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第三話 王女は言った、『あなたは化け物になれる』


南門は、夜明けから一時間ほど経った頃に開く。


アルトは約束の時間より早く着いて、門の脇の石段に腰を下ろしていた。昨夜受け取った紙切れを懐から取り出して、もう一度だけ読んだ。


「あなたの力の本質を見ました」


——その一文が、ずっと引っかかっている。俺が何をしたか、を見たのではなく、「本質を見た」という言い方だ。壁に亀裂を入れたことや、石を砂にしたことは、見ていれば誰でも分かる。だがそれが「痛みの蓄積と解放」によるものだと、見ただけで分かる人間がどこにいる。


「早いですね」


声がした。


振り返ると、フードを深く被った人物が立っていた。背が高くない。細い。フードの端から覗く髪が銀色に近い白で、朝の斜光を受けてかすかに輝いている。


「あなたが『S』か」


とアルトは言った。


「シルヴィア、と呼んでください。姓は今は必要ないので」


フードを少し後ろに押し上げると、整った顔が現れた。年齢はアルトより一つか二つ下に見えた。目の色が薄い。水色とも灰色とも取れる、曇り空のような色だ。表情に起伏がなく、何を考えているのか読めない。


「座っていただけますか。立ったままだと目立つ」


促されて、アルトは石段に戻った。シルヴィアは隣に座り、フードを戻した。市場へ向かう行商人や朝の鍛錬帰りの兵士たちが、門の周りを行き交っている。確かに、ふたりが並んで座っているくらいでは誰も気に留めない。


「昨日の夕方、宿の裏の空き地で何をしていたか、分かりますか」


シルヴィアが言った。


「……見ていたのか」

「見ていたというより、感じました。あなたが石に触れた瞬間、この街の魔力の流れが一瞬、歪んだんです。私の《感情錬成》は感情エネルギーの流れに敏感なので」


アルトは彼女の横顔を見た。「感情錬成」。聞いたことのない名前だ。


「あなたのスキルは何をするものですか」


と、アルトは直接聞いた。


「恐怖・苦痛・絶望——そういった負の感情エネルギーを、魔力として取り込み、変換します。他者が感じている感情も、私の中に流し込めば魔力になる。戦場では便利なスキルです。周囲の兵士が恐怖すればするほど、私の魔力が上がる」


淡々とした説明だった。自虐でも誇示でもなく、ただ事実として述べている。


「長年、呪いだと言われてきました。恐怖を好む魔女だ、と」

「……そうか」

「あなたも、似たようなことを言われてきたんじゃないですか」


シルヴィアは初めてアルトの方を見た。


「役立たずのスキル、と」


アルトは答えなかった。答える必要もないと思った。この人間は、聞く前から分かっている。


「あなたのスキルは【感覚共有】ですね。でもそれは表面的な名前に過ぎない。正確には——痛みを受け取り、蓄積し、変換して返す。そういう構造のスキルです」

「……なぜ分かる」

「昨日、あなたが石に触れた瞬間に出た魔力の質が、通常の物理攻撃とまったく違いました。痛みのエネルギーを源にした魔力は、私のものと似た匂いがする。だから分かった」


シルヴィアはそこで少しだけ間を置いた。


「あなたの体の中に、三年分の痛みが積み重なっている。それは正しいですか」

「……正確には分からない。でも、感覚としては、そう」

「私が試算したところ、あなたの現在の蓄積量は、上位魔法一撃分のエネルギーに相当します」


アルトはすぐには言葉を返せなかった。上位魔法一撃分。国家クラスの魔法使いが全力で放つ、街一つを吹き飛ばしかねない規模の話だ。それが今、この体の中にある。


「それだけのものを、あなたは三年間、ひとりで抱えていた」


シルヴィアの声に、初めて何か別のものが混じった。怒りではない。驚愕でもない。もっと静かな、共鳴のようなものだ。


「私には少し、分かる気がします。誰にも見えないものを体の中に持ち続けることの——重さが」


ふたりの間に、短い沈黙があった。


行商人の荷馬車が門をくぐっていく音がした。馬が地面を蹴る音と、御者の鼻歌が重なって、朝の空気に溶けていった。


「同行を申し出たい、というのはどういう意味ですか」


アルトは言った。


「あなたが俺について来て、何の得がある」

「私のスキルと、あなたのスキルは対になっています。感情エネルギーを吸収する私と、痛みを蓄積・変換するあなたが組めば、互いの能力が相乗的に働く。私は今、旅をしています。目的地はいくつかあるが、急ぎではない。あなたが向かう方向と重なるなら、しばらく一緒に動いてもいいと思っています」

「俺のことを、利用したいということか」

「お互いに、というのが正確な表現です」


シルヴィアは淡々と言った。


「あなたも私のことを使えばいい。感情を魔力に変える能力は、特定の局面では非常に有効です。私単独では発揮できないことが、あなたと組めば可能になる。逆もしかり」


交渉の仕方が、妙に真っ直ぐだ。アルトは少し考えた。罠という可能性は——低い。罠ならもっと回りくどいアプローチをするだろうし、何より昨日の夕方の時点でこの人物は俺を監視していた。その気があれば、あの場で動けた。


