第23.5話 閑話 お父さんみたいな人
いつもお読みいただきありがとうございます。
今回は閑話扱いで、ルカの小さな物語をお楽しみください。
今回はルカの小さな物語です。
今日から、定期巡回の番だった。
レグフォードを出て、南西の町トットナへ向かう。
そこから北西のリーヴェへ回り、さらに北の国境近くにある警備駐屯所へ寄る。
そのあと東の町ベスへ行き、南東の宿場ポポルを経由して、またレグフォードへ戻る。
町や村で一日。
移動で一日。
全部合わせて、だいたい十日から十二日。
ルカにとっては、もう何度も通った巡回路だ。
積んでいる荷は、高価なものではない。
針、糸、巻き布、火口、油、紐、薬草、木札、細かな生活道具。
どれも、ひとつひとつは安い。
けれど、村や駐屯所では足りなくなると困るものばかりだった。
行商と呼ばれてはいる。
でも、ルカには分かっている。
今の自分がしているのは、父がしていた行商とは少し違う。
商会が巡回先を決める。
持っていく品も決める。
どの町で何を降ろすかも、ほとんど決まっている。
ルカはそれを間違えずに運び、支店や馴染みの取引先へ渡す。
大事な仕事だ。
大事な仕事だけれど。
「早く、お父さんみたいになりたいな」
御者台の横で、ルカは小さくつぶやいた。
父は、外地行商人だった。
領内だけでなく、他領や他国まで行く商人。
何を、どこへ、いつ持っていけば売れるのか。
その土地で何が足りず、何が余り、誰が困っていて、誰が買えるのか。
それを自分で見て、自分で考え、自分の言葉で売る。
商会が用意した荷を運ぶだけではない。
商会がまだ持っていない道を、外地行商人は作る。
父は、そういう人だった。
父の名は、ロイ。
ルカが所属している商会で、かつて「顔」とまで呼ばれた外地行商人だった。
他の商会の者でさえ、父の名を知っていた。
「ああ、ロイがいる商会か」
そう言われるたび、幼いルカは胸を張った。
自分が褒められたわけではない。
それでも、父の名前が遠くの町で通じることが嬉しかった。
父は、荷を売るだけの人ではなかった。
道を覚えていた。
人を覚えていた。
町の癖を覚えていた。
去年はよく売れた品が、今年も売れるとは限らない。
雨が多ければ油と火口が動く。
冬が早ければ厚布と針が動く。
新しい柵が作られた村では、釘より先に革紐が足りなくなる。
父はそういうことを、まるで天気を読むように話した。
ルカには、それが魔法みたいに見えた。
だから商人になりたかった。
ただ商会の荷を運ぶ人ではなく、父のように、道の先で必要とされるものを見つけられる商人に。
◇
五年前、父は死んだ。
外地行商の途中だった。
急な豪雨で崖路の地盤が崩れ、土砂が馬車道へ流れ込んだ。
父は荷と馬を避難させようとして、馬車の後ろへ回った。
荷は助かった。
馬も助かった。
馬車も、壊れはしたが戻ってきた。
父だけが、戻らなかった。
その時、父と一緒に馬車の後方を押していた護衛がいた。
ガレンだった。
ガレンは、父が外へ出る時、いつも指名していた護衛だった。
十年近く、二人は一緒に道を歩いた。
護衛と商人。
雇う側と雇われる側。
言葉にすれば、そうなのかもしれない。
けれど、父にとってガレンは友人で、ガレンにとって父は背中を預けられる商人だった。
土砂が崩れた時、父はガレンを突き飛ばした。
あとから聞かされた話だ。
ガレンは何度も言った。
「俺が守る側だった」
何度も。
まるで、その言葉を言い続けていないと、自分が立っていられないみたいに。
父の葬儀のあと、ガレンは護衛を辞めると言った。
もう道には出ない。
ロイを守れなかった護衛が、誰かの前に立つ資格はない。
そう言った。
それを止めたのは、商会長だった。
「引退するには、早すぎる」
商会長は静かに言ったらしい。
「ロイの娘が、商人になりたいと言っている」
ガレンは何も言わなかった。
