気分は最悪ですよ
トウマ・ライナスは仏頂面のまま、窓の外の景色を眺めていた。
未舗装の道が続き、車が時折跳ねるような揺れに襲われる。
ホテルで寝てきたといっても遺跡のある目的地のイエハル湖までまだ随分と距離があり、仮眠しようにもこの揺れではろくに寝られそうもなかった。
“黄の国”の首都イエロンを離れたのは翌朝の7時で約2時間も経つと、人家の数は次第にまばらとなっていく。時折、小高い山の上に築かれた軍の砦や集落が見えるものの、トウマの乗る車両からは距離があるせいか、ゆるやかな丘や森が広がるばかりの景色という印象が強い。
朝の光が強烈に差し込み、緑の大地を鮮やかに照らしている。丘や森の間を縫うようにして一本の道があり、車両はその道を進んでいく。
トウマが乗る車の前後に、軍旗を掲げた計6台の軍の車両が挟むようにして同行している。4台は数十名の兵隊を乗せたトラックで、残り2台は輸送車両だった。
トウマの隣ではアリサ・サーバンスもぼんやり外を眺めていたが、見た目がぼんやりなだけで、内心ではかなり不愉快でいた。自身の仕事は問題なく終了している。一泊だけとはいえ、異国の地でトウマとの二人きりの夜を、周囲にはばれない程度に興奮して待ち望んでいたのだが、わけのわからない任務に付き合わされる破目となって、何もしゃべる気になれなくなっていた。
トウマとアリサは互いに喧嘩しているわけではないのだが、それぞれがそれぞれの憤懣を抱えているために、昨夜からろくに会話をしていない。端から見れば、喧嘩中のカップルに見えただろう。
「悪いね、つき合わせることになってしまって」
前方の助手席に座っていたシーリングが、シート越しに振り向いて謝ってきた。
いえ、とトウマは口の中で答えたが、不満はシーリングにあるわけではない。
不満は外交官のニーベルに向けられていた。
同行するきっかけをつくった肝心のニーベルが同行していないのだ。
ニーベルの提案にシーリングも同意し、ろくにトウマの意思を確認しないまま、ニーベルは政府高官たちに会いに行って話をつけてしまっていた。さすがにトウマもニーベルに文句を言ったのだが、リイサの保護に対して“黄の国”政府が消極的であることを指摘すると、「“黄の国”に貸しをつくっておいた方がいい」というニーベルの説得に、トウマも渋々了承するしかなかった。
リイサの将来を考えればやむを得ないと覚悟を決めたのだが、言い出したのはニーベルである。ニーベルもトウマに同行するのは当然と思っていたのだ。しかし、いざ出発となると大使館に逃げ込んで姿を現さない。いてもさほど役に立つとは思えないが、人に危険な仕事をさせておいて自分はどういうつもりだと、トウマは憤慨している。
――当てが外れたな。
ニーベル外交官に失望しているのはシーリングも同様で、彼が逃げたためにトウマとアリサは不機嫌の極みにある。
シーリングが話を向けてもうんともすんとも満足な返事がないので、何の情報も得られそうもなかった。もう少し機嫌が良ければそれなりの会話も成立しただろうに。とにかくシーリングとしては、トウマに機嫌を直させて、目の前の人工生物退治に集中してもらうしかなく、下げたくもない頭を下げるしかなかった。
すまないねと再びシーリングの謝罪の言葉が、怒りで熱したトウマの頭を冷やした。
「これが終わったら、君たちには多大なお礼を約束するよ。この件に関しては何も関係がないのだからね」
「お礼もらえればいいですけどね」
「随分と気弱だね。昨日、人工生物と戦って勝ったと言っていただろう」
「何とかギリギリ、と言ってなかったですからね」
「……」
「魔力もスピードも力も、とんでもない化物でしたよ。良く勝てたなと、思い返してみると不思議なくらいです」
トウマは静かに目を閉じた。
ゼオギニスと同型と思われる、以前戦った人工生物との戦いがまぶたの裏に浮かんでくる。
周囲の木々や岩場など地形を巧みに使い、猿のように跳ねるそのスピードはトウマの目でも追いきれなかった。動きのパターンを読み、足場となりそうな箇所を魔法で潰して最後は正面からの斬り合いに持ち込んで何とか仕留めたのだが、そこまでに至るまでにトウマもかなりの負傷をしていたのだった。魔物とはいっても、人工生物には人間かそれ以上の知能があるように感じられた。同型の生物とはいっても高い知能があり、環境も異なれば人のように個体によって考えも違うことも考えられる。同じ手段が通用するとは限らない。ましてや闘神ラムザの遺跡を護る人工生物である。間違いなく強敵と言える相手だろう。
「問題ありません。トウマさんが勝ちます」
考え込むトウマの隣で、不意にアリサが言った。
事もなげな言い方に驚いて、トウマが隣のアリサを見ると、正面からアリサの視線とぶつかった。
