第100話 消費済みです
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます。
異世界テンプレに裏切られたおっさんが、
なぜか騎士になてしまった物語をお楽しみください。
ボードの中央で、小さな光が明滅していた。
【保存履歴を検索中】
【対象期間:シュゼーレン収監時から身体再構成完了まで】
鏡の前に立ったまま、シンジは無意識に左の脇腹へ手を当てた。
傷はもうない。痛みもない。
それでも、あの地下を思い出すと、身体の奥だけが冷たくなる。
【収監第四日目】
【融合スキルの定着を確認】
【《体調管理》を中核として処理を開始】
「融合……?」
セレーナが小さく繰り返した。
初めて聞く言葉だった。表示を見つめたまま、シンジの袖をつかむ。
「その過程を、詳しく説明できますか?」
ボードの文字が一度消えた。
【照会範囲を拡張します】
【融合成立以前の履歴から表示します】
【収監第二日目】
【暴行の反復を確認】
【食事摂取量:著しく不足】
【水分摂取量:不足】
【睡眠:継続的に妨害】
【身体および精神に異常状態が蓄積】
シンジの喉が小さく鳴った。
蹴られた皿。乾いた口。眠りへ落ちるたび、鉄格子を叩いて起こされた音。
時間の感覚が崩れ始めた頃だった。
【蓄積状態から、資質二件が派生】
【蓄積資質《肉体損傷》】
【蓄積資質《回復阻害》】
【精神状態および経験履歴から、称号二件が派生】
【称号《拷問に耐える男》】
【称号《絶望の檻》】
「資質と称号?これは、スキルではないのですか?」
【肯定します】
【資質は、身体に蓄積した状態の傾向です】
【称号は、本人が経験した事実を世界側の表現へ置き換えたものです】
「褒美でも、能力でもない」
【肯定します】
「ただ、俺の身体が壊れて、心も追い詰められてたことに名前がついた」
【概ね正しい理解です】
シンジは苦く笑った。
「ずいぶん嫌な履歴書だな」
セレーナは笑わなかった。袖をつかむ指先が、少しだけ強くなる。
【収監第三日目】
【蓄積状態の進行を確認】
【生命維持限界への接近を確認】
【称号《履歴書をスキルに変えた者》が反応】
「そこで、あの称号が動いたのか」
【肯定します】
過去を、今使える形へ変える。
シンジが積み上げた履歴は、資格や職歴だけではない。
壊れかけた現場を立て直したこと。
不足を見つけ、順番を決め、損失を抑えたこと。
そして、あの地下で壊されながらも、生きることをやめなかったこと。
【資質二件を再編】
【蓄積資質《肉体損傷》】
【蓄積資質《回復阻害》】
【統合変換を実行】
【スキル《肉体鍛錬》が成立】
「名前だけ聞くと、身体を鍛える能力に思えるな」
【損傷および回復阻害を、肉体構造の強化と更新へ転換するスキルです】
「壊れる状態を、作り直す方向へひっくり返したのか」
【肯定します】
続いて、二つの称号が表示される。
【称号《拷問に耐える男》】
【称号《絶望の檻》】
【統合変換を実行】
【スキル《起死回生》が成立】
「死んでから生き返る力ですか?」
【否定します】
【生命が維持されている場合に限り、回復および再構築能力を一時的に加速・増幅します】
「名前ほど万能じゃないんだな」
【シンジの理解に近い表現が採用されています】
「俺のせいかよ」
セレーナの口元が、ほんの少しだけ動いた。だが、表示はそこで終わらなかった。
【《肉体鍛錬》および《起死回生》の成立を確認】
【既存スキル《体調管理》との融合を開始】
「三日目にスキルは完成していた。でも、融合と定着が四日目?なんでだ?」
【個別スキルとしては成立していました】
【ただし、当時の身体状態では安全な処理順序を確立できませんでした】
【三スキルの融合および身体への定着を優先】
「融合には時間が必要だった?もしくは、発動までに時間がかかったと?」
【肯定します】
【融合処理は収監第三日目から第四日目にかけて進行しました】
シンジは眉を寄せた。
「俺が意識を失ってた間か」
【意識状態にかかわらず処理は継続されました】
【収監第四日目】
【三スキルの融合が身体へ定着】
【融合スキル効果を開始】
第四日目。セレーナたちが救助へ到着した日だ。
「ちょうど、私たちが地下へ入った頃……」
【時刻の完全な照合はできません】
【救助開始時点と近接しています】
セレーナの声が震えた。
「間に合う直前に、融合が完成していたのですね」
【肯定します】
次の表示が開く。
【《起死回生》は、《肉体鍛錬》の効果を一時的に加速・増幅しました】
【《肉体鍛錬》は、損傷の修復に伴い、肉体組織を最小単位から活性化しました】
【損傷した組織を、より健全な構造へ置換しながら修復しました】
【《体調管理》は全身状態を判定し、生命維持に直結する損傷へ処理の優先順位を設定しました】
「最小単位……」
シンジは表示を目で追う。
「要するに、細胞レベルで作り直したってことか?」
【シンジの知識においては、近い表現です】
「傷を塞いだんじゃない。壊れた部分そのものを、健全な構造へ置き換えた」
【肯定します】
【第一優先】
【頭部内部、内臓、出血、呼吸および循環機能に関わる損傷】
【第二優先】
【骨、筋肉および運動機能に関わる重度損傷】
【第三優先】
【打撲、裂傷、腫脹その他の外傷】
セレーナの唇が、かすかに開いた。
「だから……」
治療院で聞いた言葉を思い出したのだろう。
「あの時、治療師が不思議がっていました」
「何を?」
