なんでそんなことになる
“青の国”政府から託された手紙を“黄の国”に駐在する外交官のニーベルという痩せた男に渡した後、ニーベル外交官に付き添ってトウマ・ライナスは“黄の国”の官邸にいた。政府高官からの要望で彩花衆とリイサ・ペンシルの近況について直接説明するためで、高官たちから様々な質疑が飛び交い、時間は2時間半にも及んでいた。陽の光で満ちていた室内も、その頃には薄暗くなり館内には灯りが点されるようになっていた。
「お疲れ様でした」
高官たちから解放されて来客用の部屋に戻ると、アリサ・サーバンスが編み物の手を休めて労いの言葉を掛けてきた。
アリサは最近ボランティア活動をはじめて、孤児院などに編み物や古着を再利用した縫物を届けているらしい。勤務の合間も時間があれば何かしら編み物をしているのだが、今回の出張も暇な時間があると見越してか、今も毛糸の玉と編まれた手袋数双がアリサの腰掛けていたソファーにひっそりと置かれている。
「随分と長いお話でしたね」
「彩花衆について細かく聞かれた。向こうもかなり警戒しているようだけど、動きについてはつかめてないみたいだ。いや、疲れたよ」
「リイサはどうなりそうですか」
「警備体制をつくりあげるのに、半年は掛かるようなことを言っていた。しかし、どうも、こちらさんも一枚岩じゃないな」
「と、いうと?」
「王家の血を引くリイサを、トラブルの種と考えている高官が何人かいた。リイサ本人が一般人としての暮らしを望んでいても、彩花衆がそうじゃないからな。そのために人員を割かなきゃいけなくなる。これまで起きた戦いが“黄の国”で起きることとなる。そいつらにしたら、できれば、このままアオルタで暮らして欲しいのだろうな。邪魔と考えるかもしれない」
「……リイサ、可哀相ですね」
「そうだな」
「学校も無理でしょうね」
「残念だけどな」
トウマは目を揉みながら、暗い表情をするアリサと向かいのソファーに腰掛けた。
リイサ・ペンシル本人はどこにでもいる村の少女でしかない。しかし彩王朝の血筋を引くために、彩花衆によって祭り上げられようとして無理矢理連れ出され、故郷では厄介な存在として扱われている。リイサ自身の言動からも、望郷の念をしばしば感じることがこれまでにもあった。本人の希望もあるので、詳しく聞くことや引き留めの説得をすることはなかったのだが、故郷に戻ったところで安息の時間などこれから先にも無いとトウマですら予想でき、憂鬱な気持ちが重く圧し掛かってくるようだった。
加えて、半日以上列車に揺られたのと高官たちとの話し合い体に重い疲れを感じている。はやくホテルに戻って熱いシャワーを浴びたいと思った。
「……それにしても、あの外交官、遅いな」
帰りたいという思いから、トウマは部屋の隅に置かれた柱時計にちらりと目を向けた。客室に戻る際、ニーベルが車を手配するので待っているよう指示があったのだが、それほど時間が掛かるとは思えない。何をやっているのだろうと探しに行こうとドアノブに手を掛けると、外から何やら話し声が聞こえてきた。どちらも男の声で、ひとりはニーベルのものだがもうひとりは判然としない。しかし、その自信を感じさせるような特徴的な声にはどこか心当たりがあった。
トウマが扉を開けると、やはりひとりはニーベルで、長身の男と談笑している。長身の男を目にして、トウマは心当たりの正体がようやく判明していた。服装は当時とまるで違って紳士的な背広姿をしているが、銀行員という割に精悍すぎる横顔はまるで変わらない。
あれえとトウマは声をあげた。
「そこにいるの、シーリングさんじゃないですか」
たしか、シーリング・ローゼット――クロノス銀行の銀行員だと思い出し、声を掛けるとシーリングは目を丸くして驚きの表情をみせた。
シーリングの表情の変化にトウマもすぐに気がついて何をそんなに驚いているのか、トウマにはわからなかったが、それほど深く考えなかった。予想外の出会いは驚くもんなとだけ思い直して、とりあえずやあやあと気さくに挨拶しにいった。
「ひさしぶりっすね、シーリングさん。お元気でした」