「簡単に言うなあ」
「前回はトウマさんおひとりでした。しかし、今回は“黄の国”の軍が後方に控えておりますし、私も援護します。うまく連携できれば、トウマさんの勝利に間違いありません」
「なるほど。さすが“戦乙女”だね。アリサさんが戦闘に加わってくれれば心強い」
トウマより先にシーリングが言うと、アリサは静かに首を振った。
シーリングはクロン・ステイシアを通じてアリサについては把握していたのだが、悪魔王ベリアルの事件ではじめてアリサの異名を耳にした恰好としている。ただ、実際に強大な魔力を見たのは初めてだったので、心強いという言葉には本音が混ざっている。
「私には、“戦乙女”としての力は、もうありません。せいぜい、トウマさんへの支援ができるだけです」
「……」
「ですが、私はアリサ・サーバンスとして、全力でトウマさんを援護します」
「ありがとう、アリサちゃん。なんだか、もう勝った気持ちになるよ」
「油断は禁物です。あとは現場で探検家の方々から話を聞き、軍の方々とも打ち合わせをして、て万全の体制にしないと」
「たしかに、勝利を確実なものとするなら、軍の連中も有効活用しないとな。私が交渉しよう」
「ありがとうございます。シーリングさん」
トウマは礼を述べたが、シーリングはトウマ達を厄介な敵と位置づけしている。
過去に何度か関わったとはいえトウマたちは事件に巻き込まれた一般人で、政治的には何の影響力もない。しかし、一般人とはいってもその腕前は尋常ではなく、同等の力を持つ仲間も多い。そんな人間を相手に下手に仕掛ければ藪蛇ともなりかねないので、彩花衆側からトウマたちを襲撃するつもりはないのだが、かといってトウマに協力する気など毛頭なく、シーリングは高みの見物をするつもりでいた。
ただ、トウマが人工生物に敗れれば、その後の処理が面倒な事態となるだろう。
シーリングにもたらされた報告書によれば、探検隊は「かろうじて逃げた」旨の記述があるから、ゼオギニスは追撃をしてくるのだろう。自身の“星羅連環”を使えば人工生物相手に完勝できる自信があるのだが、あくまで身を護るためのものであって、トウマどころか軍や探検家連中のためにも使いたくはなかった。
――ま、刺し違えてくれればいいかな。
シーリングはそんなことを考えていると、それまで沈黙を守っていた軍の運転手が間もなくです。と緊張した声で言った。
トウマ達が前方に目を向けると、軍の車両の奥に、朝日を受けてキラキラと反射している水面の揺れが映った。まだ相当な距離があるはずなのに、海を見間違えるほどの大きな湖だった。“黄の国”最大の湖イエハル湖で、その広さはアオルタほどと言われている。しかし、湖やそれを囲む森は自然のものではなく、古の時代、魔族の祖が闘神ラムザを封じるためにつくったものらしい。
森の中には闘神ラムザを封じるための特殊な結界を張る祠が各箇所にあり、湖の周りに小さな集落が点在しているのだが、歴史は古く、元々は各箇所の祠を護るために置かれた村なのだという。
しかし千年近い長い年月の中で戦火とともに役目や記憶も薄れ、祠の存在すら知らない村人もいるようになっていた。
長い間放置された祠はただの置物同然となっていて、ほとんどは魔力を失っていた。
それでも幾つかは奇跡的に機能しており、探検家たちは長い時間を掛けて、ひとつひとつ封印を解いていったのだという。そしてそれは闘神ラムザの存在をいよいよ決定づけるものとなり、さらに調査をすすめた結果、封じた遺跡が湖の底にあることが判明し、遺跡内部の調査に入ったのである。水深は海のように深く、人が容易に寄り付かせない作り手の意思を感じさせた。だが湖自体は静寂と清涼な水に満ち、小さな波が陽の光を砕いて眩しく輝いている。広大な平野のところどころに広がる森の景色は美しく、人の手によるものを感じさせない。
まだ、“黄の国”も他国と同様、復興の段階にあるので手をつけていないが、美しい風景を持つイエハル湖周辺を、将来的には観光地にする計画があるという。
――これが観光だったらなあ。
旅に慣れたトウマとしては、優美な景色も食傷気味だが、予期しない出来事に巻き込まれてはそう思わざるをえない。ぼんやりと考えながらトウマが目を細めて湖を注視していると、湖畔の西側にある修道院の建物の周りに多数のテントが設置され、車両や人が集まっているのが見えた。“黄の国”の軍旗が掲げられているところから、先発した軍なのだろう。
「軍からは私が話をつける。これでも顔が効く方でね」
シーリングが言った。
「トウマ君。君に期待しているぞ」
うわべだけのシーリングの励ましではあったが、トウマは気がつかず渋い表情のまま、美しく水面を揺らすイエハル湖を見つめていた。




