彼女の仕事
その日の配達が終わって、トウマ・ライナスがアオルタ郵便局に戻ってきたのは午後3時頃である。
郵便局の出入口に差し掛かったところで、敷地内からバギーに乗ったがっしりと体つき男とすれ違った。服装やものものしい装備から、その男が“配達士”だと一目でわかる。
「よお、トウマ」
バギーにのった“配達士”はニッカ・ボッカで、これから担当のイクツノまで配達に向かうのだろう。バギーの荷台には手紙の束が一杯に積まれていた。
ニッカとは同じジムで時おり稽古している間柄ではある。トウマは軽く手だけ挙げて応じて見送った後、建物の裏口に歩いていった。そちらに職員専用の出入り口扉がある。
トウマのような元兵士は、危険な遠方地への配達という名目で雇われたと言っても、特別な仕事でなければ手紙も一定の量が溜まったり期間が過ぎたりしてから配達されるので、それまでは時間が空いてしまう。結果、遊ばせているよりはということもあって、次の仕事まではアオルタ内や近隣の村までの配達や、仕分けに簡単な事務仕事をあてがわれることが多い。
トウマは初めてのベガルシアの仕事を終えてから、次のルナーナまでの配達を済ませて1週間、アオルタ内の配達ばかりしていた。
町の配達仕事は単純で危険もない。装備も皮帽子に腰の刀だけで済む。終われば近くのジムで一汗流すのが“配達士”に就いてから日課となっている。遠方への配達に比べれば一日の手当は安いものの、平穏な日常ではあるからガス抜きとしてはちょうど良かった。帰り道に酒場で飲むビールをトウマは楽しみにしていた。
そんな弾む気持ちを鼻歌で表しながら裏口の扉を開けたのだが、事務室に入った途端、女の低めながらも怒りの声に、弾む気分が一気に消えてしまっていた。
「アリサ、まだそんなところに手間取っているの?同じことを何度言ったらわかるのよ」
「……申し訳ありません、レフリムさん」
「右手使えば早いのに、なんで義手を使うのよ」
「はい、申し訳ありません」
またやってると少し気まずく思いながら、トウマは音を立てないように扉を締めた。扉のそばには給湯室があって、そこから若い女の職員2人が、中の様子を覗いている。同僚の犬族と猫族の女の子たちで、それぞれしっぽと耳を揺らしながら、クスクスと笑いながら眺めている。犬族と猫族は南の辺境に住む部族だが、耳としっぽ以外は一般の人間と変わらず、実際の犬や猫よりも嗅覚や聴覚もかなり劣る。装飾品といってもいいくらいで大して役にも立たないのだが、愛らしいという理由でマスコット的に重宝されている。
二人は帰ってきたトウマに気がつくと、アリサと呼ばれる金髪をした若い娘を指した。
「またアリサて子、レフリムさんに怒られてるわよ」
「なんかあったの」
「タイプライター打つのが遅いから、レフリムさんに叱られてるのよ」
「……」
「右手だけ使えばいいのに、指導係のレフリムさんに従わないんだもの」
「軍人あがりだか知らないけど、アリサてば態度がエラソーなのよね」
「顔がちょっと良いからて調子に乗ってるのよ。新人のくせに」
最後の一言が本音だろうなとぼんやり思いながら、トウマは事務室に入った。“配達士”にも待機部屋があって、仕事が終わればポストマンたちは着替えやシャワーを浴びるために集まる。その待機部屋へ向かうには、アリサたちのそばを通りすぎなくてはならない。
アリサ・サーバンスは、1週間前に郵便局で雇われた職員である。その目立つ美貌はすでに局内外でも評判になっていた。彼女目当てに郵便局にやってくる若い男もいたくらいで、今もアリサ目当てらしい男数人が席に腰かけてこちらを眺めている。
しかし、大抵の者は彼女の全身を見て尻込みしてしまうのだった。アリサはトウマと同じ元兵士ではあったが左手と右足が棒きれの義肢で、いわゆる傷い軍人だった。歩くときには杖を使う。
「ああ、また義手を使う」
「申し訳ありません」
「その義手だとタイプするのに押す力が弱いんだから、誤字になる場合が増えちゃうの。何度言わせるのよ」
「すみません」
「いいから早く続けなさい」
局内には時間外に荷物の引き取り来客も訪れてくるので、指導係のレフリムも声を荒げるわけではないのだが、二十歳と歳の割に妙に重みがあって声が通るので、近くにいる人間にも内容が届いてしまう。
「……あとはここのデータをひとつにまとめておきなさい。打ち込むだけなら、今のあなたでもできるはずでしょ」
「はい、了解です」
書類の一部分を指すレフリムに、アリサは堅苦しい返事をしてタイピングをはじめたものの、右手の動作はかなりたどたどしい。
それでも「進んではいない」という状態ではないため、レフリムは少し見守った後、「何かあったら呼びなさい」とアリサに言って自分の机へと戻っていった。