「あれほど長く暴行を受けていたのに、確認できたのは主に外傷だったと」
そこで、セレーナは首を振った。
「外傷だけで済んでいた……いえ、違いますね」
袖をつかむ手が震える。
「外傷だけが、残っていたのですね」
【肯定します】
【救出時点で、生命維持に直結する損傷は優先的に処理されていました】
「完全に治っていたわけではないのですね」
【肯定します】
【死亡を回避できる範囲まで、再構成と回復が先行していました】
部屋が静まり返った。シンジは、表示された文字を何度も読み返した。
あの時、自分に見えていたのは、腫れた腕や裂けた皮膚だけだった。
だが、本当に命を奪おうとしていた傷は、その奥にあった。
「見えてた傷より、見えなかった傷の方が先に治ってたのか」
「私が回復魔法をかけた時、外側の傷と骨部にしか反応しなかった。だから内部の損傷が反応しないほど深刻なのかと焦りましたが……こういうことだったのですね」
「だから俺は、生きてた」
【肯定します】
短い一行が、胸の奥へ重く沈んだ。
「私たちが助けたと思っていました」
セレーナが目を伏せる。
「助けたんだよ」
「ですが、その前からシンジの身体は、自分を助けようとしていた」
「一人じゃなかったらしいな」
シンジはボードを見た。
「愛想のない連中が、勝手に働いてた」
【生命維持に必要な処理です】
「ほらな」
セレーナが、泣きそうな顔のまま小さく笑った。
「融合後、《起死回生》はどうなったのですか?」
【《起死回生》の一度限りの効果は、初期の致命的損傷処理へ集中して使用されました】
【現在状態:消費済み】
「消費済み……」
【肯定します】
「では、その後の回復は?」
【《起死回生》による加速効果の終了後も、《肉体鍛錬》と《体調管理》は処理を継続しました】
【残存損傷および衰弱状態の回復に伴い、肉体構造の置換を継続】
【全身構造の安定を確認後、身体再構成を完了しました】
救出されたあとも続いた発熱。
骨格が変わり、筋肉が組み直され、外見まで二十歳前後へ若返っていった現象。
あれは救出後に突然始まったのではない。
地下で融合が完成した瞬間から、ずっと続いていた。
「傷が治るたびに、普通の回復じゃなく、より健全な身体へ作り直された」
【肯定します】
「その結果が、この姿か」
【年齢を指定した処理ではありません】
【損傷および劣化した構造を、長期安定性の高い構造へ置換した結果です】
「五十二歳の身体を修理したんじゃなく、傷んだところを新しい構造へ替え続けたら、全身が若くなった」
【概ね正しい理解です】
「俺、中古機械みたいだな」
「シンジは機械ではありません」
「例えだよ」
「中古でもありません」
「そこを強く否定されると、別の意味で刺さるな」
セレーナの口元に、ようやく少しだけ柔らかさが戻った。
だが、シンジにはまだ確かめるべきことがあった。
「ボード。再構成に使った力は、どこから来た?」
表示が止まった。少し長い沈黙のあと、文字が浮かぶ。
【供給源を特定できません】
「傷そのものを、力へ変えたわけじゃないんだな?」
【肯定します】
【損傷は、再構成の対象および起点として取り込まれました】
【損傷そのものを、主要な力の供給源として使用した記録はありません】
「燃料だけは分からないままか」
【確認可能な情報が不足しています】
シンジは左手の指輪へ目を落とした。
セレーナも同じ場所を見た。
だが、どちらも何も言わなかった。
分からないものを、願望で埋めるわけにはいかない。
「もう一つ」
シンジはボードへ向き直った。
「《起死回生》は、もう使えない?」
【使用できません】
「また大怪我をしても、同じことは起きない?」
【肯定します】
「これ以上、若返ることも?」
【ありません】
「これからは普通に年を取る?」
【通常の加齢が進行します】
シンジは長く息を吐いた。
「安心していいのか、残念がればいいのか分からないな」
「安心してください」
セレーナが即答した。
「これ以上若くなられたら困ります」
「なんでだよ」
「私より年下に見えるようになります」
「中身は五十二歳だぞ」
「外からは見えません」
「そこを気にしてたのか」
「重要です」
真顔で言われ、シンジは吹き出した。
ひとしきり笑ったあと、鏡の中の自分を見る。二十歳前後の顔。
《起死回生》が加速し、《肉体鍛錬》が作り直し、《体調管理》が進む方向を決めた。
三つがそろったことで、死ぬはずだった身体は、回復するたびに若い構造へ組み直された。
そして、その最初の加速装置は、すでに使い切られている。
「俺、生き残るための切り札を、知らないうちに使ってたんだな」
「ですが、生き残りました」
セレーナが言った。
「使わずに残すより、ずっと良かったと思います」
「そうだな」
切り札は消えた。だが、それでつながった命が、ここにある。
「じゃあ、これからは無茶できないな」
「これまでも、してはいけません」
【過度な負傷を避けてください】
「急に二方向から来たな」
「当然です」
【当然です】
「息まで合ってきたな、お前ら」
セレーナが笑う。ボードは何事もなかったように表示を閉じた。
残ったのは、若い姿になった理由。まだ分からない力の源。
そして、使い切ったからこそ今ここにいる、一度限りの切り札だった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
少しでも続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




