第22話 セレーナ様の朝ご飯
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。
宿の扉を開けた途端、朝のローデンがシンジを迎えた。
「荷を先に積め!」
「水袋はどこだ!」
「おい、俺の旅袋知らないか!?」
「知らないよ、自分で探せ!」
昨日の夕方とは、また違う騒がしさだった。
旅人は朝食をかき込み、御者は馬の状態を確かめ、商人は荷を数える。これから街道へ出る人間たちが、限られた時間の中で一斉に準備を進めている。
「うわぁ……」
シンジは思わず笑った。
「本当に慌ててるな」
そして宿の入口脇を見る。
昨日、女将が選んだ場所。
そこにはまだ四種類の小袋と、ルカが書いた札が並べられていた。
その中の一枚。
《出立準備セット》
その下には。
**朝になって慌てない準備が、ここにある。**
「…………」
シンジは目の前の光景と札を交互に見た。
「我ながら、恐ろしいくらい刺さってるな」
その時。
「食い物が足りない!」
宿から一人の男が飛び出してきた。
「昨日の残り、誰が食ったんだ!」
「知らねえよ!」
「昼までもたねえぞ!」
男が焦って辺りを見回し……止まった。
札を見る。
「……朝になって慌てない準備?」
シンジは何も言わない。
男の目が、その下に置かれた小袋へ落ちた。
「これ、道中で食える物は入ってるか?」
「はい!」
すぐにルカが飛んできた。
「保存の利く食べ物と、水入れ袋も入っています。包布もありますよ」
「いくらだ?」
ルカが値段を答える。
男は袋の中を確かめると、迷うことなく銅貨を取り出した。
「三つもらう!」
「ありがとうございます!」
小袋を抱え、男はそのまま仲間のところへ走っていった。
シンジは無言で見送る。
隣から女将の声がした。
「ほらね」
「ああ」
「朝の宿場町は、慌ててる客でできてるって言っただろ」
「実例が分かりやすすぎる」
女将が笑った。
◇
「シンジ、朝ご飯食べないの?」
食堂からルカが顔を出した。
「食べる!」
答えだけは早かった。
食堂へ入ると、朝の客たちが次々と席を立っていた。
卓には温かい麦粥や黒パン。食べ終えた旅人は荷物を掴み、そのまま外へ飛び出していく。
シンジの前にも麦粥が置かれた。
「…………」
湯気が上がる木椀。
横には木匙。
シンジは両手を見る。
セレーナが作ってくれた布の覆いが、白く封止された手を包んでいる。
昨日より見た目はずっと良くなった。
だが、指は生えていない。
「……そうだった」
「何が?」
ルカが黒パンをちぎりながら聞く。
「見た目が進化したから、なんとなく使える気になってた」
「使えないよ?」
「知ってる」
シンジは両手で木匙を挟もうとした。
昨日と同じように。
「よし」
「またやるの?」
「昨日一杯完食した男を舐めるな」
「半分くらい机が食べてたよ」
「そこは数えるな」
木匙を両側から挟む。
持ち上げる。
ぷるぷる。
「…………」
昨日と変わらなかった。
「進歩してない」
「手が変わってないからね」
「正論が痛い」
そこへ、忙しそうに食堂を横切った女将が足を止めた。
シンジの手元を見る。
「……あんたさ」
「はい?」
「あんた、その手で食べるってのが無理があるんだよ」
「くっ……」
シンジは震える木匙を見る。
「何も言えねえ……」
「セレーナ様に頼みづらければ、横の嬢ちゃんに頼んで食べさせてもらいな!」
「え?」
女将はそのまま厨房へ声を飛ばした。
「そっちの黒パン、先に包みな! 馬車溜まりの分だよ!」
「はい!」
「それと三番卓、粥のおかわり!」
指示を出し終えると、もうシンジのことなど放って次の仕事へ向かう。
「……セレーナ様って」
シンジは隣を見る。
「あの豪快な女将ですら様付け……セレーナって……」
「シンジ!」
セレーナを見て固まっているシンジへ、ルカが手を上げた。
