53 ようこそ奴隷の世界へ【sideマティルデ】
「ようこそ奴隷の世界へ」
ドアの前で立ち止まった彼が振り返り、片頬をあげてにんまりと笑う。
「奴隷…?」
「そうだ。俺たち執政者は国家の、国民の奴隷のようなものだ。ひとたび事が起これば深夜でも叩き起こされるし、眠ることなく対応しなくてはならない。公を重んじ、私を捨てる。国に利があるならば、少年趣味の女を抱かなきゃならないし、悪魔と呼ばれる男にも身をゆだねなければならない…」
そう言いながら、楽しそうに笑う。
「そして伴侶が、間違った道を進み国民を苦しめたなら、いくら自分の子を産んだ女でもその首を落とさねばならない」
笑顔のまま。
その灰色の目は、ギラギラの射貫いたまま。
「だが、奴隷も悪くないぞ? 旨いメシは食えるし、豪華な衣装に暖かな部屋、へりくだる家臣に偉そうに命令するのも楽しい。媚を売る奴、悪だくみをしようとする奴が右往左往するのを見るのも面白いし、裏切りは日常茶飯事で人間観察が上手くなるぞ」
この人は歪んでいる。
ものすごく歪んでいる。
「お前も早く楽しめるようになれ」
一生なれない気がする。
だが、安心した。
彼は執政者で公の人だ。
私情に流されず、常に状況を俯瞰し、この国を、国民を助けてくれる……かもしれない。
それだけで私が女王になる意味がある。
戴冠式は目の覚めるような青空の元で行われた。
私に用意されたのは絹の光沢が眩い、真っ白なドレスだった。
繊細な刺繍がほどされた4mはあるロングトレーンのドレスで、戴冠された王冠はダイヤとプラチナだけで作られたそれは豪華なものだった。
銀髪の私のその姿は上から下まで真っ白で……
「まるでエルフの女王陛下ですわ」
と侍女たちに言われた。
対する王配となるベルンシュトルフ公爵は相変わらずの黒い軍服に黒いマント姿で……
「俺たちリバーシのようだな」
と笑った。
戴冠式と結婚式が終わり、バルコニーに出ると眼下の広場には、たくさんの市民が詰めかけていて歓声をあげていた。
「女王陛下万歳!」
「マティルデ女王万歳!」
「エルフの女王陛下万歳!」
その歓声が、派兵送別会のグリフ伯爵にかけられたヤジと重なる。
私が悪政を敷けば、この声が怒号に変わるのだ。
身が引き締まる思いで、笑顔を浮かべ手を振り続けた。
「これは却下だな」
「どうして…!」
女王として王宮で暮らして2カ月。
祝賀行事がようやく落ち着いた頃、夫となった元ベルンシュトルフ公爵――――クロノスから宿題の提出を求められた。
宿題…アンデクスから与えられた復興支援金の分配の仕方だ。
「孤児院の建設は良い。だが、戦争で夫を失った寡婦世帯と戦傷世帯への支援金が高額すぎる」
「でも彼ら働けなくて、明日の食べ物にも困っているのよ」
「だったら、炊き出しや食料の配給でいい。金を配るだけでは、ただのばらまきだ。
何に使われるか分かったもんじゃない。戦傷兵士の中には障がい者も多く、働けないから酒や麻薬に溺れているヤツが増えているとの情報もある。その金は母子の元には行かず、そんなものに消えてしまうぞ。それに働かなくても金をもらえることに味をしめたら、人間は堕落する。国民の堕落は国家の堕落だ」
「ではどうしたら…」
「国民を殺さず、活かすだ」
「活かす?」
「死なない程度に支援し、次は自立させろ。そのために金を使え。自立できれば税金が徴収できて金も戻って来る。」
「……」
「あと、農地改革は重要だが、これは金をかけ過ぎだ。半分にして軍事費に回せ」
「みんな戦争にうんざりしているのよ。軍にお金なんて…」
「そうだ。うんざりしただろう? ノルトハルム軍は弱すぎた。砦も質素、兵は農民の寄せ集め、最新の長距離大砲も持っていない。農地を豊かにしても戦争を吹っ掛けられたら、収穫物を横取りされて焼野原にされるだけだぞ? 政治はバランスだ。清濁合わせ持ち、全体を見て偏りのないように采配しないといけない」
3カ月間懸命に考えた予算案だった。
貰った資料以外にも文献を調べて、深夜まで悩んで決めたものだった。
「じゃあ、どうすればいいの!? 私には正解が分からない!」
思わず自暴自棄になって叫んでしまった。
「阿呆。政治に正解なんてない」
正解が…ない?