「たしか、トウマ・ライナス君だったな」
「覚えていてくれたんですね。嬉しいなあ」
「命の恩人だからな。それは当然だ。ところで君はこんなところで何を」
「手紙、運んで来たんすよお」
そこまでトウマが言った時、客室の扉が開いてアリサが中から顔を出してきた。外が騒がしくなったのが気になったらしい。アリサもシーリングの顔をおぼえていて、部屋から出てくると、どうもと言葉は短いながらも丁寧な挨拶をしてきた。面倒な奴が増えたと、シーリングは内心、苦々しく思いながら話を続けた。
「……それにしても、手紙を運ぶのに官邸に来るのかい」
「手紙といっても異国ですからねえ。手続きが面倒で退屈で、こうやって外交官まで付き添われて……。いや、もう疲れましたよ。国内だとポーンと投函で済むんですけど、他の国に運ぶとなると、挨拶状や恋文だとか納税通知でもいちいち手続きとらなきゃいけない」
「なるほど、現場は色々と苦労があるのだろううね」
「そうですよ、まったく」
トウマが手紙と口にした時、隣のニーベルが緊張した面持ちで割って入ろうとしたが、しれっと虚実を交えて、口早に話すトウマによってすっかりタイミングを失ってしまっていた。だが、シーリングも納得した様子を見せたので、外交官も安堵してそのまま黙っていることにした。その表情の変化をシーリングが目にしていたら、新たな不審を抱いたかもしれなかったが、幸いにもトウマとのやりとりでシーリングからは死角の位置となっていたから気がついていない。
一方、シーリングはシーリングで、彩花衆が警戒しているトウマ・ライナスとアリサ・サーバンスと思わぬ再会をしてしまったことで、驚愕を隠し切れないほどの衝撃を受けていた。厄介な連中に会ってしまったと舌打ちする思いだったのだが、トウマたちがシーリングと偶然の再会したことに驚いているだけで、他に疑っている様子のないので警戒を次第に解いていった。
アオルタでは肩がすれ違った程度の出会いでしかないのだから当然なのだが、トウマとのやりとりからは一緒にいたアルという探偵のように、心の隙を突くような思わぬ問い掛けはない。これは能力的な優劣というわけではなく、駆け引きや観察を常とする探偵と“配達士”という職業の違いによるものだろうとシーリングには思った。アリサも何を考えているかわからなかったが、おそらく同様だろう。
警戒をするほどではないが、油断はしない。
それさえ心掛けておけば、トウマやアリサたちに不審を与えるヘマはしないだろうとシーリングは思った。
「ところで、シーリングさんは、今日はどうしてこちらに」
「遺跡探掘の件でちょっとトラブルがあってね。“黄の国”政府から昨日連絡を受けて先ほど到着したばかりだ。アオルタ銀行やイエロン銀行との仲介では、こちらの外交官にもお世話になったものだから、その件でここにいるのかと思っていたのだが……」
「新聞でも読みましたよ。銀行さんが穴掘りに金出しているんでしたっけ。トラブルてのは金がらみの喧嘩ですか」
「下品な言い方はやめたまえ。探検家や彼らに協力して出資した私たちを侮辱するつもりかね」
「そんなつもりはないんですけどねえ。しかし、シーリングさんの言い方から察すると、やはり金がらみの喧嘩ですか」
「違う。遺跡に強力な魔物が現れたんだよ。厄介な相手でね。探検家の中から死傷者も何人も出ている。今は距離をとって様子を見ているらしいが、民間の我々では手に余りそうだ。だから、その相談で政府に来たのだよ」
トウマの身も蓋もない言い方に、シーリングは苛立った顔をした。ニーベルに不審を向けたシーリングをすばやく察して、トウマはわざと粗野な物言いをしたのだが、シーリングは気がついていない。それどころかトウマに誘導された恰好となって、うっかり内容を話してしまっていた。すぐにしまったとシーリングは焦ったが、トウマはぼんやりとした表情でうなずいている。
「魔物すか。探検家連中も相当な腕前を持っているはずですけど、どんな相手なんですか」
