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第四話 謝罪は、もう遅い

王都への呼び出し状が届いたのは、アルトがその街に来て十日目のことだった。


差出人は王室の紋章が押された封蝋で封じられていて、内容は簡潔だった。


「勇者の能力に関する王室調査委員会を設置した。関係者として証言を求める。拒否は認めない」


最後の一文が、いかにも王室らしかった。


アルトは手紙を畳んで、宿の窓の外を眺めた。十日間で、スキルのコントロールはかなり安定してきた。シルヴィアとの訓練は毎朝行っていた。彼女が感情エネルギーを扱う感覚を丁寧に言語化してくれるおかげで、アルトも自分の体の中にある痛みのエネルギーの輪郭が少しずつ掴めてきている。どこに何がある、どうすれば引き出せる、どこまで絞れば制御できる——それが分かってきた。全力で解放すれば街ひとつ分の規模になる、というシルヴィアの試算を、アルトは今では感覚として実感できるようになっていた。


「見た」


とシルヴィアが部屋に入ってきながら言った。


「王室の召喚状ですね」

「どこで知った」

「同じ宿に同じ内容の使者が来たので」


シルヴィアは封を切っていない手紙をテーブルに置いた。


「私も証人として呼ばれています。レイドの能力の変質について、外部から観察した者として証言せよ、と」

「観察したのか、あの男を」

「旅の途中で一度、遠くから見ました。依頼に出ていた彼が、コボルト一匹の爪に引っかかれて座り込んでいるのを」


シルヴィアは淡々と言った。


「かつて魔王軍幹部を倒した男が、コボルトに泣かされていた。原因は明白です」


アルトは手紙をもう一度手に取った。「拒否は認めない」という一文を、もう一度読んだ。


行くべきか、という迷いは、実のところなかった。タイミングの問題だと言った言葉は本当のことで、自分が準備できた時に向こうが困っているならそこで考える、とも言った。王室が動くほどレイドの状態が悪化している。十日間の訓練で、スキルの扱いはある程度のところまで来た。完璧ではないが、使い物にはなる。


タイミングとしては、悪くない。


「行きます」


とシルヴィアが先に言った。


「あなたは?」

「行く」

「では、一緒に」


それだけで話は決まった。翌朝、ふたりは王都への街道を歩き始めた。


王都に入った時、街の様子が十日前とは違っていた。


祝賀の雰囲気はすっかり消えていた。通りの人々の顔に、不安の色が混じっている。酒場で拾える噂話の内容が変わっていた。「勇者様が依頼に失敗し続けている」「もう三件目らしい」「魔王軍はまだ残っているのに、大丈夫なのか」。そういう声が、あちこちから聞こえてきた。


アルトは聞き流した。感傷もなかったし、痛快という感覚とも少し違った。ただ、世界というのはこういうものだと思った。強さの中身を誰も確かめない。結果だけを見て称える。その結果が崩れた瞬間に、今度は不安の声を上げる。何も変わっていない。変わったのは、表に出るものが違っただけだ。


王城の調査委員会室は、大広間ではなく貴族院の小会議室だった。アルトがシルヴィアと共に案内されると、すでに室内には王室の調査官が三名と、書記が二名、そして——レイドとエリアが座っていた。ガラムの姿はなかった。


レイドはアルトを見た瞬間、椅子から立ち上がりかけた。エリアが隣から手で制した。レイドの顔色が悪い。目の下に隈がある。十日前に見た時より、明らかに消耗している。


「席についてください」


と調査官のひとりが言った。


「これより、勇者レイドの能力変質に関する調査を開始します」


アルトとシルヴィアは向かいの席に座った。


調査は淡々と進んだ。調査官がレイドに質問を重ね、レイドがしどろもどろに答え、エリアが横から補足する。内容はアルトが想像した通りだった。追放の翌日から戦闘能力が急激に低下した。痛みの感覚が突然生じるようになり、以前と同じ戦い方ができなくなった。ヒーラーに診せたが、外傷も内的な異常も見つからない。


「アルト」


調査官がアルトに向いた。


「あなたがパーティに在籍していた間、【感覚共有】スキルで何をしていたか、正確に説明してください」


アルトは、室内の全員の顔を一度見渡した。調査官。書記。シルヴィア。エリア。そしてレイド。


「勇者が戦闘で受けた痛みの九割を、三年間、俺の側に転送し続けていました」


沈黙があった。


「九割」


と調査官が繰り返した。


「はい。設定は任意で変えられますが、俺はずっと九割にしていた。勇者が魔物に切られるたびに、その九割が俺に来ていた。幹部クラスの魔物との戦闘の時は、気を失いかけながら立っていたこともあります」


