第4章 7話
「最初は、ほとんど喋らなかった」
優弥は壁にもたれながら言った。
「呼びかけても反応は薄いし、目も合わない」
「ただ、言われたことはやる」
「人形みたいだったな」
乾いた口調だった。
「飯も食うし、風呂も入る」
「でも、自分から何かすることはない」
一拍。
「笑わないし、怒らない」
「泣きもしなかった」
伸也は、さっきの姿を思い出す。
あれが“崩れた後”なら――
「……じゃあ、どうやって」
思わず口に出る。
優弥は少しだけ視線を上げた。
「別に、何かしたわけじゃない」
「時間だな」
あっさりと言う。
「母親が普通に接してた」
「特別扱いもしないし、腫れ物みたいにも扱わない」
「飯の時間は飯」
「学校の話もする」
「テレビ見て笑う」
「……全部、いつも通り」
少しだけ、間を置く。
「それに引っ張られたんだと思う」
夜風が、静かに流れる。
「ある日、急に笑った」
ぽつりと。
「本当に、何でもないことで」
「テレビでやってたバラエティ見て」
「小さく、だけどちゃんと笑った」
その時のことを思い出しているのか、ほんのわずかに口元が緩む。
「それが最初だな」
「そこから、少しずつ戻ってきた」
「喋るようになって」
「表情も増えて」
「……普通になっていった」
伸也は黙って聞く。
「名前も、ちゃんと自分で言えるようになった」
「夏海って」
一拍。
「ただ――」
優弥の声が少しだけ落ちる。
「事件のことだけは、最後まで思い出さなかった」
「そこだけ、ぽっかり抜けたまま」
静かな断言だった。
「無理に思い出させる必要もないって、医者も言ってたしな」
「だから、そのままにしてた」
空を見上げる。
「……それでよかったと思ってた」