「特別扱いはしない。甘やかしもしない。だが、必要な経験はさせる。ロイの娘だからではない。あの子が、自分でそう望んだからだ」
商会長は、ガレンをまっすぐ見た。
「お前も逃げるな。ロイの代わりになれとは言わない。だが、あの子が道へ出る時は、そばにいてやれ」
それから、ガレンは護衛を続けた。
ルカの定期巡回には、必ずガレンがついた。
過保護ではなかった。
危ない時は怒った。
間違えた時は止めた。
荷の積み方が雑だと、無言で全部積み直させた。
でも、ルカが父の話を聞きたがると、ガレンは嫌がらずに話してくれた。
父が雨の日に必ず確認していた道。
初めて他領で大きな取引をまとめた時のこと。
値切りに負けたふりをして、別の品でしっかり利益を取った時のこと。
行商先の子供に、売り物の飴を勝手に配って商会長に怒られたこと。
ガレンの話す父は、商会の人たちが語る英雄みたいな父とは少し違った。
よく笑い、よく怒り、たまに見栄を張り、何度も失敗して、それでも道へ出ていく人だった。
ルカは、その父が好きだった。
そして、その父を覚えていてくれるガレンも、好きだった。
◇
一度だけ、ガレンを泣かせたことがある。
商会前で荷下ろしをしていた時だった。
大きな木箱をガレンがひょいと肩へ担ぎ、ルカはその後ろで小袋を抱えて歩いていた。
「ガレンって、いつも一緒にいてくれて、大きくて、あったかくて、頼りがいがあって」
「なんだ、急に」
「ほんと、お父さんみたい」
何気なく言っただけだった。
ガレンは足を止めた。
木箱を抱えたまま、ぴたりと動かなくなった。
「ガレン?」
次の瞬間、ガレンの目からぼろぼろと涙が落ちた。
商会の入口前だった。
通りすがりの客も、支店の者も、荷運びの若い衆も、みんな見ていた。
ガレンは大きな木箱を抱えたまま、声も出さずに泣いた。
ルカは慌てた。
何か悪いことを言ったのかと思った。
でも、ガレンは首を横に振り、ようやく絞り出すように言った。
「悪くない。悪くないんだ」
その日からしばらく、商会ではその話が語り草になった。
ガレンの黒歴史である。
本人は今でも、その話を出されると不機嫌そうな顔をする。
でもルカは知っている。
あの時、ガレンは泣いたのではない。
たぶん、少しだけ許されたのだ。
自分で自分を許してはいない。
父を守れなかったことを、今でも忘れてはいない。
それでも、ルカが「お父さんみたい」と言った時、ガレンはほんの少しだけ、父の友人として、そして今の自分として、そこに立てたのだと思う。
◇
「ルカ!」
ガレンが手を振っていた。
出発の準備ができた合図だ。
馬車には荷が積まれ、御者は手綱を確かめている。
ガレンはいつものように荷台と車輪を見て、それからルカを見た。
「忘れ物はないか」
「ありません」
「帳面は」
「あります」
「支店印の札は」
「あります」
「薬草袋の数は」
「昨日、二回数えました」
「三回数えろ」
「今からですか?」
「今からだ」
ルカは頬を膨らませた。
けれど、言われた通りに数えた。
父ならどうしただろうと思う。
きっと同じように数えた。
父は大胆な人だったと聞く。
でも、荷の数をいい加減にする人ではなかったとも聞いている。
大きな商売は、小さな数え間違いで崩れる。
それを教えてくれたのはガレンだった。
数え終えたルカは、空を見上げた。
朝の空は澄んでいた。
「お父さん」
声に出すと、少しだけ胸が温かくなる。
「私、すごい商人になるから」
ガレンが聞いているかもしれない。
でも、聞かれてもよかった。
「さすがロイの娘だって、みんなに認めてもらえるくらいの商人になるから」
風が、荷台の幌を揺らした。
返事はない。
それでもルカは、父がどこかで笑っている気がした。
「見ててね」
そう言って、ルカは馬車へ乗った。
◇
リーヴェへ向かう道は、ところどころぬかるんでいた。
少し前に雨が降ったせいだ。
新しい道はできたばかりで、まだ地面が落ち着いていない。
