第22話 ローデンの女将
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんの物語をお楽しみください。
ローデンの馬車溜まりは、リーヴェの村外れとはまるで違っていた。
馬が鼻を鳴らし、荷台から樽を下ろす男たちが声を合わせる。
宿の裏口からは、焼いたパンの匂いと湯気が流れてきた。
水桶を抱えた少年が馬の間を走り抜け、革の前掛けをつけた職人が車輪を蹴って具合を確かめている。
人が来る。
荷が降りる。
馬が休む。
銅貨が鳴る。
また誰かが、次の道へ出ていく。
ローデンは、道の途中にある町だった。
真司はその土の上に座り込んでいた。
正確には、座り込んだまま動けなかった。
足が重い。
喉が痛い。
額の仮界紋は、まだ熱を持っている。
そして両手は、布で包まれていた。
リーヴェを出る時に、セレーナが余った布で真司のために手袋を作って、真司の手にかぶせたのだ。
綺麗な女性からの手作りプレゼント、異世界初のご褒美イベントである。
だが……手袋、と呼ぶにはあまりにも雑だった。
急ごしらえなのか、指の部分はない。
はっきり言えば、ただの「袋」である。
手を入れて、手首で縛るだけの袋。
指は動かせない。
物もつかめない。
手というより、白い丸が二つぶら下がっている。
真司はその両手を見下ろした。
「……待て。この手、どこかで見たことあるぞ」
丸い。
指がない。
白い。
そして妙に愛嬌がある。
真司の脳裏に、青い体の未来方面から来そうな何かがよぎった。
「ぼく、どら……」
【禁止固有名】
【それ以上はいけません】
【物語構造への危険:大】
【各方面への配慮を推奨】
「お前、急に必死だな」
【危険です】
「そんなにか」
【とても】
「……なんか、すまん」
ルカが荷台から顔を出した。
「シンジ、どうしたの? 自分の手を見て、すごく難しい顔してるけど」
「いや、俺の世界で有名な……いや、やめておこう」
「有名な何?」
「言うと板が怖がる」
「板が?」
「うん。今、板が一番真面目な顔してる、気がする」
ルカは少し考え、それから真司の丸い手を見た。
「でも、少しかわいい」
「やめろ。中年男に一番刺さる種類の慰めだ」
ルカは笑った。
その笑いで、真司も少しだけ息が楽になった。
◇
「あんたたち」
太い女の声が飛んできた。
馬車溜まりの端に、腕を組んだ女が立っていた。
腰に前掛けを巻き、袖をまくり、髪を後ろでひとつに束ねている。
背は高くない。
けれど、存在感があった。
太い腰。
太い腕。
太い声。
年齢は、真司より少し上だろうか。
顔には皺があるが、目は鋭い。
宿場町の人間が何人も彼女へ道を空けている。
ただの宿の人間ではなさそうだった。
人と荷と馬、この馬車溜まりのすべてを把握するように見ていた。
宿場町の女将。
真司には、そう見えた。
女は馬車を見た。
車輪を見た。
荷台に積まれた小袋を見た。
最後に、地べたに座り込んでいる真司を見た。
疲れ切った顔。
ほのかに光る額。
白く丸い両手。
女は順番に見て、眉を上げた。
「……あんたは何なんだい」
「俺も知りたい。教えてくれ」
女は一瞬きょとんとし、それから腹の底から笑った。
「アハハ! 突っ込むところが多すぎて、どこから突っ込めばいいのか分からない男だねぇ」
「突っ込まれすぎて、もう穴だらけだ」
ルカが吹き出した。
バルトも顔を背ける。
護衛は咳払いでごまかした。
馬車の陰では、セレーナが横を向いて肩を震わせている。
「……覚えてろよ、お前ら」
真司の悪態は、完全に負け犬のそれだった。
女は目尻を拭い、すぐに馬車溜まりの奥を顎で示した。
「笑わせてもらったところ悪いけどね。馬車は奥の壁際へ寄せな。ここで止まられると、他が入れないよ」
怒鳴っているわけではない。
場所をさばいているだけだ。
御者が馬を動かす。
馬車はぎしりと鳴りながら、壁際へ寄せられた。
その間に、女の目が小袋へ戻る。
「それは?」
ルカが袋をひとつ抱えた。
「売り物です。ローデンで売るつもりだった小物を、道中でまとめました」
「売り物ねえ」
女は手を出した。
ルカは一瞬だけ迷い、すぐに袋の口を開いて見せた。
針。
糸。
革紐。
大判布。
女の目が細くなる。