「あなたは本物を見極める目を持っている」


とシルヴィアが続けた。


「私も同じです。昨日の一瞬で、あなたのスキルの構造が見えた。だから言います——あなたは、化け物になれる」

「化け物」


とアルトは繰り返した。


「褒め言葉です。私の中では」


それだけ言って、シルヴィアは立ち上がった。フードを再び深く被り、行商人の列に紛れ込みながら振り返った。


「今すぐ答えを出す必要はありません。今日は次の街まで行くつもりです。方向が同じなら、同じ道を歩けばいい。それだけのことです」


そう言って、彼女は歩き始めた。


アルトはしばらくその後ろ姿を眺めてから、立ち上がった。方向は確かに同じだ。次の街に冒険者ギルドがある。個人登録をしに行くつもりだった。


俺のスキルの本質を、初めて正確に言語化した人間だった。三年間、誰も「何をしているのか」を問いかけなかった。レイドもエリアもガラムも、俺のスキルに興味を持たなかった。この人間は昨日の一瞬で見抜いた。それだけで、少し話を聞く価値はある。


アルトは荷物を肩にかけ直し、シルヴィアの後を追った。


一方、王都では朝から慌ただしい動きが続いていた。


「アルトの行方が、まだ掴めていません」


エリアはレイドの前でそう言いながら、内心では別のことを考えていた。昨日から追手を出したが、すでに王都を離れたらしいということは分かっている。次の街へ向かったという情報は入っているが、確認が取れていない。


レイドは昨夜から機嫌が悪かった。腕の傷が治りきらず、ヒーラーに何度も魔法をかけてもらっているが、本人が「まだ痛い」と言い張って部屋から出ない。エリアにはその「まだ痛い」が信じられなかった。傷は塞がっている。だが、痛みの感覚が残ると本人は言う。それが本当なら——アルトが消えたことによって、レイドの体の何かが根本的に変わってしまったということだ。


「急いで見つけろ」


とレイドは言った。声に力がない。


「俺は明日の依頼をこなさなければならない。今のままでは……」

「大丈夫です」


エリアは静かに言った。


「必ず見つけます」


その言葉とは裏腹に、エリアの頭の中ではひとつの可能性が広がっていた。アルトが戻ってこなかった場合、このパーティに未来はあるか。自分だけが先に動くべきではないか。まだ誰にも言っていないが、昨夜のうちに王室の知人へ文を送った。「勇者の能力について、確認すべき事項がある」という内容で。


ガラムはその一部始終を壁際で聞いていて、何も言わなかった。


昼過ぎ、アルトとシルヴィアは次の街の手前にある丘を越えていた。


歩きながら、ふたりはぽつぽつと話した。沈黙が多かったが、それが苦ではなかった。シルヴィアは無駄なことをしゃべらない人間で、アルトも同じだった。話す時は必要なことだけ話す。そのリズムが自然に合っていた。


「王都に戻る気はある?」


とシルヴィアが聞いたのは、丘の頂上に差し掛かった時だ。


風が強くて、彼女のフードが煽られた。手で押さえながら、アルトの方を見ずに聞いていた。


「タイミングの問題だ」


とアルトは言った。


「それは——いつか戻ると、いうことですか」

「戻るかどうかは決めていない。ただ、俺が準備できた時に、向こうが困っているなら、そこで初めて考える」

「準備というのは」

「このスキルを、ちゃんと使えるようになること」


シルヴィアはそこで初めて、アルトの横顔を少し長く眺めた。感情の読めない目だと思っていたが、今この瞬間だけは、その奥に何かが灯っているのが分かった。怒りではない。復讐心という言葉も少し違う。もっと冷えていて、もっと遠くを見ている。


「手伝えます」


とシルヴィアは言った。


「あなたのスキルのコントロールを上げることに関して、私には知識がある。痛みのエネルギーと感情のエネルギーは構造が近いので」

「……ありがたい」

「ただし」


シルヴィアの声が、ほんの少し低くなった。


「練習の過程で、あなたが蓄積しているエネルギーの一部を解放してもらう必要があります。それが私の魔力源になる。等価交換です」

「構わない」

「痛みのエネルギーが解放される瞬間は、本人にも反動があります。覚悟しておいてください」


アルトは丘の向こうに広がる街を眺めた。遠く、赤茶けた屋根が並んでいる。夕暮れが近くて、空の端が橙色に染まり始めていた。


「反動があるスキルを使うことには、慣れている」


シルヴィアは何も言わなかった。ただ、フードを押さえていた手を下ろした。風が止んだのかもしれないし、何か決めたのかもしれない。アルトには分からなかった。


ふたりは丘を下り始めた。並んで、同じ速度で。それだけのことだったが、三年間誰かの後ろを歩き続けてきたアルトには、少しだけ違う感触があった。隣に誰かがいることの、これが正しい形なのかもしれない、と思った。それ以上は考えなかった。


考える必要があるのは、もっと後だ。

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