29 兄上の恋心【sideフェルディナント】
一度気になると、ずっと兄上を目で追ってしまっていた。
そして、その笑顔はマティルデだけに向ける特別なものなのだとすぐに気が付いた。
足のせいで貴族学院を中退した兄上は、家庭教師から勉強を教わっているが、その授業にマティルデも参加していた。
二人で机を並べて授業を受け、終われば二人で図書室に行き宿題をする。
宿題が終わったのかクスクスと笑い声が聞こえるので、耳をすませば最近読んだ本の話しをしているようだ。
声をあげて笑う兄上に、不満げに頬を膨らませるマティルデがバシバシと肩をたたく。
『ごめんごめん』と言いながら兄上の笑い声がさらに大きくなる。
まるで恋人同士のじゃれ合いだ。
「俺の婚約者なのに」
マティルデに手紙の返事も書かず、プレゼントを送ったりもしなかったのは俺だ。
でも本当に勉強が大変で……
精一杯頑張っていたんだ。
立派な後継者になるために。
母上が私室で一人、刺繍を楽しんでいる時、声をかけた。
「え? ティルデちゃんの婚約者をハインリヒに変更できないかって?」
「兄上はマティルデを好きなんだと思う」
「ん~そうね。ティルデちゃんみたいな良い娘を、嫌う殿方はいないでしょうね。貴方はティルデちゃんを妻にしたくないの?」
「そうじゃなくて……」
「ティルデちゃんが嫌いなの?」
「そうじゃなくて……」
「嫌いじゃなくて好きなのね?」
「……」
婚約した時は妹にしか見えなかった。
でも、あんなに綺麗になっているなんて。
あんな夢みたいに綺麗な子が、俺のお嫁さんになるなんて信じられないくらいだ。
でも……
「あの事故がなかったら、後継者は兄上で、兄上はマティルデと結婚していたんでしょ?」
「……でも事故は無かったことにはならないし、次期伯爵は貴方でティルデちゃんの婚約者も貴方だわ」
「……」
「いくら二人が仲睦まじかろうとも、ハインリヒはティルデちゃんとは結婚できないわ。ティルデちゃんは王位継承権をもつ侯爵令嬢なのよ? そんなお姫様を爵位のないハインリヒに下さるわけがないわ」
うなだれながら母上の私室を出ると、目の前には兄上がいた。
「お前は私をどこまで惨めにさせれば気が済むんだ!」
憎しみで真っ赤に紅潮した頬につりあがった目、見たこともないような憤怒の表情だった。
いつも穏やかで微笑んでいた優しい兄上……その兄上を俺はこれ以上ないほど傷つけてしまった。
それからはどんな顔をして向き合えばいいか分からなくて、兄上とマティルデを避けまくった。
マティルデは話しかけてくれたけど、兄上は俺をいない者かのように扱い、必要最低限の会話しかしてこなかった。
そこに王都から父上が帰ってきた。
社交シーズンはとっくに終わったのに、この地に雪が降るまで王都のタウンハウスにいた父上……おそらく愛人の元にいたのだろう、やたら機嫌が良い。
俺が学院の休日に王都で買い物をしていたら、若い女を連れた父上に出くわしたことがある。俺と目があったとたん罰が悪そうに反らしたが、一拍おいてニヤリと笑い、唇に人差し指を当てて口止めのポーズを取ったのだ。
後日、寮には大量の菓子類や衣類が届けられ、メッセージカードには『お前も男なら分かるだろう』と書いてあった。
正直、全く分からなかったが母上が知らないのなら、余計な波風を立てるべきじゃないだろうと見なかったことにしたのだ。
「随分と遅いお戻りね?」
父上からコートを受け取り、それを侍女に渡しながら母上が言った。
その言葉にバレているのではないかと父上を凝視したが、目を泳がせながらも言い訳を始めた。
「エッケハルディン侯爵に引き留められていたんだ」
その名が出れば、母上は何も言えない。
「フェルディナントに素晴らしいお話を頂いたんだ。詳しい話しは談話室でしよう。立ちっぱなしはハインリヒが辛いだろうから……」
どうやら言い訳ではなく、本当に侯爵から引き留められていたようだ。




