第10話 灯文鳥
お読みいただきありがとうございます。
真司の異世界実務サバイバル、続きです。
少しずつ見えてきたこの世界の仕組みと、自分にできること。
剣も魔法もない真司が、世知辛い異世界と向き合っていきます。
セレーナは書き板へ最後の一筆を加えると、門の内側にいる村人へ視線を向けた。
年配の男が、すぐに小さな筒を持ってくる。
親指ほどの細い筒だった。
木とも金属ともつかない素材でできていて、表面には薄い線が何本も刻まれている。
セレーナはそれを受け取ると、筒の口を開けた。
中から出てきたのは、薄い紙のようなものだった。
紙、に見える。
だが、真司の知っている紙よりもずっと薄い。
光にかざすと、葉脈のような細い筋が走っているのが見えた。
セレーナは、書き板の上にその紙を置き、何かを呟いた。
すると細い文字が浮かび、紙の表面に淡い光が沈んでいった。
真司はその幻想的な事象を眺めていた。
「あれって魔法なのか?」
真司は小さくつぶやいた。
セレーナは反応しない。
ただ、必要なことを必要な順番で進めている。
次に、彼女は腰元の小瓶をひとつ開けた。
瓶の中に揺れていた光が、紙の端へ一滴落ちる。
その瞬間、紙が動いた。
「……え?」
折れた。
ひとりでに。
紙の端が持ち上がり、内側へ折り込まれる。
反対側も折れる。
細い筋が浮かび、翼の形になる。
嘴ができる。
尾が伸びる。
小さな脚のようなものまで生えた。
あっという間に、紙は小さな鳥の形になった。
「……鳥?」
真司は思わず声を漏らした。
紙の鳥は、瓶の光を吸ったように淡く光っている。
白とも金とも言えない、柔らかな光だった。
セレーナがその鳥へ短く告げる。
鳥は一度、首を傾げるように震えた。
次の瞬間、翼を広げる。
光の粒を散らしながら、紙の鳥は空へ飛んだ。
門の上を越え、村の柵を越え、森の上へ上がっていく。
紙とは思えない滑らかな動きだった。
真司は口を開けたまま、それを見送った。
ただの紙が鳥になった。
伝書鳩みたいなものなのか?
【未知道具:発光紙鳥】
【用途推定:伝達】
【送信先:不明】
【関連語候補:灯文鳥】
「灯文鳥……」
真司は、聞こえた音を真似るように小さくつぶやいた。
セレーナがこちらを見た。
今の言葉に反応したらしい。
彼女は少しだけ目を細め、書き板へ何かを追記した。
「また記録か」
真司は苦笑した。
もう、何をしても記録される気がしてきた。
異世界に来て最初の肩書きが、勇者ではなく観察対象。
あまりにも地味で、ひどい扱いある。
「せめて魔法使い見習いぐらいには、なりたかったな…」
真司は遠い目で空を見上げた。
あの紙の鳥は、どこへ飛んだのだろう。
自身の境遇から目を背けるように、そんなことを考える。
近くの町か。
もっと大きな町か。
それとも、この世界にも役所のような場所があるのか。
何にせよ、どこかへ報告はされたと推測する。
自分のことも。
ガレンのことも。
黒沼のことも。
真司は空の彼方を見た。
紙の鳥はもう見えない。
見えないところへ、情報だけが飛んでいった。
それは、助けを呼ぶものなのか。
監視を呼ぶものなのか。
それとも、その両方なのか。
判断はつかなかった。
◇
セレーナは、次に真司へ向き直った。
村人が緊張する。
ルカも不安そうにこちらを見た。
真司は、包まれた両手を少し持ち上げる。
「……まだ何かあるのか」
通じるはずもない言葉に、セレーナは答えない。
ただ、真司の手を指した。
次に、ガレンの足を指す。
最後に、自分の持つ光る瓶を軽く掲げる。
調べる。
そういう意味だろう。
真司は頷いた。
拒否できる立場ではない。
それに、拒否したところで何も良くならない。
分からないものを分からないまま抱えている方が、よほど怖い。
セレーナは、真司から数歩離れた位置で止まった。
近づきすぎない。
触りすぎない。
それでも、必要な距離までは来る。
その動きに、真司はもう少し慣れてきていた。
この人は不用意に人を怖がらせない。
けれど、必要な確認は避けない。
セレーナは、薄い水色の瓶を真司の手へ向けた。
瓶の光が揺れる。
ガレンの時のようには伸びない。
あの黒い筋を追うような、強い反応はなかった。
真司の指の皺に残った黒い泥は、相変わらず気味の悪い冷たさを放っている。
それなのに、皮膚の下へ入り込むような動きは見えない。
セレーナは、瓶をゆっくり右手から左手へ移した。
真司は息を止める。
村人たちも黙って見ていた。
セレーナが、今度は別の瓶を取り出す。
透明に近い光。
