第15話 額の仮界紋
お読みいただきありがとうございます。
真司の異世界実務サバイバル、ついに真司が勇者に!?
運命の女神の導きで、真司の〇に〇が浮かび上がる!
詳細は続きをお読みください。
セレーナは、地面に残された絵を見下ろしていた。
馬。
水。
家。
道。
黒沼。
それから、真司とルカらしき棒人間。
灰色の線を挟んで向かい合う二人の絵。
何度も引き直された線と、枝で消された跡が、地面に残っている。
しばらく黙っていたセレーナは、真司を見た。
真司は肩をすくめるしかなかった。
通じない。
けれど、何とかしようとはした。
地面に残った絵は、その証拠みたいなものだった。
セレーナは、真司の両手を見る。
白い布で包まれた両手。
その下には、黒沼に触れた反応がまだ残っている。
次に、真司の額を見る。
真司は嫌な予感がした。
「……なんだよ」
セレーナは小さな木箱を開いた。
中には、薄い札と、細い金属片と、淡く光る墨のようなものが入っていた。
どれも見たことがない道具だった。
けれど、仕事道具だということだけは分かる。
セレーナの指先に迷いがない。
真司は、そこに余計な怖さを感じた。
慣れている。
この人は、これをやったことがある。
セレーナはまず、自分の手の甲を指した。
次に、金属片を指す。
それから、真司の両手を見た。
白い布に包まれた両手。
黒沼の残滓を封じている手。
セレーナの表情が、ほんの少し曇った。
困ったような。
申し訳なさそうな。
そんな顔だった。
彼女は首を横に振る。
そして、真司の額を指した。
「……ん?」
真司は意味が分からず、首を傾げた。
セレーナはもう一度、自分の手の甲を指す。
次に、真司の両手を指す。
最後に、真司の額を指す。
手は駄目。
だから額。
たぶん、そういうことらしい。
「いや、待て。何をする気だ」
もちろん通じない。
セレーナは真司の言葉を理解できないまま、少しだけ眉尻を下げた。
悪いことをするつもりはない。
けれど、説明が届かない。
そんな顔だった。
ルカが横から何かを言う。
セレーナは短く答えた。
ルカの顔が、少し気の毒そうになる。
「おい。今の顔は何だ。何を知った」
真司が聞いても、誰も答えられない。
若い護衛も、何とも言えない顔をしている。
御者は目をそらした。
やめろ。
事情を知っている側だけが気まずそうにする空気は、
経験上、だいたいろくな結果にならない。
【周囲反応:同情】
【推定:羞恥を伴う処置】
【補足:説明不足です】
「補足になってない。むしろ不安だけ増えた」
真司が小声で言うと、セレーナは灰色の線の手前に銀色の札を三枚置いた。
札の間に細い光が走り、線の内側へ、小さな円ができる。
その円の端に、セレーナが片膝をついた。
距離が近くなる。
近い。
昨日からずっと遠巻きにされていたせいで、余計に近く感じた。
セレーナは自分のまぶたを指で示し、それから真司を見た。
目を閉じろ。
たぶん、そういう意味だ。
「……目を閉じろってことか?」
真司は戸惑いながらも、ゆっくり目を閉じた。
何をされるのか分からない。
だが、セレーナの手順には迷いがなかった。
悪意もない。
たぶん。
目を閉じると、視界が消えたぶん、他の感覚が妙に強くなった。
衣擦れの音。
小瓶の蓋が開く音。
セレーナが何かを小さく呟く声。
それから、ふわりと甘い匂い。
花ではない。
菓子でもない。
薬草に蜂蜜を落としたような、静かな甘さだった。
真司は、場違いにも心臓が跳ねるのを感じた。
異世界に来て、まだ一日そこそこ。
黒沼に触れた。
灰色の線の内側。
両手は封止済み。
額に何かされようとしている。
なのに、目の前の女性から甘い匂いがする。
状況が渋滞していた。
「……これは、いろいろ駄目だろ」
小さく呟いてから、真司は別の不安に気づいた。
額。
額である。
人間、額に何かを書かれるとなれば、不安にもなる。
何の印なのか。
身分を示すものなのか。
それとも、危険物注意みたいな扱いなのか。
何を書かれるのかは分からない。
まさか。
まさかとは思うが。
「……バカとか、肉とか書かれないよな」
そう呟いた瞬間、額に何かが触れた。
羽でなぞられたような、ひどく軽い感触だった。
やわらかい。
冷たい。
くすぐったい。
その次の瞬間。
「いっだあああああああああああああああ!?」
額の内側で、火花が爆ぜた。
触れたのは羽だったはずなのに、痛みは焼きごてだった。
皮膚の上に書かれているのではない。
頭蓋骨の裏側へ、細い釘で文字を打ち込まれているような痛みだった。
「待て待て待て! これ聞いてない! 目ぇ閉じさせるなら先に痛いって言え!」
真司は反射的に額を押さえようとして、両手を見て止まった。
封止された手で額を押さえるわけにはいかない。
だが痛い。
押さえられない。
