第4章 5話
「……どこから話すかだな」
優弥は缶コーヒーを傾けながら、小さく息を吐いた。
街灯の光が、横顔に影を落とす。
「大した話じゃない」
そう言いながらも、その声はどこか遠い。
「俺んちは、母親と二人暮らしだった」
夜の静けさの中、言葉がゆっくり落ちていく。
「親父は、俺が小さい頃にいなくなった」
「蒸発ってやつだな」
軽く言う。
だが、そこに感情はほとんど乗っていない。
「母親は一人で働いて、俺を育てた」
「まあ、よくある話だ」
伸也は何も言わない。
ただ、黙って聞いている。
優弥は続ける。
「別に不自由はなかった」
「むしろ、普通よりは恵まれてたかもな」
少しだけ肩をすくめる。
「俺、わりと何でもできたし」
「勉強も、運動も」
「人並み以上には」
事実を述べるだけの口調だった。
「だから、母親は安心してたと思う」
「こいつは大丈夫だってな」
一拍。
「……その分、無理してたけどな」
小さく呟く。
缶を軽く揺らす。
中の音が、わずかに鳴る。
「中学に入ってすぐ、バイト始めた」
「新聞配達」
伸也の視線が少し動く。
優弥は気にせず続ける。
「別に頼まれたわけじゃない」
「ただ、家計の足しになればって思っただけだ」
「母親も最初は反対してたけどな」
苦笑する。
「最終的には折れた」
夜風が、少しだけ強くなる。
「その日も、いつも通りだった」
「……いや、違うか」
空を見上げる。
「雨がやばかった」
「ニュースになるレベルの豪雨」
「配るのも一苦労でさ」
「びしょ濡れになりながら、全部回って」
「やっと終わったと思ったら――」
そこで、言葉が一度止まる。
ほんの一瞬だけ。
「見慣れないもんが、見えた」
視線が下りる。
「公園」
「ベンチに、女の子が座ってた」
「小学生くらい」
「傘もささずに」
伸也は、無意識に息を詰める。
優弥は淡々と続ける。
「最初は、ただの迷子かと思った」
「でもな」
一拍。
「近づいたら、わかった」
声が、わずかに低くなる。
「周り、全部赤かった」
雨に流されたそれは、地面を染めていた。
「血だ」
はっきりと言う。
「かなりの量だった」
沈黙が落ちる。
「声、かけたんだよ」
「大丈夫かって」
「でも――」
首をわずかに振る。
「何も返ってこなかった」
「ただ、こっち見てるだけ」
「目、死んでた」
短く言い切る。
「……ああいうの、初めて見た」
伸也は何も言えない。
「気づいたら、連れて帰ってた」
優弥はあっさりと言った。
「考えるより先に、体が動いてたな」
缶コーヒーを飲み干す。
空き缶を軽く握る。
「母親に事情話したらさ」
「怒られるかと思った」
少しだけ笑う。
「でも、違った」
その表情が、ほんの少し柔らかくなる。
「とりあえず中入れなさい、ってな」
「タオル出して、風呂用意して」
「何も聞かずに、世話してた」
一拍。
「……あの人らしい」
ぽつりと落とす。
「その子、ずっと無表情でさ」
「でも、言われるまま動いて」
「シャワー浴びて、布団入って」
「そのまま寝た」
「一言も喋らずに」
夜の空気が、少し重くなる。
「で、すぐわかった」
優弥の声が、わずかに変わる。
「ニュースでやってたからな」
「一家殺人」
「隣人の父親が、家族を殺した」
伸也の手が、わずかに強く缶を握る。
「一人娘が行方不明」
間。
「――あいつだった」