「私が食べさせてあげようか?」
「い、いや、もう少し努力したいです……」
「朝は忙しいんだから、ちんたら食べられると迷惑なんだよ!」
遠くから女将の声が飛んできた。
「聞こえてる!」
「だったら早く食べな!」
「うう……世知辛い」
再び木匙を持ち上げようとした、その時だった。
「シンジ」
「ん?」
「私が食べさせます」
セレーナが木匙を取った。
「いや、でも……」
「口を開けてください」
「…………」
「シンジ?」
「……はい」
口を開ける。
セレーナが麦粥をすくい、少し冷ましてから口元へ運ぶ。
ぱく。
「…………」
「熱くないですか?」
「あ、大丈夫です」
「では、もう一口」
「はい……」
ぱく。
「介護されてる……」
「?」
「俺、介護されてる……涙が出そう」
ルカが声を殺して笑い始めた。
「くすくすっ……」
「笑うなよ!」
「だって、シンジがすごく神妙な顔で食べさせてもらってるから」
「俺の五十二年間にこんな朝はなかった!」
その時。
周囲が少しざわつき始めた。
「おい……」
「何だ?」
「あの藍紫の外套……」
近くの卓にいた旅人が、セレーナを見ている。
「巡回書記官の……」
「セレーナ様じゃないか?」
「やっぱりそうだよな」
「…………」
シンジの動きが止まる。
さらに声が聞こえた。
「おい、あいつ……」
「食べさせてもらってるぞ」
「マジか」
「うらやま……いや、けしからん!」
「途中で本音漏れてるぞ」
「…………」
シンジはそっと周囲を見た。
視線が集まっている。
「なんか視線が痛い……」
「口を開けてください」
「ちょっと待って」
シンジはセレーナを見る。
「あの、セレーナ……様って、偉い人なんですか?」
セレーナの手が止まった。
「……なぜ、様を付けるのですか?」
「いや、女将もそう呼んでるし、周りも……。 俺、知らなかったから」
「シンジ」
「はい」
「今まで通り、セレーナと呼んでください」
「でも……」
「それと、敬語もやめてください」
「はい……」
「返事が敬語です」
「……うん」
セレーナは満足そうに頷いた。
「私はセレーナです。今まで通り、そう呼んでください。分かりましたか?」
「……うん」
「では、口を開けてください」
「セレーナ、ちょっとだけ、俺の話を聞いて――」
「シンジ、口は?」
「……はい」
ぱく。
「…………」
また周囲がざわつく。
「あいつ、今セレーナ様を呼び捨てにしたぞ」
「しかも食べさせてもらってる」
「何者だ?」
「俺が聞きたい!」
思わず声が出た。
「シンジ、動かないでください。こぼれます」
「あ、ごめん」
「はい、もう一口」
ぱく。
「……あの、もう自分で……」
「はい。口を開けてください」
「…………」
ぱく。
「なら、ルカに……」
セレーナが少しだけ笑った。
「私では、ご不満ですか?」
「いえ、そうでは……」
「では、もう一口です」
「あの、話聞いてる?」
「口を開けてください」
「はい……」
ぱく。
とうとうルカが耐えきれなくなった。
「あははははっ!」
「笑いすぎだろ!」
「だって! シンジが何を言っても、言いなりなんだもん!」
「逆らえる空気じゃないんだよ!」
セレーナまで口元を押さえる。
「ふふっ……」
「セレーナも笑ってるじゃん!」
「すみません。でも……ふふっ」
「また謝りながら笑ってる!」
シンジは天井を仰いだ。
「もう俺の尊厳値、ゼロ……いや、マイナス表記されてるぞ」
【尊厳値:測定不可】
「そこだけ測定放棄すんなあああああ!」
食堂にシンジの声が響いた。
周囲から、さらに笑い声が上がった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
魔法と剣のファンタジーなのに、朝から介護される中年の物語。
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