トウマはたどたどしい手つきでタイプライターを打つアリサの後ろを、足を忍ばせるようにしてそっと過ぎていった。
「おつかれっす」
“配達士”が集まる待機部屋に入ると、先輩格のムベルタという老人が煙草を吹かして椅子に腰掛けていた。
挨拶すると、ムベルタは軽く手を挙げた。
「他のみんなは?」
「みんな上がっちゃったよ」
「そうすか」
「それにしてもアリサちゃん、また叱られてるねえ」
煙草を吹かしながら、ムベルタがのんびり言った。
アリサ・サーバンスは18歳な上、小柄ということもあり、男たちから“ちゃん”づけされている。
「レフリムて仕事に厳しいすからね」
「アリサちゃんもあんな体で、頑張っていると思うけどなあ」
「レフリムにしたら、頑張っているだけじゃダメなんでしょ」
「そうかなあ」
ムベルタはぼんやり宙を見上げたまま、煙草をくゆらせている。ムベルタはトウマのような元兵士ではなく、若い時からアオルタ郵便局に勤めている。特にこれといった野心もなく妻子もいないようだが、不満を口にしたこともない。仕事終わりの一服と、手紙を家庭に配っているだけの日々に満足しているようだった。
老人のムベルタにしてみれば、タイプライターを打っているだけでも、かなりの偉業なのだろう。
「じゃあ、これで」
ムベルタとの会話の間にトウマは着替えを済ませてしまっている。再び挨拶をして部屋を出ると、アリサが一人、タイプライターを打ちながら事務仕事をしている。
――“金色の戦乙女”か。
トウマはアリサ・サーバンスの名前と、その異名についてはよく知っている。
東部戦線で恐れられた戦士の一人である。
魔女の末裔と言われるだけあって強大な魔力を持つ他、武技は雷鳴が轟くほどの凄まじさだったという。終戦間際、アッセムトの戦いと呼ばれる激戦で重傷を負い、その後軍隊から退いたと噂で聞いてはいる。敵味方から恐れられた勇者が、まさか同じ郵便局で働くことになるとは、トウマも予想をしていないことではあった
――仕事にはひたむきなんだよなあ。
トウマはそんなアリサの後ろ姿をじっと眺めている。やはり右手の動きが不器用すぎて、トウマからしても見ていてまどろっこしい。レフリムが苛立たしくなるのもわかる気がした。ただ、アリサの作業を眺めているうちに、トウマはとある違和感をおぼえ、その正体探しにずっとアリサの手の流れを追っていた。しばらく見ていると、不意にアリサのタイプを打つ手が止まった。
「……何か御用ですか」
「あ、いや、大変だなと思ってさ」
仕事の邪魔しないつもりで気配を消したのだが、そこはやはり“金色の戦乙女”だと、トウマは内心感心していた。一流の剣士レベルでなければ、まず気づかれないというのに。
「事務職だとただ打つだけじゃなく、他にもおぼえることも多いだろうしな」
「仕方ありません。私に出来ることは限られていますし、頑張っているだけではダメ。それが仕事ですから」
「あ、そう……」
「何か?」
「いや、こっちのことだよ」
苦笑するトウマに、アリサが不機嫌そうに訊ねてきた。さきほどトウマがムベルタに対して述べた内容と同じなので、思わず苦笑いしたのだが笑われたと思ったのかもしれない。
話を誤魔化すために、話題を変えた。
「レフリムは?」
「用事があって出掛けられました。あとはこの資料を打ち込むだけですので、問題ありません」
アリサの机には数十枚程度の書類が置かれている。他の職員ならともかく、アリサの技量だとしばらく時間がかかりそうな量だと思えた。そうかとトウマが言った後、会話が途切れた。気まずい沈黙が流れ、トウマは黙りこくっていると、アリサは体を戻して自分の作業に戻った。
「話が無ければ仕事に戻りますが」
「あ、ああ……」
アリサからはどこか人との関わりを拒否する厚い壁のようなものを感じる。同僚が反発するのもレフリムが苛立つのも、戦場帰りの元兵士というだけではなく、アリサの頑なな態度に反感を抱かせるものがあるのかもしれなかった。
手足を失ってからの平凡な生活は、アリサにとっていまだに馴染めないのかもしれない。頑なな態度は同僚からも浮いていたし、郵便局の事務仕事では歳もさほど変わらぬ先輩で指導係のレフリムに、いつも叱られている。
敵味方から恐れられた勇者が、不器用に仕事している光景は本来笑い話になりそうなものだが、不具者となって0から始めなければならないアリサの姿は、どこか哀れに感じる光景ではあった。
扉を締めた後で思わず深いため息が漏れたのは、トウマが五体満足である今の幸運を、知らず知らずの間に噛み締めていたからかもしれなかった。