水というより、薄い空気を閉じ込めたような光だった。
それを真司の左手へ向ける。
その時だった。
結婚指輪のあたりで、光がわずかに滞った。
ほんの一瞬。
見間違いと言われれば、そうかもしれない程度。
だが、セレーナは見逃さなかった。
真司も、見逃せなかった。
「……何だ?」
左手の薬指が、少しだけ温かい。
気のせいだと思おうとして、思いきれない。
黒沼に触れた時の冷たさとは逆だった。
胸の奥に、朝のリビングが浮かぶ。
テーブル。
マグカップ。
妻の声。
楽しんでね。
あの言葉が、遠いところから戻ってきたような気がした。
【黒沼接触:継続】
【侵入兆候:確認不能】
【対象反応:異常】
【指輪周辺:解析不能】
「また不能かよ」
真司は吐き捨てるように言った。
分からない。
ボードにも分からない。
セレーナにも、まだ分からないのだろう。
分からないことだらけだ。
けれど、分からないままでは終わらない。
セレーナは、真司の左手を見たまま、書き板へ何かを記した。
真司は思わず指輪を隠したくなった。
だが、両手は封止の布で包まれている。
隠そうにも、うまく動かない。
そもそも、隠したところで意味はない。
彼女はもう見ている。
記録もしている。
「……それ、ただの結婚指輪だぞ」
真司は小さく言った。
もちろん、通じない。
それでも言わずにはいられなかった。
自分のもので。
妻とのもので。
この世界に来ても、唯一残っていたもの。
それまで記録されるのは、どこか嫌だった。
セレーナは書き終えると、少しだけ真司の顔を見た。
怒っているわけではない。
疑っているわけでもない。
ただ、真司がその指輪をどう扱っているのかを見ている。
真司は黒く汚れた布の手を、胸の前でそっと下げた。
説明したいことはある。
言葉にしたいこともある。
けれど、今の自分にはそれを伝える手段がない。
名前。
場所。
黒沼。
ガレン。
ルカ。
リーヴェ。
灯文鳥。
少しずつ言葉は増えている。
それでも、一番伝えたいことには、まだ届かない。
帰りたい。
妻のところへ。
家族のところへ。
冷めたコーヒーのある朝へ。
それをどう言えばいいのか、真司にはまだ分からなかった。
◇
セレーナは、村人たちへ短く指示を出した。
村人たちは真司へ近づかなかった。
ただ、木の棒を使って、水袋と黒パンらしきものを灰線の内側へ押し込んでくる。
さらに、布に包まれた小さな食べ物も置かれた。
直接手渡しではない。
それでも、何もないよりはずっといい。
真司は頭を下げた。
「ありがとう」
言葉は通じない。
それでも、頭を下げる意味くらいは伝わったのかもしれない。
門の内側で、村人の一人が気まずそうに視線を逸らした。
別の者は、ほんの少しだけ頷いた。
怖い。
でも、助けたい。
さっきから見えていたその矛盾が、今もそこにあった。
ルカが水袋を受け取り、ガレンのそばへ戻る。
若い護衛が戸板の位置を直し、御者が馬車の車輪を確認していた。
セレーナは、また書き板へ筆を走らせる。
真司はそれを見て、苦笑した。
「本当に、全部書くんだな」
セレーナが顔を上げる。
真司が何かを言ったことには気づいたらしい。
水色の目が、真司を見る。
真司は包まれた両手を少し持ち上げた。
「俺、そんなに面白いか?」
通じない。
分かっている。
だが、セレーナは少しだけ首を傾げた。
そして、書き板へ何かを追記した。
「だから記録するなって」
真司は思わず言った。
もちろん、やっぱり通じない。
左手の薬指が、まだ少しだけ温かい。
灯文鳥はもう空の向こうへ消えた。
報告は飛んだ。
指輪の反応も記録された。
この世界に来てから、真司の周りでは、分からないものばかりが増えていく。
だが、その分からないものには、少しずつ名前がついていった。
黒沼。
リーヴェ。
セレーナ。
巡回書記官。
灯文鳥。
そして、記録される自分。
真司は灰線の内側で、包まれた両手を見下ろした。
勇者でもない。
罪人でもない。
ただの旅人でもない。
今の自分は、何なのか。
その答えもまた、どこかへ飛ばされた紙の鳥が運んでいるのかもしれなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
真司の状況は、少しずつ整理されてきました。
ただし、分かったことが増えるほど、分からないことも増えていきます。
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次話もお付き合いいただければ幸いです。