ガレンは何度も馬車の進みを見て、御者と短く言葉を交わしていた。
途中、前方に立ち往生している馬車が見えた。
道の端が大きく削れている。
「抜けられるかな」
ルカが言うと、ガレンは首を振った。
「無理に横を抜けるな。こっちも足を取られる」
「迂回しましょう。少し遠くなるけど、夕方までにはリーヴェに着けるはずです」
「判断は悪くない」
ガレンにそう言われ、ルカは少しだけ嬉しくなった。
迂回路は遠回りだが、地盤は比較的固い。
雨のあとはこちらを通る方が安全だと、以前ガレンに教わった道だった。
馬車はゆっくり進んだ。
御者が馬をなだめ、ガレンが荷台の揺れを確認し、ルカは道と荷の両方を見た。
順調だった。
少なくとも、そう思っていた。
がこっ、と大きな音がした。
次の瞬間、馬車が斜めに傾いた。
「っ!」
ルカは御者台の縁を掴んだ。
荷台の奥で小箱が滑り、木枠にぶつかる音がした。
「車輪!」
ルカは反射的に外を見た。
片側の車輪が、ぬかるみに取られている。
思ったより深い。
この角度は危ない。
荷が偏れば、さらに傾く。
馬が暴れれば、車輪が折れるかもしれない。
ルカは考えるより先に御者台を降りた。
「ルカ、待て!」
ガレンの声が飛ぶ。
「俺たちが先に見る!」
けれど、ルカはもう車輪へ近づいていた。
泥の状態を見なければ。
荷をどちらへ寄せるか決めなければ。
馬を落ち着かせなければ。
そう思っていた。
次の瞬間、ガレンの声が変わった。
「ルカ、戻れ!」
怒鳴り声だった。
ただの注意ではない。
ルカはびくりと体を震わせて振り返った。
「え?」
ガレンは真っ青な顔をしていた。
ルカはその顔を見て、ようやく自分の足元を見た。
黒い。
泥ではない。
ぬかるみの奥に、黒いものがあった。
それは水たまりのようで、油のようで、でもどちらとも違った。
車輪に絡みつくように、黒い筋が伸びている。
「ルカ!」
ガレンが走った。
ルカの腕を掴み、乱暴に引き寄せる。
そして、馬の側へ向かって突き飛ばした。
身体が宙に浮いた。
背中から地面へ落ち、息が詰まる。
「ガレン!」
叫んだ時、馬車がさらに傾いた。
荷台の上に固定していたロープと補助板が崩れ落ちる。
普通なら、ガレンは避けられた。
きっと避けられた。
でもその時、ガレンはルカを見ていた。
ルカが黒い泥から離れたか。
馬に踏まれない位置にいるか。
動けるか。
その一瞬だけ、ガレンは自分の上を見ていなかった。
補助板が落ちた音に、馬が前へ出かける。
御者が慌てて手綱を引く。
ガレンが板を払いのけようとして足を滑らせてしまった。
その足が、黒いぬかるみに取られた。
滑る。
崩れる。
車輪が沈む。
そして、ガレンの叫び声が森の道に響いた。
痛みの声だった。
それだけではない声だった。
黒い何かが、ガレンの脚へ絡みついていた。
ルカの頭が真っ白になった。
ガレンが。
ガレンが死んじゃう。
お父さんみたいな人が。
また、失っちゃう。もうあんな思いはイヤだ。
「どうしよう」
声が震えた。
「どうすればいいの。えっと、えっと、荷を、車輪を、ガレンを」
考えなければいけない。
商人なら、状況を見なければいけない。
父なら。
ガレンなら。
でも、足が動かなかった。
その時だった。
森の向こうから、聞いたことのない声がした。
言葉の意味は分からない。
けれど、その男はこちらへ向かってきていた。
黒い泥も、傾いた馬車も、倒れたガレンも知らないはずの男が、必死に何かを叫びながら走ってくる。
ルカは涙でにじむ視界の中、その男を見た。
真司との出会いは、そこから始まった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ルカの小さな物語はいかがでしたでしょうか?
ルカはこれから真司のそばで色々と成長していきます。
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