第11話 隔離観察中のステータス
お読みいただきありがとうございます。
少しずつ見えてきたこの世界の仕組みと、自分にできること。
引き続きお楽しみください。
灯文鳥が空へ消えてからも、灰線は消えなかった。
門は開かない。
村人たちは近づかない。
ガレンは戸板の上で浅い呼吸を繰り返している。
ルカはそのそばに座り、何度もガレンの顔を覗き込んでいた。
若い護衛は門の内側と森の方を交互に見ている。
御者は馬と車輪の具合を確認していた。
誰も暇ではない。
だが、誰も自由でもない。
灰色の線が、そこにある。
たったそれだけで、真司たちは村の外に切り離されていた。
真司は灰線の内側で、膝を抱えるように座った。
ただし、両手は身体につけないよう、少し浮かせている。
布で包まれた両手。
黒沼の残り香のようなものを封じるための手。
つまり、うっかり膝に乗せるだけでも気分が悪い。
姿勢がつらい。
腰も痛い。
若返った身体でも、疲れるものは疲れるらしい。
「……万能若返りじゃないのかよ」
真司は小さくぼやいた。
森で目覚めた時は、身体が軽かった。
肩も腰も、五十二歳の朝にしてはやけに素直だった。
だが、荷馬車を助け、黒沼に触れ、壊れかけの馬車の横を歩き、村の前で隔離され、検分され、両手を包まれ、紙の鳥でどこかへ報告された。
ここまで来れば、若返った身体にも文句を言う権利があるのだろう。
いや、文句を言いたいのは身体ではなく真司の方だ。
馬の鼻息が聞こえる。
ガレンの苦しげな呼吸も聞こえる。
門の内側では、村人たちが声をひそめて話していた。
セレーナはまだ書き板へ何かを記している。
本当に、よく書く。
あの書き板の中では、真司はどんなふうに扱われているのだろう。
黒沼に触れた異邦人。
言葉の通じない男。
両手を封止された要観察対象。
結婚指輪が妙な反応を示した中年。
並べると、なかなかひどい。
「……そういえば」
真司は、ふと思い出した。
森で目覚めた時に出た、あの履歴書みたいな板。
最初は、半透明の表示に年齢やら能力やらが並んでいた。
勇者や大魔法使いではなく、情報整理だの工程管理だの販促設計だの、妙に現実味のある項目が並んでいた。
あれから、ずいぶん状況が変わった。
馬車を助けた。
黒沼に触れた。
ルカとガレンの名前を知った。
リーヴェに来た。
セレーナに処置された。
灯文鳥という紙の鳥も見た。
何か変わっていても、おかしくない。
いや、変わっていてくれないと困る。
こんな目に遭って、何も変わっていなかったら、あまりにも労働対価が悪すぎる。
転移直後に見た時は「未接続」やら「照合中」って出てたし、そろそろ変化してるかもしれない。
真司は少しだけ姿勢を直した。
両手は使えない。
だから、言葉で呼ぶ。
「ステータス」
小さく口にすると、半透明の板が静かに広がった。
【ステータス】
個体名:堺井 真司
年齢:52
肉体年齢:推定40前後
状態:黒沼接触/隔離観察中/疲労
言語適応:初期照合中
登録語:黒沼/リーヴェ/ルカ/ガレン/セレーナ/灯文鳥
身体:C
魔力:E
戦闘:E
精神:B
適応:A
【蓄積経験資質】
情報整理:熟練
状況検分:実務級
損害予見:熟練
課題抽出:熟練
関係設計:熟練
利害調律:実務級
信頼蓄積:熟練
滞留解消:実務級
企画編集:実務級
販促設計:実務級
【特記事項】
黒沼接触:継続
侵食兆候:確認不能
黒沼反応:通常個体と差異大
指輪周辺:解析不能
外部分類:要観察
「……成長なし」
真司は、しばらく板を見つめた。
身体、C。
魔力、E。
戦闘、E。
精神、B。
適応、A。
変わっていない。
あれだけ荷馬車の横を歩き、事故現場で動き、黒沼に触れ、言葉の通じない相手と身振りでどうにかしたのに、数値は変わっていない。