「うん。報告書には“ゼオギニス”と記されてあった。ザリガニのような甲殻類の生物なんだが、二足歩行で遠目には人が甲冑を着ているように見えるらしい。だが、人語も解し自身をそう名乗ったとか」
「それなら、魔法でつくられた人工生物ですよ。遺跡を護っているんじゃないですか」
「君は知っているのか」
「ケツラという町で、同様の事例がありました」
トウマの言葉を継ぐようにして、傍らで控えていたアリサが答えた。
「元々は山の地中深くにあった遺跡のようですが、戦時中に起きた地震で土砂が遺跡ごと押し流し途中の道をふさいでしまったのです。人工生物は遺跡を護るためだけの存在。旅人や復旧に掛かる作業員を次々に襲いました」
「……」
「トウマさんが倒してこの件は解決しましたが、その後の政府の調査で人工生物だと判明したのです。トウマさんの報告書の内容や口頭説明からだと、今回も同型の人工生物だと思われます」
アリサの説明に、シーリングはほうと目を細めた。
「そんな話を、異国人の私にしても問題ないのかね」
「特に口止めされていないので同僚にも話していましたし、情報共有のためにお話ししたのですが、……まずかったのでしょうか」
アリサがトウマを見ると、トウマはバトンを渡すようにトウマはニーベルに視線を向けた。ニーベルは判断に窮しているように渋い顔をしていたが、目を閉じて腕組みをしたまま、頷いただけだった。明確な回答こそしないが、見て見ぬふり、何も聞かなかったことにしようと、文字通り目を瞑るといういかにも役人らしい態度を示した。
人工生物とは魔力と生物の細胞を基にし、試験管から生み出された生物で、学術書や論文でシーリングも目にしていたが、特殊な詠唱を必要とする魔法と細胞を調合する技術は既に失われており空想に近い存在となっている。
しかし、シーリングが驚いたのは人工生物についてではなかった。
以前、伝説化した悪魔王と称する魔物を召喚したが、主に従わずに暴走し貴重な仲間も失ったとはいっても、シーリング・ローゼットの特殊魔法である星羅連環の前に歯が立たず、トウマたちによってあっけなく倒されてしまっている。人工生物もトウマによって倒されているのが事実なら、そこまで厄介な相手ではないと確信していた。
それよりもシーリングが驚いたのは、政府の調査結果が郵便局にも伝えられたということだった。
――しかし考えてみれば。
と、シーリングは瞬時に思い直した。
“配達士”といっても、彼らは手紙を配るだけの“配達士”たちではない。
これまでもトウマを始めとした腕利きの“配達士”たちは、各地で様々な難事件に遭遇し、解決しているとシーリングも耳にしている。いまだにインフラ整備が進まずに魔物や野盗が跋扈し、その対策に頭を悩ませている政府としても彼らと連携しておいた方が得策と考えるのは当然で、情報をやりとりするだけの結びつきがあってもおかしい話ではなかった。
もしかしたら、トウマたちが外交官と一緒にいるのも何かあるのかもしれない。
当初はまずいと焦ったが、何かしらの政府の情報が得られるかもしれない。
そこまでシーリングの考えが至ると、人工生物かとさも好奇心に満ちた表情で小さく、何度も頷いていた。
「それなら何とか、捕まえることはできないものかなあ」
「捕まえる?」
「人工生物は、既に滅びたとされる魔法技術によって生まれた生物だ。非常に興味深い。ゼオギニスを生きたまま捕まえて研究を進めれば、失われた古代の魔法技術をよみがえらせることも難しくないかもしれないだろ」
「シーリングさんは、相変わらずロマンチストですねえ」
ニーベルが穏やかな笑みを浮かべている。
探検家から死傷者が出ているのだから笑ってもいられないはずだが、自身には直接関係がないのでいたって気楽なものである。しかしなあとシーリングは思案顔で頭を掻いた。
「対策については政府に話してみるとして、“黄の国”の兵士たちにも手練れはいるだろうけれど、人工生物相手に戦える人間がすぐに集められるのかどうか……」
「それなら、トウマ君にやってもらったらどうですか」
「へ?」
ニーベル外交官の突然の提案に、それまで他人事でいたトウマとアリサは呆気に取られていた。