会議室の空気が変わった。書記の手が止まった。調査官のひとりが額に手を当てた。


「それは——誰に指示されたことですか」


とエリアが口を開いた。声が、わずかに揺れていた。


「指示はされていない。俺が判断して、そうしていた。パーティの役に立てる方法がそれだと思っていたので」

「なぜ言わなかったんですか」


アルトはエリアを見た。


「言う機会がなかった、というより——誰も聞かなかった。俺が何をしているのか、三年間、一度も聞かれなかった」


エリアは口を閉じた。反論できなかった。反論しても意味がないと分かっているのだろうと、アルトは思った。


「つまり」


調査官が整理するように言った。


「レイドの現在の状態は、あなたのスキルの接続が切れたことで、これまで転送されていた痛覚が本人に戻っているということですか」

「正確には、転送が切れたというより、三年分の感覚の蓄積がゼロの状態から始まっているということです。人間は生まれてから痛みを経験しながら、その感覚に慣れていく。勇者はその三年分が丸ごと欠けている。今ごろ、生まれて初めての痛みを毎日経験しているはずです」


レイドの顔が、みるみる赤くなった。


「お前は……」


レイドが低い声で言った。


「お前は最初からそれを分かっていて、黙っていたのか」

「黙っていた、というより——言う必要がないと思っていました。俺がしていることに価値があるなら、パーティがそれを認めてくれると思っていた。結果は知っての通りです」

「俺が、頼めば戻ってきてくれるか」


室内がまた静まった。


レイドの目が、アルトを真っ直ぐに見ていた。十日前、「感謝しろ」と言って荷物を蹴り飛ばした男の目が、今は別の色をしていた。恐怖と、焦りと、プライドが混ざり合って、それでも何とか繕いきれずに崩れかかっている。


アルトは少し考えた。考えるふりをした、と言ってもいい。答えはとっくに出ていた。


「俺のスキルは、今は別の形で機能しています。三年分の痛みを蓄積したことで、能力が変質した。今の俺には、痛みを誰かに転送する必要がない。受け取ることも、返すことも、自分でコントロールできる」

「……どういう意味だ」

「俺はもう、お前のための容れ物じゃない、ということです」


レイドの顔から、色が抜けた。


「それから」


とアルトは続けた。声に熱がなかった。怒りがないわけではないが、それよりも、確認したいことを確認しているという静けさが勝っていた。


「追放の場で言われたことは覚えています。感謝しろ、と言われました。パーティにいられただけありがたいだろう、とも。俺は今でも、あの言葉の意味を正確には理解できていない。三年間、九割の痛みを受け続けた男に言う言葉として、どういう意味があったのか」


レイドは何も言えなかった。


エリアが割って入ろうとした。


「あの時は、状況が——」

「エリアさん」


アルトはエリアに目を向けた。


「あなたは追放の場で、俺のスキルが役に立っていなかったと言いましたね。それと、俺のような地味な人間がパーティのイメージを損なうとも言っていた。今日、この場で、それを撤回しますか」


エリアは口を開けたまま、閉じた。それから、少し間を置いて


「……私の言い方は、配慮が足りませんでした」


と言った。謝罪には聞こえなかった。言い訳に近かった。


アルトは調査官の方に向き直った。


「俺から伝えられることは以上です。勇者の状態の原因は、俺のスキルの切断によるものです。対処法については——俺には義務がないので、お答えする立場にありません」


会議室を出た廊下で、シルヴィアが隣に並んだ。


「後悔してる?」


とシルヴィアが聞いた。


アルトは歩きながら、少し考えた。後悔。あの場でもっと激しく言えばよかった、という感情はない。逆に、言い足りなかったという感覚もない。ただ、三年間積み重なっていた何かが、今日ようやく地面に落ちた、という感触があった。軽い、とは少し違う。ただ、もう背負っていないという確かさがある。


「一秒も」


と、アルトは口角を上げて言った。


自分でも驚いた。笑うのは二度目だった。一度目は王都を出た日の、あの乾いた笑い。今度のそれは、もう少し違う温度を持っていた。


シルヴィアが、アルトの顔を見た。一拍置いてから、「そうですか」とだけ言った。その目が、いつもと少しだけ違う気がしたが、アルトは何も言わなかった。言う必要はないと思った。


廊下の突き当たりの窓から、王都の街並みが見えた。昼の光の中で、石畳が白く輝いている。十日前、荷物を蹴り飛ばされながら歩いた道だ。今日は、誰も蹴らない。誰も笑わない。ただ、光があるだけだ。


アルトは窓から目を離して、出口へ向かって歩き始めた。シルヴィアが隣を歩いた。ふたりの足音が廊下に重なって、どちらがどちらか分からなくなった。


それでよかった。

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