ただの荷を見る目ではなかった。
「旅人向けかい」
「はい。道中で困った時に使うものを、まとめてひとつにしました」
ルカの声に、少し力が入った。
女は別の袋も覗く。
火打石。
火口包み。
蝋芯。
油入り小瓶。
「ふうん」
悪くない声だった。
真司は土に座ったまま、女のしぐさと顔つきを見ていた。
女は商売人の顔をしている。
売れるか。
客の手が伸びるか。
もう、その目で見ている。
「さ~て、名前をつけようか」
真司は女の気を引くように言った。
ルカが振り返る。
「名前ですか?」
「商品名だ。中身を全部説明するより、先に何に使うか分かった方がいい」
女が真司を見る。
「あんた、詳しく話しておくれ」
真司は女の目を見ながら小さく頷いた。
「客に中身を全部見せて、必要かどうかを考えさせるより、こっちで先に用途を示す。『これは何に使うものか』が分かれば、客は選びやすい」
「つまり、客に探させるんじゃなく、こっちから答えを置くってことかい?」
「そういうこと」
女はにやりと口元を上げた。
「あんた、面白いのは風貌だけじゃないね」
「この世界の人間は、素直に褒めるという文化を知らないのか?」
◇
ルカが最初の袋を持ち上げる。
塗り薬に使う乾燥薬草。
煎じて飲む薬草。
丈夫な紐。
巻き布。
「簡易応急セット」
真司は言った。
「カバンにひとつあるだけで安心」
ルカが目を丸くする。
短い名前と短い一言。
それだけで、袋が少し違って見えた。
女が頷く。
「悪くないね」
次の袋。
火打石。
火口包み。
蝋芯。
油入り小瓶。
「夜間備えセット」
真司は続けた。
「灯りが切れる前に、備えをひとつ」
近くにいた馬車乗りの男が、ちらりとこちらを見た。
女もそれに気づいた。
次。
針。
糸。
革紐。
簡易留め具。
大判布。
「道中修繕セット」
「ほつれも破れも、その場で直せる」
馬車乗りの男の視線が、今度ははっきり止まった。
男は腰の革紐を見た。
そこには、結び直した跡がある。
真司は気づいたが、声はかけなかった。
女も声をかけない。
ただ、その男が一歩近づくのを待った。
最後。
紐類。
大小の布。
簡易留め具。
油紙。
包みやすい保存食。
「出立準備セット」
真司は、馬車溜まりを行き交う旅人を見た。
「朝になって慌てない準備が、ここにある」
女が声を出して笑った。
「それは売れる!」
ルカが顔を上げる。
「本当ですか」
「ああ。朝の宿場町は、慌ててる客でできてるからね」
その時だった。
さっきの馬車乗りが、道中修繕セットを指した。
「それ、いくらだ」
ルカの肩が、ぴくりと動いた。
真司は何も言わない。
女も黙っている。
値段をつけるのは、ルカだ。
ルカは袋を両手で持ち直した。
一瞬だけ、真司の方を見る。
許可を求めたのではない。
足元を確かめるような目だった。
真司は、丸い手を上げられない代わりに、顎だけで小さく頷いた。
ルカは男へ向き直る。
「銅貨三枚です」
男は袋を覗いた。
「二枚」
「三枚です。革紐だけじゃなくて、針と糸と当て布も入っています。次に切れた時、また探すより安いです」
女の眉が上がった。
真司も少しだけ目を開いた。
ルカは早口ではなかった。
押し売りでもなかった。
自分の商品を、まっすぐ見ていた。
男は腰の革紐をもう一度見た。
そして、銅貨を三枚出した。
乾いた音が、ルカの手のひらに落ちる。
一枚。
二枚。
三枚。
ルカは小さく息を吸い、それから袋を差し出した。
男はその場で袋を開け、革紐と留め具を取り出す。
「……これは確かに、あると便利だな」
「そのためのセットですから」
ルカの声が、少しだけ弾んだ。
男は短く笑い、去っていった。
馬車溜まりの騒がしさは変わらない。
馬は鼻を鳴らし、誰かが樽を転がし、宿の裏からパンの匂いが流れてくる。
けれど、ルカの手の中だけ、世界が少し止まっていた。
銅貨三枚。
道の上で結んだ袋が、初めて誰かのものになった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
魔法と剣のファンタジーなのに、どこまでも実務な中年の物語。
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