番外 私は父上に選ばれなかっただけ【sideハインリヒ】
「兄上助けて!」
あの日に戻れても、私はきっと弟を助けるだろう。
崖から落ちそうになっているフェルディナントが、必死に助けを呼んでいた。
つかまっている草がぶちぶちと切れる音……大人を呼んでいる暇はなかった。
もっと低い体勢で滑らないように引っ張っていれば……
私も片手は草を握っていれば……いやいや片手では弟が引き上げられなかっただろう。
もっと剣の鍛錬を積んでおけば……多少力はついただろうが……
そんなことを何度つぶやき、何度後悔しただろう。
醜く歪んだ足を見るたびに。
周囲の憐みの目を見るたびに。
だが、助けたこと自体は後悔していなかった。
2つ年下なのに私よりも体格の良い、フェルディナントに多少コンプレックスはあったが、私を慕ってくれていたし、将来領主になる私にとって弟は庇護する対象であり、唯一の兄弟だったからだ。
そう、あの日までは。
「我が家の後継者を、ハインリヒからフェルディナントに変更する」
執務室に私とフェルディナントを呼んだ父上はそう告げた。
予想はしていた事だった。
我がグリフ伯爵家は建国王に仕えた武門の家柄だ。
元は部族の長にすぎなかったが、建国王に忠誠を誓い、数々の武勲を立て、300年前に叙爵されたのが始まりだ。
だから一族の決まり事として、当主は5年以上従軍することが義務付けられていた。
それ故、私のこの足では無理なことは分かっていた。
覚悟はしていたはずだった。
だが、心のどこかで期待していたのだろう。
私は善行で傷ついたのだから、当主権限で例外を認めてくれないかと……
そして気が付いてしまう。
「なんでだよ! 兄上のままでいいだろう! 俺は近衛騎士になるんだから! 足が不自由だって、伯爵としての仕事はできるだろ」
そう叫ぶフェルディナントを見る父上の表情に、喜色があることを。
グリフ伯爵家の始祖と同じ金髪を持つフェルディナントに、父上はその始祖と同じ名を与えた。
運動神経も良くて、剣の指南役も舌を巻く優秀さ。
勉強は苦手だけれど、明るくて綺麗な顔をした我が家のムードメーカー。
父上は、本当はフェルディナントに家督を譲りたかったのだ。
身体が芯から冷えていき、世界が色を失った。
車椅子に座っていなければ、私はその場で崩れ落ちていただろう。
私は今までいったい何のために――――!
領民の力になりたくて、人一倍勉強した。
氾濫する河川をどうにかしたくて、土木学の本も読み漁った。
農学の教授から新しい作付け方法を学んだり、定期的に領民に会い、困りごとがないか尋ねたりもした。
立派な領主になるために……。
いや、違うな。
薄々分かっていたからだ。
父上の愛はフェルディナントに傾いていることを。
本当は優秀なフェルディナントを領主にしたがっていることを。
だから私は、懸命に良い領主になろうと努力していたのだ。
ただ、父上に『お前に継がせて良かった』と言ってもらいたくて……
「ふっ」
実に浅ましい人間じゃないか。
「やめてくれフェルディナント!」
「兄上…」
「領主である父上が決められたことだ。反論は許されない」
フェル……お前は何も悪くない。
この足の事がなくたって何かと理由をつけて、父上は私を後継者から外していたかもしれないんだ。
私は選ばれなかっただけ……。
『これ以上私をみじめにするな』
必死に笑顔を作った。
あぁ、私はちゃんと笑えているだろうか。




