第101話 捨てる前に、戻せないか
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんが、
なぜか騎士になてしまった物語をお楽しみください。
朝食を終えると、マルタはシンジたちを宿の裏手へ案内した。
湯場の外壁に沿って進んだ先に、黒く煤けた古い窯がある。
窯の中では、赤黒い石が静かな熱を放っていた。
炎が大きく上がっているわけでもないのに、近づくだけで頬が熱くなる。
その脇には、拳よりひと回り大きなぬくみ石が、間隔を空けて並べられていた。
「ぬくみ石は窯の中へ入れないのか?」
シンジが尋ねると、マルタが不思議そうな顔をした。
「入れたら傷むだろう。窯のそばへ置いておけば、それで十分さ」
「そばに置くだけで?」
「熱を蓄える石だからね」
ぬくみ石そのものが焼けているわけではない。
窯の周囲に満ちた熱を少しずつ取り込み、内部へ閉じ込めているのだという。
蓄えた熱は、水へ触れた時に初めて放出される。
「熱くなった普通の石とは違うのか」
「普通の石を水へ入れても、少し温まるだけだろう?」
「まあ、そうだな」
「ぬくみ石は、蓄えた熱を水へ渡すための石さ」
熱を生み出す石ではない。
熱を蓄え、必要な場所まで運ぶための石。
シンジは並べられたぬくみ石を眺めた。
「蓄え終わったかどうかは、どうやって分かる?」
「色だよ。よく見てごらん」
マルタに言われ、目を凝らす。
窯に近い石は、表面の奥に淡い赤みが浮かんでいる。
窯から離れたものほど、その色は薄い。
「なるほど。これを籠へ入れて運ぶのか」
「そうさ」
蓄熱を終えたぬくみ石を籠へ移し、二人で湯場まで運ぶ。
中央の湯溜水槽へ沈め、熱を使い切ったら引き上げる。
濡れた石を乾かしてから窯のそばへ戻し、再び熱を蓄えさせる。
その繰り返しだった。
「客が多い日は何人で運んでる?」
「二人だね。通路を空ける者も入れれば三人さ」
「日に何往復くらい?」
「数えたことはないけど、朝と夕方は休む暇もないよ」
窯から湯場までは十数歩ほどしかない。
だが、通路は狭く、小さな段差もある。湯場へ近づけば床が濡れて滑りやすい。
重い籠を抱えたまま転べば、人も石もただでは済まない。
シンジは通路の梁を見上げながら、紙を広げた。
「上から吊れないか?」
「吊る?」
「窯の前で籠を持ち上げて、梁に沿って湯溜めまで動かす。最後は水の中へゆっくり下ろす」
「滑車を使って……梁と梁の間にロープ、いや重さによってはそのまま木を繋いだほうが……」
シンジは誰に言う訳でもない独り言を言いながら図を書いていく。
「うん、いけるな。これなら、人が持ち上げたまま歩かなくて済む。水へ落とさないから、石も傷みにくい」
マルタがシンジの書いた構図を見ながら、梁と湯場の位置を見比べる。
「職人に見せれば、すぐ作れそうだ」
シンジは先ほど構図を書いていた紙へ、通路と梁の位置を簡単に描き込んでいく。
働く者の負担が減る。
落下事故も減る。
ぬくみ石の破損も抑えられる。
改善としては十分だった。
それでも、シンジの胸には何かが引っかかっていた。
「……これだけじゃ、駄目だな」
「何がだい?」
「石を運ぶ人は楽になる。石も長持ちする。でも、それで終わりだ」
マルタが片眉を上げる。
「悪いことじゃないだろう?」
「悪くはない。でも、湯場を変える話にはなってない」
シンジは湯場の中へ戻った。
中央には、人が入るためではない大きな湯溜水槽がある。
四本の管がつながり、留め具を外すと水が流れ込む。止める時は、管へ栓を戻すだけだ。
壁際には、一人用の大桶が並んでいる。
桶へ湯を張れば、座った状態で腰までは浸かれる。
だが、そこまで湯を使う客は多くない。
急ぐ旅人は小桶で湯を汲み、身体へかける。
濡らした身体を布でこすり、最後に新しい湯をかけて流せば終わりだ。
