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異世界テンプレを信じた俺がバカでした  〜ステータスは出た。スキルもあった。だが、ほぼ履歴書だった〜  作者: 小森こもり
第四章 ~騎士~

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第97話 いつもの顔ではありません

【前書き】


いつもお読みいただきありがとうございます。

異世界テンプレに裏切られたおっさんが、

なぜか騎士になてしまった物語をお楽しみください。



 朝になっても、答えは出なかった。

 窓の外では、ローデンの一日が始まっている。

 馬のいななき。荷車の軋み。桶を積み上げる乾いた音。宿場町は昨日までと変わらない。

 変わってしまったのは、自分の中だけだった。

 シンジは窓辺に立ち、左手の結婚指輪を見つめた。


 夢の中で聞いた妻の声が、まだ耳の奥に残っている。


『楽しい?』

 帰りたい。

 妻に会いたい。


 その気持ちは、少しも薄れていなかった。

 だが、帰る未来を思い描くと、必ず途中でセレーナが消える。

 そこから先を、どうしても考えられなかった。シンジは寝台へ目を向けた。

 セレーナはまだ眠っている。

 昨夜、自分の手を握り、休んでくださいと言ってくれた人。

 そのすぐ隣で、シンジは妻の夢を見ていた。

 夢を見ることは選べない。妻を想う気持ちも、なかったことにはできない。


 それでも、婚約したばかりのセレーナの隣で、妻に会いたいと涙をこぼした自分が、ひどく不誠実に思えた。


 悪いことをしたわけではない。そう言い聞かせても、胸に溜まった申し訳なさは消えてくれない。

 もし、目を覚ましたセレーナに見られていたら。

 もし、夢の内容を話したら。彼女を傷つけるのではないか。そう考えるほど、何も言えなくなった。


「おはようございます」


 背後から声がして、シンジは慌てて左手を下ろした。

 寝台の上で、セレーナが身体を起こしている。

 銀灰色の髪は眠っていた形のまま肩へ落ち、青灰色の瞳だけが、もうすっかり目を覚ましていた。


「おはよう。よく眠れた?」

「はい」


「俺もよく眠れたよ。身体も軽いし、今日は朝の湯場を見ておこうと思う。昨日まで見てたのは昼の流れが多かっただろ。旅立つ前に入る客が多いなら、荷物の置き場も――」

「シンジ」

「それと、準騎士爵の仕事の範囲も確認しないとな。何を俺が決めて、何をマルタへ――」


「シンジ」

「はい」


 セレーナは寝台から降りると、シンジの前まで歩いてきた。


「朝から、ずいぶん働き者ですね」

「仕事があるからな」


「そうですか」


 セレーナは少しだけ顎を上げた。そこで、ようやく気づいた。


「あ」

「忘れていましたか?」

「忘れてない。今からするところだった」


「湯場と準騎士爵のあとに?」

「順番を間違えただけだ」


「ずいぶん後ろへ回されました」


 静かな声なのに、妙に痛い。シンジはセレーナの頬へ手を添え、唇を重ねた。

 いつもどおりに、そうしたつもりだった。


 離れたあと、セレーナはじっとシンジを見ていた。


「……何だよ」


「今のは、口づけというより口止めに近かったです」


「そんな分類があるのか?」

「今、できました」


 シンジは思わず口元を引きつらせた。その横で、ボードが淡く開く。


【精神負荷:上昇】

【感情抑制を確認】

「お前まで参加するな」


【体調管理に必要な情報です】

「裏切り者!」


「ボードはシンジの味方ですよ」


 即座に返され、言葉に詰まる。


「いつもシンジを守ろうとしています」


 セレーナはボードを消さずに、シンジの左手を取った。結婚指輪のある手だった。


「眠れなかったのですか?」

「眠ったよ」


「では……夢を見ましたか?」


 たった一つの問いで、逃げ道が消えた。シンジは視線をそらした。


「……見た」


「奥様の……夢ですか?」

「ああ……」


 セレーナの指先が、ほんの少しだけ強張った。それでも、手は離れなかった。


「悲しい夢でしたか?」

「違う」


 シンジは首を振った。


「幸せだった頃の夢だ。俺が独立しようとして、失敗するのが怖くて仕方なかった時に……妻が、楽しんでねって笑った」


 声にすると、夢の中の朝が鮮明によみがえった。

 湯気の立つコーヒー。見慣れた台所。

 失敗したら私が支えると、当たり前のように言った妻。


「会いたくなったのですね」


 セレーナの言葉は、問いではなかった。

 シンジは答えられず、握られた手へ目を落とした。

 肯定すれば、傷つける。

 黙っても、傷つける。なら、せめて嘘だけはつきたくなかった。


「会いたい……」


 声がかすれた。


「今すぐにでも帰って、顔を見たい。謝りたい。無事なのか確かめたい。もう一度……ちゃんと愛してるって言いたい」


 言葉が止まらなくなった。


「夢を見るまでは、分かったつもりでいたんだ。妻を愛してる。それでも君を愛してる。帰る時は君も一緒だって」


 セレーナの瞳が揺れた。


「でも、妻の顔を見たら……帰りたいって気持ちが、どうしようもなくなった」

「はい」


「なのに」


 シンジは握られた手を、今度は自分から握り返した。


「君をここへ置いて帰る未来を考えたら、それも耐えられなかった」


 妻に会いたい。

 セレーナを失いたくない。二つの願いが、胸の中で互いを押し潰そうとしている。


「少し前までは、妻がいるから君を愛してはいけないと思ってた」


 自嘲するような息が漏れた。


「今は、君がいるから一人で妻のところへ帰れないと思ってる」


 セレーナが息を呑んだ。

 その顔に浮かんだのは、悲しみだけではなかった。

 驚きと、痛みと、隠しきれない何かが同時に揺れている。


「勝手……だよな」


「シンジ……」


「二人とも大切だなんて、都合のいい言葉で済ませていい話じゃない。妻がどう思うかも分からない。君だって――」

「勝手に決めないでください」


 静かな声が、シンジの言葉を断ち切った。

 セレーナは一歩近づいた。結婚指輪のある左手を、両手で包み込む。


「私が傷つくかどうかも」


 指に力がこもる。


「それでも、あなたのそばにいたいと思うかどうかも」


 セレーナの声も震えていた。それでも、目はそらさなかった。


「シンジが一人で……決めないでください」


 窓の外では、朝の鐘が鳴り始めた。

 町を動かすための音が、静かな部屋へ何度も響く。

 シンジは何も言えなかった。


 ただ、妻との指輪ごと手を包んでいるセレーナの温かさを、痛いほど感じていた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。


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