 沈められた石の周りから、細かな泡がゆっくり立っている。

 沸騰しているわけではない。


 だが、湯気は確かに上がっていた。


「石で湯を作るのか」


「ぬくみ石だよ」


 女将が言った。


「水に入れると、湯浴みにちょうどいいくらいまで温める。煮炊きには使えないけど、身体を洗うには十分さ」


「便利だな」


「便利だけど、重いし脆い。小さく割れたらただの石だ。雑に扱われると腹が立つ」


「腹が立つ理由が銅貨の音で聞こえる」


「分かってるじゃないか」


 女将の話では、湯桶ほどの湯を温めるには、大きめのぬくみ石がいくつもいるらしい。

 効果が弱くなった石は引き上げ、かまどのそばへ戻して熱を含ませる。


 宿ではそれを何度も繰り返しているという。


 ただ、石そのものを焼いて熱くするわけではないようだった。


 火のそばに置かれたぬくみ石は、触れられないほどには熱くならない。

 けれど、水に沈めると内側にため込んだ熱だけを吐き出す。


 そういう仕組みらしい。


 分かるようで、分からない。


 だが、ひとつだけ分かることがある。


 ファンタジーだ。


 真司は、深く考えるのをやめた。


 真司は男の背中を目で追った。


 重い石を運ぶ。

 湯桶へ沈める。

 効果が切れたら引き上げる。

 かまどへ戻す。

 また別の石を運ぶ。


【作業負荷:高】

【破損リスク:高】

【反復作業:確認】


「……籠だな」


 真司が呟くと、女将が眉を上げた。


「何だって?」


「石を一個ずつ運ぶから、重いし割れる。籠に入れて、籠ごと動かせばいい。滑車か車輪をつけて、湯場と火のそばを行き来させる。四つくらいで回せば、入れ替えも楽になる」


 女将は黙った。


 馬車溜まりの袋を見た時と同じ目になる。


 置けるか。

 売れるか。

 役に立つか。


 その目だった。


「……あんた、風呂の湯気より金の湯気が出てるじゃないか」


「別に商売っ気を出してるつもりはないんだが」


【休息推奨】


「分かってる」


 女将は少し笑った。


「その話、明日の朝にもう一度聞かせておくれ。今は湯だ」


「そうしてくれ。今の俺は、金より睡眠が欲しい」


「それは見れば分かる」


   ◇


 湯を使う順番は、女将が勝手に決めた。


「女たちが先だよ」


 その一言で、ルカとセレーナが先に湯場へ入ることになった。


 真司は馬車の近くへ戻され、護衛と並んで待たされた。


「俺は別に後でいいけどな」


「当たり前だ」


 護衛が低く言った。


「女将が言っていた。あんたは最後だ」


「なぜ最後」


「湯を分けるからだ」


「ああ……」


 真司は自分の丸い手を見る。


 黒沼に触れた手。


 布で包んでいても、普通の湯桶に入れるわけにはいかない。


「風呂でも隔離か」


「安全のためだ」


「分かってる。分かってるけど、心にくる」


 護衛は返事をしなかった。


 だが、少しだけ口元が動いた。


 笑ったのかもしれない。


   ◇


 先に戻ってきたのはルカだった。


 濡れた髪を両手で抱えるようにしている。

 短く切られた髪でも、水を含むと少し重そうだった。


 頬は湯気で赤くなっている。


「さっぱりしました」


 ルカはそう言って笑った。


 昼間の商人の顔ではない。


 道中で荷を抱えていた顔でもない。


 湯気に疲れが少し溶けて、年相応の少女の顔に戻っていた。


「それはよかった」


 真司は頷いた。


「風呂に入ると、心も体もほぐれるからな」


「シンジはお風呂好き?」


「そうだな。一日の疲れを落とす意味では、毎日入りたい」


「領都に着けば、毎日入れるよ」


「それは朗報だ。こっちの世界にも風呂文化があってほっとしたよ」


 ルカは、真司のほっとした顔を見て微笑んだ。


「お風呂、わたしも好き」


「綺麗好きはいいことだ」


「女の子らしい?」


 真顔で問われて、真司は一瞬返事に困った。


「……そうだな。うん、すまなかった」


 真司のばつの悪そうな謝罪を聞くと、ルカは満足そうに頷いた。


   ◇


 次に戻ってきたのはセレーナだった。


 いつもの紺の外套は羽織っていない。

 記録筒も、小瓶も、筆記具もない。


 薄手の部屋着の上から、肩に布をかけている。

 濡れた髪は下ろされ、普段よりずっと柔らかく見えた。


 首筋に残った水滴を、彼女は布で押さえている。


 湯で上気した頬には、いつもの冷静な巡回書記官とは違う色があった。


 職務のための外套も、記録の道具も外した姿は、思っていたより線が細い。

 けれど、肩から胸元へかけての柔らかな丸みや、濡れた髪が落とす影のせいで、普段よりずっと女性らしく見えた。


 一言で言えば、絵になっていた。


 真司は一瞬、目を奪われた。


 次の瞬間、我に返る。


 まずい。


 真司は反射的に視線を外した。


「……見てない」


「まだ何も言っていません」


「言われる前に言ったんだよ」


 セレーナは少しだけ首を傾げた。


 その拍子に、肩にかけていた布の結び目が緩む。


 布がずれかけた。


 真司はさらに勢いよく顔を背けた。


【視線制御:推奨】


「うるさい。今やってる」


「何をですか」


「紳士の維持だ」


 セレーナは一拍置いて、布を直した。


「では、そういうことにしておきます」


「その言い方が一番傷つくんだが」


 ルカが少し離れたところで、不思議そうに二人を見ている。


 真司は咳払いをした。


「事故はなかった。いいな」


「事故?」


「なかった」


 セレーナは真司を見て、ほんのわずかに微笑んだ。


「あなたも男性なんですね」


「色々と誤解が……いや、なんでもない」


 真司は、言い訳をしても意味がないと悟った。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

真司の異世界生活は、魔法より話術。

次話もお付き合いいただければ嬉しいです。


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