女性や、時間をかけて髪を洗う者は大桶を使うことが多い。
桶の中で身体を温めながら洗い、最後に中央の湯溜めから汲んだ湯で全身を流す。
この湯場は、一人が使う湯を少なくすることで成り立っている。
「マルタが欲しいのは、客が通いたくなる、俺のいた世界にあった湯場だよな」
「そうだよ」
「大きな浴槽を作るだけなら、できる」
水を入れ、ぬくみ石で温めればいい。
だが、一度満たせば終わりではない。
客が入れば湯は減る。
時間が経てば冷める。
汚れれば捨て、新しい水を一から温め直さなければならない。
「浴槽を大きくした分だけ、水と湯を作る仕事が増える」
「そうなるね」
「石の運搬だけ楽にしても、今度は一日中、湯を作り続けることになる」
宿の者を楽にするための改善が、別の仕事を増やしてしまう。
それでは、作業の場所を移しただけだ。
「必要なのは、石を運ぶ仕組みだけじゃない」
シンジは湯溜水槽を見つめた。
「大量の湯を、切らさず使える仕組みだ」
「切らさずと言っても、使えば減るよ」
ルカが言った。
「だから、使ったあとまで考える」
「使ったあと?」
シンジは湯場を囲む溝へ目を向けた。
客が使った湯は床を流れ、すべて溝へ集まっている。
「この水は、最後にどこへ行くんだ?」
「裏の浄化槽さ」
マルタが答えた。
「浄化槽?」
「見たことがないのかい?」
「少なくとも、何をしてる場所かは知らない」
「宿や鍛冶場みたいに、たくさんの水を使う建物には設置が義務づけられてるんだよ」
排水を一度、大きな槽へ溜める。
その中へ浄化石を入れ、汚れや臭いを取り除いてから外へ流す。
「汚れたまま川へ流さないための設備か」
「そうさ」
「浄化石って、便所に入れてある物と同じですか?」
ルカの問いに、セレーナがうなずいた。
「基本は同じです。使う場所と水量によって、大きさや必要な数が変わります」
「便所にも直接入れるのか?」
シンジが尋ねた。
「はい。汚物と臭いを処理するために使います」
そう言われて、シンジはようやく気づいた。
この世界へ来てから、屋内や町中で汚水の臭いに悩まされた記憶がない。
街並みは中世風でも、衛生面まで同じではない。
「都市の家や店も、最後は浄化槽へ?」
「一般の家や水を大量に使わない店舗の場合は、町の地下を通って、大きな浄化施設へ集められます」
「今更だが下水があるんだな。そこで綺麗にして、川へ戻すのか」
「はい」
「飲み水はどうしてる?」
「都市から供給される水は、川や地下水をつないだ給水漕より送られています。飲む場合は、各自で浄化石を使い、飲料水を作っています」
「浄化石、働きすぎだろ」
「教会がある町ならどこでも手に入る品ですから」
「なるほど。教会の権力すごいんだろうなあ」
「言い方に気を付けてください。教会は権力を誇示していません」
「分かってる。今のは半分冗談だ」
半分は本気だった。
水と衛生を支える品を扱っているなら、社会への影響力が大きいのも当然だ。
「この宿の浄化石は、どれくらい使える?」
「水の量と汚れ方にもよるけど、一年くらいだね」
マルタが答えた。
「定期的に教会から買って、古い物と入れ替える」
「浄化された水は?」
「川へ流すよ」
「どれくらい綺麗になる?」
「どれくらいという感覚がわからないが、普通の水になるさね」
「触っても問題は?」
「ないよ。飲み水にするなら、飲料用の石をもう一度通した方がいいけどね」
シンジは排水溝を見つめた。
使った湯を集める。
汚れを取り除く。
綺麗になった水を川へ捨てる。
「……捨てる前に、戻せないか?」
「どこへ?」
「浴槽へ」
マルタが目を細めた。
「客が使った湯だよ?」
「そのままじゃない。浄化したあとだ」
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