逃げられない。
結果、真司は灰色の線の内側で、情けなく身体をよじるしかなかった。
本人は必死である。
額は痛い。
両手は使えない。
押さえられない。
逃げられない。
だから、首と肩と腰だけで痛みを逃がそうとする。
だが、周りから見れば、その動きはひどく奇妙だった。
真司の知る世界なら、昔流行った玩具に似ていた。
音に反応して、茎をくねらせながら踊る花。
ダンシングフラワー。
しかも、額を押さえられない両手が、
上へ、横へ、斜めへと意味もなく跳ねる。
この世界の人間に言っても、誰にも伝わらないだろう。
だが真司の頭には、昭和の人気アイドルが歌っていた、
あの有名なアルファベット振り付けまで浮かんでいた。
ダンシングフラワー、昭和アイドル添え。
現代日本で五十過ぎのおっさんがこれをやったら、
防犯ブザーを鳴らされても文句は言えない。
だが今、目の前の光景は、まさにそれだった。
中年男が額を光らせ、身体をくねらせ、
封止された両手を謎のリズムで振っている。
珍妙だった。
かなり、珍妙だった。
「ぷっ」
柵の内側で、小さな音がした。
見ると、さっきルカとのやり取りで笑っていた女の子が、
口元を押さえて肩を震わせていた。
「お兄ちゃん、あれ、変」
兄らしき少年が慌てて妹の手を引く。
「指差すな。笑っちゃだめだろ」
そう言いながら、兄の口元もひくひくしていた。
「だめだろ、って……お前も笑ってるだろ……!」
真司は痛みに悶えながら、心の中で叫んだ。
よく見ると、大人たちも顔を背けている。
心配している顔ではない。
笑いをこらえている顔だ。
中には咳払いでごまかしている者までいる。
真司はさらに痛みで身体をよじった。
その動きが、また悪かった。
柵の向こうで、女の子がとうとう吹き出した。
ルカはどうか。
心配してくれているはずだ。
少なくとも、さっきまでは心配そうに立ち上がっていた。
真司は薄目を開けてルカを見た。
ルカは腹を押さえていた。
完全に笑っていた。
「心配しろよぉ!」
声になったのか、ならなかったのか分からない。
額は痛い。
尊厳も痛い。
最後に、真司はセレーナを探した。
この原因を作った本人である。
まさか彼女まで笑ってはいないだろう。
あの冷静な巡回書記官が。
そう思った。
いた。
セレーナはすぐ近くにいた。
片膝をついたまま、顔を伏せている。
肩が、小さく震えていた。
「お前もか!」
【仮界紋:接続中】
【通詞術式:起動準備中】
【疼痛反応:高】
【周囲反応:笑気傾向】
「そこまで分析するな!」
【接続中】
「知ってるわ!」
耳の奥で、水が揺れるような音がした。
遠くの声が、近くなる。
意味にならなかった音が、ひとつずつ形を持ち始める。
ルカの声。
セレーナの声。
村人のざわめき。
痛みがすっと引いた。
あまりに急に引いたので、
真司は地面に横向きに転がったまま、しばらく動けなかった。
「……死ぬかと思った」
声が出た。
その瞬間、自分の言葉が、喉の奥で別の形に変わったのが分かった。
セレーナが、少し近い場所から尋ねる。
「聞こえますか。私の言葉が分かりますか」
真司は目を開けた。
セレーナの顔が見えた。
さっきの甘い匂いが、まだ少し残っている。
そして、言葉の意味が分かった。
「……分かる」
真司は呆然と答えた。
「分かる。普通に、分かる」
【仮界紋:緊急代替位置に接続】
【通詞術式:起動】
【言語適応:第二段階へ移行】
【日常会話:接続完了】
【固有名詞・制度語・専門語:個別習得が必要】
【文字理解:未接続】
「会話はできる。でも、難しい言葉と文字は別ってことか」
【概ね正確】
「そこは板頼みか」
【必要に応じて整理します】
真司は、少しだけ板を見直した。
「お前、ちょっと頼もしく見えてきたぞ」
【評価を記録します】
「調子に乗るな」
「何がですか」
セレーナが聞いた。
通じた。
独り言まで、きっちり通じた。
真司は地面に転がったまま、しばらく空を見た。
「……これからは、独り言にも気をつけないと駄目なのか」
ルカが、まだ少し笑いを引きずった顔でこちらを見ていた。
いつも読んでくださりありがとうございます。
真司の異世界生活は、額の紋と共に続きます。
〈途中で真司が踊った?ネタについて〉
昭和生まれしかわからないネタと思いつつ、
真司の年齢を軸にネタを入れてしまいした。
どんな踊りか気になった方はアルファベットで
「ワイ・エム・シー・エー」と入力して検索してくださいませ。
昭和の男性アイドルが歌っている有名な曲がヒットします。
名曲です。
くせになるメロディーと振付でメロメロ(死語)になります。
昭和生まれの人の前で歌うとみんな踊ってくれます。
ぜひ、あなたのカラオケレパートリーに入れてあげてください。
引き続き、この物語とお付き合いいただけると幸いです。




