第4章 6話
しばらく、誰も喋らなかった。
遠くで、車の走る音がする。
それだけが現実感を繋いでいた。
「……警察には?」
伸也が、ようやく口を開く。
優弥は小さくうなずく。
「母親がすぐ通報した」
「当たり前だろ」
「普通の大人だ」
淡々とした口調。
「警察が来て、そのまま保護」
「俺も事情聴取」
「まあ、面倒だったな」
肩をすくめる。
「でも、それで終わりじゃない」
一拍。
「問題は、その後だ」
視線が、わずかに下がる。
「記憶がなかった」
「事件のことだけ、綺麗に抜けてた」
「名前も、最初は曖昧だったな」
「自分のことすら、よく分かってなかった」
伸也は眉をひそめる。
「……そんなことあるのか」
「ある」
即答だった。
「人間、壊れるとそうなる」
それ以上は言わない。
「身寄りもなかった」
優弥は続ける。
「親戚はいたらしいけど、引き取るやつはいなかった」
「で、施設の話が出た」
空き缶を軽く転がす。
コンクリートに当たって、小さな音を立てる。
「そのときだ」
少しだけ、声が柔らかくなる。
「母親が言った」
間を置く。
まるで、その言葉をなぞるように。
「“あの子、このまま一人にするのは無理だと思うんです”」
伸也は、息を飲む。
「“もし可能なら、うちで預かれませんか”」
静かに、夜に溶ける声だった。
「……は?」
思わず、声が漏れる。
優弥は苦笑する。
「俺も同じ反応だった」
「何言ってんだってな」
「ただでさえ余裕ある暮らしじゃねえのに」
「他人の子、引き取るとか」
首を軽く振る。
「でもな」
少しだけ視線が遠くなる。
「あの人、決めたら曲げないんだよ」
一拍。
「結果的に、条件付きで認められた」
「正式な家族ってわけじゃない」
「一時的な保護みたいなもんだ」
「定期的にチェックも入る」
「いつでも施設に戻せる状態」
淡々と説明する。
「それでも――」
言葉を区切る。
「一緒に暮らすことになった」
伸也は黙ったまま聞いている。
優弥は、ゆっくりと息を吐く。
「それが」
少しだけ視線を上げる。
「俺と夏海の始まりだ」




