56 流される【sideフェルディナント】
王女の容体は今までは悪くなっては持ち直して、また悪くなってと繰り返していたが、だんだん持ち直す日が少なくなってきた。
6カ月の余命宣告を受けてから4カ月半。
こんな安宿で最期を迎えるなんて可哀想だが、どうしようもない。
水をもらおうと部屋から出ると、廊下で宿の女将に呼び止められた。
「あんた裏の井戸で身体洗いな。匂うよ」
怒涛の日々に風呂はおろか、身体を拭いてもいなかった。
身だしなみには、いつも気を付けていたのにと顔が赤くなる。
「あんたの奥さんには、湯を部屋に持って行ってやろうか? 病気なんだろ? 病人だったら余計に清潔にしてやらなきゃ、良くなるもんも良くならないよ」
お? 奥さん?
しかも寝ている王女に湯?
俺が世話するのか?
ど、どうすればいい…
「…身体を拭く手伝い、あたしがしてやろうか?」
ありがたくお願いする。
助かった!
俺が身体を洗っている間、王女も身体を拭いてもらったようで、桶とタオルを持って部屋から出ていく女将が見えた。
念のためノックをする。
「入っていいか?」
か細い了承の返事が聞こえた。
ドアを開けると、目の前には一糸まとわぬ姿の王女が立っていた。
「お…王女…」
「フェル」
王女の細い腕が俺の身体にまわる。
「こんなに痩せちゃって見苦しくてごめんね」
「……」
「自分で分かるの。あたしはもうすぐ死ぬ」
彼女の吐息が胸にかかる。
「あたしの願いはお母様のお墓の側で死ぬことだったけど、それは叶えられなかった…でもね。もう一つ願いがあるの」
ゆっくりと彼女の顔が上を向く。
萎れて下を向いていた花が、水を得て引き上がるように。
「フェル…ずっと、ずっと好きだった。多分初めて会った日から」
そして王家の色の瞳が俺を捕える。
「初めて優しくしてくれた男の人が、絵本から抜け出した王子様みたいにかっこいい人だなんて……好きにならずにいられないに決まってるでしょ?」
ぽろぽろと、まるでアメジストが宝石を生むように涙がこぼれる。
「フェルだって薄々あたしの気持ちに気づいていたよね」
あぁ気づいていた。
「お願い…最期のお願いなの……」
気付いていたから、離れようとしていた。
「フェル……あたしを抱いて…」
彼女からは、かすかに死の匂いがした。
昔、病死した祖父からもこの匂いがした。
王女は、もうすぐ死ぬ。
そんな彼女の最期の。
たったひとつの願いを。
俺は拒否することが出来なかった。
俺は娼婦しか抱いたことはないし、王女は処女だろうから、懸命に優しく抱いたつもりだったが、翌日王女は熱を出した。
でも本当に嬉しそうで、ずっと俺を見てニコニコとしていた。
「もう思い残すことはないわ。あとはフェルの顔を目に焼き付けるだけ」
そんな悲しいことを言うから、ずっと側にいてやった。
その2日後、ドーナの街は騒然としていた。
また号外が配られているようで、急いで取りに行った。
「戦争終結…」
ノルトハルム王国とアンデクス帝国の戦争は、ノルトハルムの大敗で終わった。
すぐにでも入国したいが、もう王女を動かせる状態ではない。
王都はアンデクスに占領されているし、砦の検問はアンデクスの管理下にあるのは変わりない。
見つかれば捕まってしまう。
ただ日に日に衰えていく王女の側で、時を過ごすしかなかった。