「そこは少しくらい上げてくれてもいいだろ。せめて身体Cプラスとか」
板は答えない。
現実的すぎる。
この世界の判定は、ちょっと動いたくらいで人を褒めてはくれないらしい。
いや、分かる。
五十二年生きてきた真司には分かる。
少し頑張ったくらいで、世の中は急にレベルアップ音を鳴らしてくれない。
それでも、異世界くらいはもう少し甘くてもよかった。
「魔力Eもそのままか。黒沼に触ったんだから、何かこう、禁断の力が目覚めるとかないのか」
表示は変わらない。
「ないんだな。知ってたよ」
真司は肩を落とした。
次に、状態を見る。
黒沼接触。
隔離観察中。
疲労。
「状態欄が全部嫌だな」
転移直後、の方がまだ夢があった。
黒沼接触。
隔離観察中。
疲労。
完全に事故報告書の欄である。
「これ、ステータスというより現場記録だろ」
真司はため息をついた。
登録語の欄には、知ったばかりの言葉が並んでいた。
黒沼。
リーヴェ。
ルカ。
ガレン。
セレーナ。
灯文鳥。
朝、森の中で目覚めた時には、何も分からなかった。
木の名も、道の意味も、人の声も分からなかった。
それが今は、少しだけ違う。
黒沼は、危険な黒い泥。
リーヴェは、この村。
ルカは、小柄な少年に見える商人。
ガレンは、負傷した大柄な護衛。
セレーナは、処置と記録を行う巡回書記官らしき女性。
灯文鳥は、光る紙の鳥。
まだ少ない。
だが、ゼロではない。
名前が増えると、世界は少しだけ形を持つ。
そのことだけは、ありがたかった。
「言語適応、初期照合中」
真司はそこを読んで、眉を寄せた。
「初期、まだ終わってないのか」
照合中。
便利そうな言葉である。
だが、今のところ全然便利ではない。
文字理解も、相変わらず未接続のままらしい。
読めるのは、この板の表示だけ。
現地の文字は読めない。
人の言葉も、単語を拾うので精一杯。
要するに、翻訳アプリをインストールしかけて通信が切れている状態である。
「中途半端にもほどがあるだろ」
真司は次に、特記事項へ目を落とした。
黒沼接触、継続。
侵食兆候、確認不能。
黒沼反応、通常個体と差異大。
指輪周辺、解析不能。
外部分類、要観察。
「通常個体と差異大」
その言葉に、真司は少しだけ固まった。
普通ではない。
そう書かれている。
ガレンは苦しんでいる。
足に黒い筋が走り、セレーナの白札で進行を遅らせている。
だが、真司は立っている。
両手に反応は出た。
残滓が漏れているらしい。
それでも、ガレンのようにはなっていない。
それは幸運なのか。
異常なのか。
それとも、もっと別の何かなのか。
答えは表示されない。
解析不能。
情報不足。
この板は、肝心なところほど素っ気ない。
「……まあ、分からないって言ってくれるだけ正直か」
真司は左手を見る。
布で包まれているせいで、指輪はほとんど隠れていた。
だが、そこにあることは分かる。
結婚指輪。
スマホも財布も何もなかったのに指輪だけは残っていた。
真司は、しばらく左手を見つめた。
「……これは、あの日からずっと身に着けてる……俺の、俺である証だ」
指輪は、いつも通りそこにあった。
そう思った。
少なくとも、この時の真司は。
この世界に来ても残っていたもの。
妻とのつながり。
そして、さっき光る瓶に反応したもの。
指輪周辺、解析不能。
「お前まで変な扱いされるのは勘弁してくれよ」
真司は小さく言った。
指輪はただの指輪だ。
そう思いたい。
この世界で唯一残った、真司自身の人生の証だ。
そこまで黒沼だの異常だのに巻き込まれたら、たまらない。
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